谷村新司さん亡くなる

 シンガーソングライターの谷村新司(たにむらしんじ)さんがお亡くなりになりました。74歳でした。まだ若すぎます。腸炎の手術(3月)を受けて療養を続けておられましたが、10月8日に亡くなったといいます。「また元気に皆さんの元へ歌を届けられるよう頑張ります」「元気に再会できることを願って頑張ります」と、ご本人も回復に向けて頑張っておられただけに、本当に残念に思います。NHK紅白歌合戦にソロで16回出場。アリスで3回出場。2015年に紫綬褒章を受章しておられます。

 谷村さんの音楽の根底には「和」の環境がありました。母親は長唄の三味線奏者。姉は幼少からの地唄の舞踊を習い、中学で名取となりました。邦楽一家の生まれで、家には常に三味線の音が流れ、お弟子さんが出入りしていました。父の口癖「命に限りがあるからこそ、人は美しい」から、命のはかなさや、今を生きることの尊さを教えられた、と言います。幼少期に通い詰めた近所の書店では、漫画や児童書ではなく、旅や鉄道の本に夢中になり、まだ見ぬ美しい街に思いを馳せていました。

 谷村新司さんは、1971年に矢沢 透さんと堀内孝雄さんの3人で「アリス」を結成。3人の深みのあるハーモニーが人気となり、「今はもうだれも」「冬の稲妻」「終止符」など数々のヒット曲を世に送り出しました。「チャンピオン」は、ボクシングを題材にした歌詞と谷村さんの力強い歌声がマッチし、大ヒットを記録しました(80万枚)。アリスは1981年に突如活動休止を発表。谷村さんはソロになってからも、「いい日旅立ち」(山口百恵)や、自身の代表曲となった「昴―すばる―」(60万枚)など数々の名曲を残しました。夜空に浮かぶ星団に旅人が願いを込めるさまを歌った「昴」は、昔からまぶたに浮かぶ心象風景の「故郷」を描いたといいます。「幼い頃から、地平線まで草原が続き、遠くに山並みが広がる風景が浮かんでいた。まだ行ったことがない所なのになぜか懐かしかった。初めて中国を訪れた時、ああここだ、前世は中国人なんだろうと思いました」。昭和55年春のリリースから20年近く経ち、谷村さんの所にテレビ局から名曲「昴」の原風景を探す旅番組を作りたい、という依頼が来ました。谷村さんが旅先に選んだのは『三国志』に出てくる五丈原でした。西安市からバスで悪路をゆくこと8時間。あこがれた星空がそこにあるはずでした。歌詞をなぞって閉じたまぶたを開き、涙のアカペラを披露するつもりでいました。空を見上げて口走ったのは「違う…」。あまりに正直な独白のせいで、現場は大混乱に陥ったといいます。谷村さんの誠実さを物語るエピソードです。

 谷村さんの活躍のフィールドは日本だけに収まることはありませんでした。中国及びアジア、へ広がりを見せたのです。谷村さんはアリスのメンバーとして、1981年8月に北京での「日中国交正常化10周年記念コンサート」に参加(2日間で2万人を動員)します。1984年には韓国歌手チョー・ヨンピル、中国歌手アラン・タム「PAX MUSICA」(パックスムジカ=音楽による世界平和)をスタートさせ、アジアの国々と交流を続けてきました。2004年からは上海音楽学院初の外国人教授として教壇にも立ちました。2010年の「上海万博」では5大陸のアジア代表歌手として「昴」を歌唱しました。2012年には北京などで日本と中国の国交正常化40周年を記念したコンサートを開催予定も、尖閣諸島問題などが原因で延期。その後、2017年6月1日に中国・上海大劇院でコンサートを行いました。活動45周年を迎えての開催に、谷村さんは「両国関係者の尽力のおかげで開催できた。また新しい出会いがあると思うと楽しみ。歌を一緒に歌ったり、愛するのはどんな瞬間でも1つになれる」と話していました。昨年は50周年を記念するコンサートを開催しました。

 「チンペイ」の愛称で親しまれ(①学生時代にサングラスをかけた姿が評論家・野末陳平(ちんぺい)さんに似ていた、②シンジからチンジ、チンペイに変化した、の2つの説があります)、パワフルな歌だけでなく軽妙なトークも人気だった谷村さん。軽妙&下ネタトークを武器に、「セイ!ヤング」「MBSヤングタウン」などラジオパーソナリティとしても若者文化を牽引しました。突然の訃報に、芸能界からは悲しみの声が上がっています。「24時間テレビ」(日本テレビ系)のテーマ曲として、谷村さんと名曲「サライ」を作った歌手の加山雄三さんは、自身のホームページで

一緒にいる時は本当にいつも楽しかったよ。
その兄想いの弟が先に逝ってしまった。
今、気持ちをまとめてくれと言われても、彼に伝えたいことはたくさんあって、言い切れないよ。
一言だけ彼に伝えるなら、やっぱり「ありがとう」。 

 デビュー以来、50年以上親交のあった、さだまさしさん(71歳)は、インスタグラムでツーショット写真とともに、「春に入院したとき、慌てて電話したら『大丈夫、大したことないのよ』って言ったじゃん。一言も、なにも言わずにいなくなりましたって? いやいや、俺は信じない。うん。信じない」とコメント。谷村さんは自らの薄毛も自虐ネタにして、さだまさし、松山千春と同じく頭髪の悩みを抱える2人とともに「アデランスブラザーズ」「御三毛」(ごさんけ、ごさんもう)と呼ばれても、広い度量で楽しんでおられました〔笑〕。最近では「戦友を亡くしたみたいなもの。残された人間がもっと頑張らねば」と力強く誓っておられました。

 小柳ルミ子さん(71歳)はブログで、「チンペイさん(谷村新司さんの愛称)、もうあの優しい笑顔が見れないなんて淋しいです」などと綴りました。

 私は大分昔、歌手の谷村新司さんの『こころに響く言葉』(講談社、1996年)という本を読んでいて、心に残った言葉があります。次の言葉でした(下線は八幡)。当時担任していた生徒たちによく語ったものです。

生意気に、いつも粋がって、
ひとりで生きてきたような顔をしていたけれど、
何もできなかった。
いくら感動しても、片方の手だけでは感動の拍手すら表現できない。
そう、ひとりじゃ、何もできなかった。

 大好きなさだまさしさんが「防人の詩」(さきもりのうた)で、「右翼」「戦争礼賛」などとマスコミにさんざんバッシングされたときに、東宝映画『連合艦隊』の主題歌を、谷村新司さんに依頼がきました。さださんのことを「あれで叩かれるとは世の中おかしい」と擁護した谷村さんは、すぐ「やりましょう」と返事をします。「いろいろな雑誌から、いろいろな叩かれ方をするかもしれませんよ」と忠告されましたが、谷村さんは「望むところじゃないですか」と答え、敢えて火中の栗を拾い、さださん以上に叩かれたことがありましたね。谷村さんの男気を感じたものです。戦争を賛美する人などいないし、いいと思っている人など一人もいない。それでも起こってしまうのが戦争。谷村さんは、戦争があるがゆえに、親よりも先に逝ってしまう子どもたちの悲しさ・運命を歌にしました。それが主題歌「群青」(ぐんじょう)です。もの哀しいピアノの旋律が胸を打ちます。谷村さんの数ある名曲の中で、私が一番好きな曲です。♥♥♥

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