「割れ窓理論」

 世界的な経営者で知られる故・松下幸之助(まつしたこうのすけ)さんにはいかにも豪放磊落なイメージがありますが、その実は、非常に細かいことにもうるさい人でした。以下の例は、側近中の側近であった江口克彦さん(えぐちかつひこ、元PHP社長)が著書の中で触れておられたことです。「君、電気ストーブのスイッチを、切れや」と、「誰もおれへんのに、ストーブつけとく必要はない。それに危ないやろ、火事にでもなったら」と言うのでした。松下グループの総帥である松下幸之助ともあろう人が、このような細かすぎる注意を頻繁に行うのでした。お客様をお迎えする際に、「君、座布団の並べ方がゆがんどるな」と言う。言われるままにきれいに並べ直して一直線になっていることを確認すると、「この座布団は裏返しになっている。それに前と後ろが反対や」と。座布団の裏・表の区別など知らなかった江口さんに、足元の座布団を1枚取り上げて、「ここは縫い目がないやろ。これが前や。それから後ろ側の縫い目を見ると、一方が上にかぶさっている。こちらが表や」。座布団の前に置かれた灰皿を指さして、これもまっすぐにせよと言われます。このような「小さな注意」を数限りなく受けることになった、と江口さんは回想されています。経営における大きな成功も大きな失敗も、一見些細だと思われることが積み重ねられた結果だということを、松下さんはよく分かっておられたのです。突然に大きな成功がやってくるわけでもなく、突然に大きな失敗がやってくるわけでもありません。実は突然のようで、その前に小さな要因、原因がある。その小さな要因、原因が積み重なって大きな成功にもつながるし、取り返しのつかない大失敗にもなるということなのです(有名な「ハインリッヒの法則」を思い出してください。⇒私の解説はコチラ)。

 「割れ窓理論」(われまどりろん、Broken Windows Theory)というのは、アメリカの犯罪学者・ジョージ・ケリングの説で、「建物の窓がほんの少し割れて穴が開いているのを放置すると、誰もここは注意を払っていないという象徴になって、やがて他の窓もまもなく全て壊される」との考え方です。大きな犯罪も、元を辿れば放置された「小さな窓ガラス」だという理論です。地域の治安が悪化していくまでには、次のような経過をたどります。

1.建物の窓が壊れているのを放置すると、それが「誰も当該地域に対して関心を払っていない」という兆候となり、犯罪を起こしやすい環境を作り出す。

2.住民のモラルが低下して、地域の振興、安全確保に協力しなくなる。それがさらには環境を悪化させる。

3.凶悪犯罪を含めた犯罪が多発するようになる。

 したがって、治安を回復させるには、(1)一見無害であったり、軽微な秩序違反行為でも徹底して取り締まる、(2)警察職員による徒歩パトロールや交通違反の取り締まりを強化する、(3)地域社会は警察職員に協力し、秩序の維持に努力する、などを行えばよいということになります。この「割れ窓理論」を活用し、犯罪の撲滅・減少に成功したのがニューヨーク市の事例です。1970~1980年代に凶悪犯罪が多発していたニューヨーク市において、1994年に就任したジュリアーニ市長が「割れ窓理論」を実践しました。具体的には、警察職員を増員し、落書きを徹底的に消し、軽犯罪の取り締まりを強化しました。こうした取り組みを続けることで殺人や強盗などの凶悪犯罪が大幅に減少し、治安が安定したと言われています。あの東京ディズニーランドにおいても「割れ窓理論」に基づいた取り組みが行われています。実際に行ったことがある方はお感じになったかもしれませんが、園内にはゴミが全く落ちていません。これは従業員が清掃を徹底しており、ゴミが落ちていない状態を維持しているためです。「割れ窓理論」に当てはめると、ゴミが落ちている状態が放置されていると、心理的な罪悪感が薄れてしまい、自分も捨ててもいいかとポイ捨てが発生しやすくなると考えられます。ポイ捨てが増えていくに伴って、次第に来客者のマナー違反が多発するようになり、園内の秩序が崩れてしまうことが懸念されます。こうした考えから、清掃を徹底して綺麗な園内環境を維持することによって、来園者が心地良く過ごせるようになるだけでなく、来園者のマナーを向上させることにもつながっているのです。

 私が長くいる教育現場でも、小さいルール違反や問題を見逃さないことが重要であるという点において、「割れ窓理論」を応用することができます。掲示物が剥がれている、壁に落書きがあるといった環境を放置していると、次第にモラルが低下し、学校の備品や建物が壊される可能性もあります。そのため、小さなルール違反であってもすぐに取り締まることによって、学校内の雰囲気やモラルの低下を予防し、大きな問題へ発展するのを防ぐことが重要と考えられています。また、いじめ問題においても同様です。生徒のちょっとした意地悪な言動が見られたときでも、放置することなくきちんと対応することで、いじめに発展するのを防ぐことにつながるとされています。小さなことを大事にすることが、将来の大きな成功の要因になるし、最初の小さな放置が、後の大きな失敗の原因になるということです。要するに、成功するためには、一見些細と思われることをいかに大切にしていくか、ということに尽きるのです。「割れ窓理論」はそういったことを私たちに教えてくれます。♥♥♥

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