山本潤子さんの声

 時々、歌姫・山本潤子(やまもとじゅんこ)さんの声が無性に聞きたくなります。彼女の染み渡るような透明感ある歌声は、あの小田和正さんも絶賛されるものですが(1969年「ヤマハ・ライト・ミュージックコンテスト」で彼女の「赤い鳥」が1位。小田さんの「ジ・オフコース」は2位)、2014年に「声の不調」を理由に、音楽活動を無期限休止しておられ、復活が待たれます。コーラスグループ「ハイ・ファイ・セット」のボーカル・山本潤子さんは、メンバーだった山本俊彦(やまもと・としひこ)さんと結婚し二児をもうけます。が2014年に、彼は虚血性心不全のため急死されました(67歳)。持病や通院など体調面の問題は一切抱えておらず「夕方に好きなお酒を飲んで、朝早くから趣味のテニスに出掛ける、悠々自適の暮らしだった」といいます。これが彼女にはショックだったのかもしれません。1日も早く戻ってきていただきたいシンガーです。

 荒井由実さんの作った「卒業写真」で有名な、コーラスグループ「ハイ・ファイ・セット」が、1991年4月に、最後のシングル作品として発表したのが「忘れないわ」です。作詞・作曲は言わずと知れた 小田和正さん。「ハイ・ファイ・セット」の前身の「赤い鳥」にコンテストで敗れて、このまま終わることはできないとプロ・デビューをした小田さんが、その因縁の相手に楽曲を提供するのですから、世の中は不思議なものですね。そのボーカルの山本潤子さんは、後に小田さんのレコーディングやコンサートにバックコーラスとして参加することになるのですから、またこれも不思議なご縁です。小田さんのメロディ・メーカーとしての才能にはただただ驚くほかないのですが、作詞家としての彼のことばの紡ぎ方も、すごい才能だと思っています。詩を読むと何か心奪われるような気になるのです。この詩には、私にも忘れられない思い出があります。

     「忘れないわ」     
作詞・作曲 小田和正 ねぇ いまでもときどき あなたの夢を見るわ でも そのとなりは 私の知らないひと いつも からかわれてた すねた顔するたび またあなたのことを 思い出すの 私まだあなたが好きよ 今だから言えるのね 涙の夜も 遠い思い出 忘れないわ ときめいて 追いかける私の 何もかも 変えていったあの夏の出来事

 そもそも、「ハイ・ファイ・セット」小田さんの縁は、1969年に行われた「ヤマハ・ライトミュージック・コンテスト」において、「ハイ・ファイ・セット」の前身である「赤い鳥」と、小田さんが所属していた「ジ・オフコース」が優勝を競った頃に始まります。その後も、「赤い鳥」「ジ・オフコース」のジョイント・コンサートや、名曲「歌を捧げて」をカバーするなど、その交流は続いていました。ちなみに「赤い鳥」が解散し、「ハイ・ファイ・セット」が結成される際には、オフコースの小田さん・鈴木康博さんが二人ともメンバーとして誘われましたが、結局は参加しなかった、という逸話も残されていますね。小田さんが、そんな縁の深い「ハイ・ファイ・セット」に書き下ろしたのが、過去の思い出深い恋愛を振り返ったアップテンポの歌「忘れないわ」でした。メインボーカルが女性の山本潤子さんであることもあってか、女性目線の詞となっています。山本さんがコーラス参加した小田さんのライブでも、何度か歌われています。2004年、小田さんがホスト役を初めて務めた音楽番組「風のようにうたが流れていた」で、「稀代のボーカリスト」山本潤子さんと共演した際、この曲が小田さんのギターで演奏されています。その演奏は残念ながら放送はされませんでしたが(30分番組には収まらずにカット)、翌年リリースされた同番組のDVDボックス(写真上)『風のようにうたが流れていた』には収録されました。聴いてみてください。この「忘れないわ」潤子さんと旦那さんの素敵なハーモニーを楽しむことができます。


 山本潤子さんと小田和正さんは「戦友」とも言うべき存在です。小田さんのことを「小田君」と言えるのは芸能界広しといえど、潤子さんぐらいでしょう。一方の小田さんは、潤子さんのことを敬愛の念を込めて「潤子ばばあ」と呼んでいます。潤子さんの透き通る声と、二人のジョイント映像があります。二人のコーラスは堪りませんね。♥♥♥ 

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