今ここに、『会誌』第20号(愛媛県高等学校教育研究会英語部会、1983年)のコピーがあります。今から30年以上も前の会誌です。ここに恩師の安藤貞雄先生(文学博士、広島大学名誉教授)が、「英語教師の文法研究」と題して講演をなさった記録が収録されているのです。その講演の中で、 安藤先生は私のことに触れておられます。
英語の研究法ということでは、まず、私の島根大学時代の教え子のY君のことをお話ししたいと思います。彼は、まだ29歳の若さですが、既に英語語法関係の論文を十数編書いており、東京外語大の竹林教授に認められて色々と辞書の項目を執筆しています。Y君の勉強ぶりは本格的なもので、そのことは、外国の学会の会員になったり、海外の学術誌に載る第一次論文にもよく目を通していること、内外に多くの学問上の知己を持っていることなどで窺えると思います。彼はまた良い教師でもあります。Y君はよくAsahi Evening News のAnn Landersをcorpusとして利用していますが、あそこへ投書する人の英語が必ずしも良いとは限らないということを承知の上で、あれを一月分位集めるとかなりの資料になると思います。それを(パソコンでも利用して)あらゆる角度から分析していけば、平均的なアメリカ人の日常英語の生態が浮かび上がって来るかもしれません。(p.4)
これを読ませていただいた当時、飛び上がって喜んだのを思い出します。そして、この講演の最後を、安藤先生の描く「理想の英語教師像」で結んでおられます。この言葉を肝に銘じて、今まで一生懸命これを実践しようと頑張ってきましたが、残念ながら足元にも及びませんでした。若い先生方に託したいと思います。先生の『英語教師の文法研究』(大修館書店)をお勧めしておきます。
a. 教え方が上手であること―これは大切である。日本語も英語も、いい発音で明快に教えないと生徒に十分理解させることができないからである。
b. 生徒にえこひいきしないこと。
c. 叱るべき時には叱る(怒るのではない)が、意地の悪い叱り方をしないこと。
d. 生徒に親切で思いやりがあること。
e. 生徒の質問にごまかさずに誠実に答えること。自信をもって答えられない場合は、十分に調べた上、のちほど報告すること。(生徒に誠実でありたいと思うならば、このような措置は当然であろう。)
f. 時には生徒と平等の立場(footing)に立つこと―教師は生徒を教え指導する立場では、権威をもって、生徒より一段高い位置に立って差し支えないが(そのためには時には礼儀も敬語の使い方も教えなければならないことがあろう)、生徒が何かcriticalな状況にある時は、教師は「教師」であることをやめて、生徒と同じ(恐らくは「人間同士」という)footingに立って、”まごころ”をもって生徒の悩みと付き合う用意がなければならない。
g. last but not leastには、教師は肝の奥底に何かゆるぎない信念を持っていなければならない―その信念が恐らくその人の人格を統一しているのであろうが、それが何であるかは、人によって異なっていてもいいのではないか。ただ、それは狂信的でない、理性と普遍性に裏打ちされたものであることが望ましい。(私の場合は、それは「生命の尊厳」という言葉で言い表せるように思われる。〔そこから、平和への決意も、ヒューマニズムも生じてくる。〕
以上のような資質を兼ね備えた教師が私の「理想の教師像」です。それは、私にとっては、恐らく生涯かけても到達し得ない、にも拘らず、志向することをやめてはならないイデーなのです。


