「ハンディ」を逆手に

 経営の神様として知られる故・松下幸之助さんが、成功の秘訣を聞かれて、こんな言葉を残しています。思わずハッとするような発言です。この答えを聞いた人は、松下さんが質問を聞き間違えたのではないかと思ったことでしょう。

 私の人生の宝物は三つあります。それは(1)家が大変貧しかったこと、(2)体がいつも病弱であったこと、そして(3)小学校しか出ていないことです。家が貧乏であったからこそ、心から豊かになりたいと思ったし、世の中から貧困をなくしたいと思った。また体が弱かったからこそ、人を信じて人に任せることができた。そして学校をろくに出ていなかったからこそ、人の言うことに耳を傾けることができたのです。

 普通の人なら、これら三つののハンディを、「貧乏だから何もできない」「体が弱いから無理ができない」「学歴がないから成功できない」などと、「言い訳」の道具として使うことが多いものです。どちらかと言えば、不運・不幸に属する成功できない理由がこれらだからです。しかし松下さんの偉かったところは、これらの条件を全て跳ね返して、さらにはこれらの悪条件を全て「人生の宝物」だとおっしゃる。貧乏だったがゆえに、できるだけお金を使わずに物を作る工夫が必要でした。いかに節約して製品を作るかに知恵を絞ったことで、コストダウンにつながりました。ずっと病気がちだったので、自然と部下に仕事を任せるしかありませんでした。病床であれこれ悩みながら、祈るような気持ちで部下に仕事を任せて、周りの協力体制を作り上げていきました。任された部下たちも、プレッシャーを感じながらも、信頼を寄せてくれた松下さんのために一生懸命頑張ったのです。学歴が無かったために、自然と人から学ぶ習慣が形成され、たくさん質問して人の話をじっくりと聞き、周りの人から知恵を集めることができました。年下の人間からも教えを乞うという謙虚な姿勢が人望を高めます。こうした全ての要因が、松下電器、後のパナソニックの大成功を生んだのでした。

 過去の成功者や偉人の足跡をたどってみると明らかになりますが、多くのハンディキャップを背負ってのスタートであることがほとんどです。その出発時点では、むしろ普通の人よりも不運であることが多いのです。それにもかかわらず、自分の夢の実現のために一切の「言い訳」を絶ち、倒れても転んでも、失敗や不運に遭遇しても挫けることなく懸命に努力を続けています。だからこそ成功できるのです。凡人は「お金がないから」「もう歳だから」「忙しいから」「才能が無いから」「女だから」「いいスポンサーがいないから」「不景気だから」「雑用が多いから」「いい上司に恵まれないから」「仕事が面白くないから」と、次から次へと「言い訳」が出てきて、「できない」理由を探す名人になってしまいます。

 相撲界で前人未踏の69連勝という大記録を打ち立てた双葉山(ふたばやま)の話です(1936年から39年にかけて不滅の69連勝。2010年に横綱白鵬がこの大記録に迫りましたが、稀勢の里に敗れ、63連勝で止まりました)。幼少期は苦難の連続でした。10歳で母を亡くし、その頃、家業の海運業を手伝っていた時に、錨の巻き上げ機に挟まれて右手の小指を失っています。相撲取りにとってこれは致命的なハンディです。相手のまわしを十分につかむことができないのです。さらには右目は義眼でした。立ち会いの時にその見えない方向から攻め込まれたら、一瞬にして不利な体勢に持ち込まれてしまいます。それにもかかわらず、本人はこれらを少しもハンディとは考えませんでした。幼い頃から片目を失明して義眼であったことは、引退してから人に明かしたといいます。現役時代にこのことを取り組み相手に悟られなかったという事実だけでも、ものすごいことでした。5歳の時に遊び友達の放った吹き矢が右目に直撃して負傷し、右目を失明したのです。双葉山の現役時代そのことについて知る力士はほとんどいませんでした。片目が見えないというのは力士としては致命的なハンデキャップだったため、双葉山はこの事実を隠し通して、ハンデを強さに変える努力を重ねたのです。例えば「後の先を取る」つまり立ち会いで遅れたかのようにして相手の「まわし」を先に取る、できるだけ目に頼らず、組んだ相手の体の動きを感じ取り、スキをうかがい技をかけるという「必勝法」を身に着けたのでした。立ち会いで相手の動きを瞬時に捉え受けて立つ相撲に徹した双葉山の相撲は無駄のない取り口と評されましたが、片目が見えないハンデを克服するために編み出した取り口だったのです。

 一見すると常識破りとも思える考え方が、己を鍛え、どんな条件でもはねのけることのできる大きな自分を作り上げるということこそが、心に刻みたい教訓です。♥♥♥

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