散る桜残る桜も散る桜

 「散る桜 残る桜も 散る桜」という言葉を、以前、お寺のお上人さんの法話で伺いました。ああ、いい言葉だなあ~と思って、すぐ手帳にメモしておいたんですが、後で、江戸時代の曹洞宗の僧侶で、歌人でもあった良寛和尚(りょうかんおしょう)の辞世の句と言われている歌であることを知りました。意味は、「今どんなに美しく綺麗に咲いている桜でもいつかは必ず散る。そのことを心得ておくこと」ということです。要するに限られた「いのち」で、等しくやがては死を迎える運命を秘めている、ということですね。散っていく桜の哀れを眺めながら、同じように満開に咲き誇っている桜の中にも、やがて散っていく運命を見る。生命と死の対比を情景の中に感じ取ることにより、いっそう生命の輝き、奥深さを感じることができますね。この言葉は、戦時中の海軍特別攻撃隊、いわゆる神風特攻隊員が遺書に引用したことで有名になりました。特攻隊を語る時にもよく引用された言葉です。昨年のぼせて読んでいた、峰  隆一郎(みねりゅういちろう)さんの作品『上越新幹線あさひ殺人事件』(青樹社、1996年)の最後のシーンにも、この言葉が出てきました。

 「残る桜も散る桜、わしの先輩たちは大勢死んでいった。わしらはそれに続く桜だった。そして、今日、四十二年遅れて、わしはこんな形で散る」(p.227)

 今の世の中には、いろいろと悩み事が多くありますよね。仕事、家庭、対人関係、子育て、自分の将来、健康やお金のこと等々、幸せな事より悩み事の方が多く、重たくのしかかっている毎日ではないでしょうか。限られた「いのち」の中で、その結果に到るまでを如何に充実したものにし、悔いの残らないようにすることが大事だと思います。また、この良寛和尚の句から、親鸞聖人が得度をされる時にお詠みになられたと伝えられる「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」という歌も連想させられます。「明日があると思い込んでいる気持ちは、いつ散るかもしれない儚い桜のようです。夜に嵐が吹こうものならもう見ることはできませんよ。」と、そのような心境で、親鸞聖人は、慈鎮和尚に得度を願われたことと思います。この二つの歌から伺えることは、今生きている命を「如何に生きるか」ということに尽きると思います。自分自身が積み重ねてきた過去の経験(苦しみや楽しみ)を現在に生かし、そして未来につなげていくことができるのは、自分一人の力ではありません。いろいろな人に支えられていて初めて、実現可能になることです。そのことに気付き、そして深い「感謝」の気持ちを持って、日々充実した生活を過ごさせていただくことこそが、私たちの使命なのではないでしょうか?

 誰もが、やがては必ず散っていきます。少々早いか遅いかはあっても、必ず散る。ただ、どう散るかはそれぞれです。できれば、品格ある散り方(老い方)をしたいものです。この句は、「人生のはかなさ」を見事にとらえた素晴らしい句です。明日無事である保証は誰にもありません。人生を豊かに深めていくためには「老いる覚悟」もさることながら、桜花を愛でながら「死ぬ覚悟」を持つことが大事なのかもしれません。散りゆく桜の花びらを眺めていると、死が怖くなくなっている自分の存在に気づきます。桜を観ながら、自身の人生の修め方に想いを馳せる今日この頃です。♥♥♥

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