
▲JR四国・アンパンマン列車
2013年10月13日に94歳でお亡くなりになった「アンパンマン」の作者、やなせたかしさんは、作品の中で2,000を超えるキャラクターを生み出し、絵本の累積発行部数は、6,800万部を超えました。34歳で漫画家としてデビューし、94年間の生涯の中で漫画や絵本だけでなく、作詞・作曲、脚本、更には詩人として50冊もの詩集を残すなど、実に多彩で幅広い創作活動を行ったのです。そんなやなせさんの生き様を語った本が出ました。
2025年春のNHK連続テレビ小説は「あんぱん」に決まりました。やなせさんと妻・小松暢(こまつのぶ)の夫婦をモデルに、生きる意味も失っていた苦悩の日々と、二人が夢を忘れずあらゆる荒波を乗り越え、「逆転しない正義」を体現した「アンパンマン」にたどり着くまでを描きます(ヒロインのオーディションには3,365人が応募)。
国民的漫画の「アンパンマン」の生みの親として知られるやなせさんですが、ヒット作には長い間恵まれず、「アンパンマン」がアニメとしてテレビで放送され、ヒットしたのは69歳の時でした。遅咲きの漫画家が作品を通して常に自らに問いかけていたのは、 “何のために生きるのか” という哲学的な問いかけです。やなせさん自ら作詞したテーマソングには、子供向けとは思えない、深く哲学的なメッセージが散りばめられています。やなせさんは、「アンパンマン」を大人にも通じる普遍的な物語として描いてきたのです。「幼児の作品は、幼児用だというんでグレードを落とそうと考えるんです。文章も短くする。僕もそれを要求されましたが違う!全く違うんですよ。不思議な事に幼児というのは、お話の本当の部分が何故か分かってしまうんです。」なるほど!
同世代の手塚治虫さんたちが漫画の世界で活躍する一方、ヒット作に恵まれず、求められるまま、舞台美術、ラジオの構成・脚本、テレビの台本、商業デザイナー、ルポライター、TV番組の司会など様々な仕事を引き受けるようになります。ついたあだ名が “困った時のやなせさん” …。漫画家でありながら、仕事が全くなくなっていた時期に作詞した歌が「手のひらを太陽に」でした。やなせさんは夜仕事場で、手に懐中電灯を当てて遊んでいました。子どもの頃「レントゲンごっこ」というのをやっていましたが、血の色がよく見えました。真っ赤で、すごくきれいでした。自分に元気はなくても、血はすごく元気なんだなあと思って、それを書いた歌でした。でも「懐中電灯」では具合が悪いので、「太陽に」ということにしました。一番の歌詞に「ぼくらはみんな生きている、生きているからかなしいんだ」、二番に「生きているからうれしいんだ」とありますが、生きていなきゃあ、「かなしい」という気持ちになることもありません。そしてかなしみがあるから喜びがある。かなしみがあって喜びがあるから、悲喜交々(ひきこもごも)と言うのです。死んでしまえば、かなしいもうれしいもない。生きているからかなしいのです。生きているから、つらいとか、痛いとか、いろんなことがある。それは生きている証なのです。喜びよりもむしろかなしみのほうが強い。そういうわけで、かなしみを先に一番に持ってきました。かなしみというのはずーっと続くわけではありません。その後には喜びが待っています。幸福というものは、不幸せでなければ分かりません。不幸せになった時にはじめて幸福ということが分かります。普通にカレーライスなんかを食べていますが、食べられない状態になると、それがどんなに幸せなことだったかに気づくのです。辛い状況に置かれないと、その幸せは分からないのです。
「アンパンマン」の大ヒットまでには長い助走の年月がありました。四十代後半まで代表作がないまま、さまざまな仕事をこなしていました。宣伝部員、雑誌の記者、舞台美術、脚本家、構成作家、…。漫画家でありながら、漫画の仕事は少なく、自分の居場所を見いだせない日々でした。それでもひたすら、漫画を描き続けていました。その当時の心境は、「ぼくの道」という一編の詩にも込められています。
ぼくの道
荒れた砂丘を歩く
道は遠い
道に迷ったのかもしれない
不安をおさえてシャニムニ歩く
鉛筆の林
ケシゴムの丘
ペン先の森
日はくれかかって空はまっくら
それでもふしぎに心は楽しい
この道が好きだから
ぼくは歩いている
他になんにも方法がない
一足とびにあそこへいけない
『飛べ!アンパンマン』(1973年)は全く売れることなく、その存在すら長らく忘れられていた幻の作品です。主人公は、やなせさん自身を投影した、ヤルセナカスという売れない青年漫画家。青年はアンパンマンという漫画の企画を編集者に持ち込むものの 「こんなみっともない主人公ではうけませんよ。エロも欲しいし、怪獣も出ないんじゃね。売れないのは悪です」 とまで言われます。それは、やなせさん自身の嘆きそのものでした。そのアンパンマンとは、主人公がお腹がすいて倒れそうになっている時に現れた不格好なヒーロー。アンパンでできた顔を青年に差しだします。さあ、オレのほっぺたを少しかじれよ。遠慮するな。ガブリといけ。顔が欠けてしまったアンパンマンは、ヨタヨタと飛び去ります。自分を犠牲にしてまで誰かを救うヒーロー。やなせさんの考える真の正義が初めて作品となって描かれました。
「… お腹が空いた人にパンを…自分が食べたいけどそれをあげる。これは誰でもできる事なんだけど、自分が本当にお腹がすいて死にそうな時に果たしてそれが出来るのか…傷つかずして人を助ける事は出来ない。そういう事を言いたかったんです。」大人向けの暗い物語は、全く話題にもなりませんでした。しかし作品は想像もしなかった方向へと歩み始めます。出版社からアンパンマンを子供向けの絵本にするという企画が持ち込まれます。やなせさんは、迷いながらも要素をそぎ落とし、作品をシンプルに生まれ変わらせました。こうしてストーリーの基本的骨格が完成したのです。絵本の出版から15年後、やなせさん60歳の時にスタートしたアニメは大ヒットとなりました。
最晩年の やなせさんは、「まだやることがある」と格闘します。やなせさんは晩年、癌や糖尿病など様々な病と闘いながら創作活動を続けていきました。老いと葛藤しながらそれでも創作を続けようとします。限界を感じながらも現役を続けたのは、言葉の力を再確認する出来事に背中を押されたからでした。何の為に生まれて 何をして生きるのか。答えられないなんて そんなのは嫌だ!今を生きることで 熱いこころが燃える。だから君は行くんだ微笑んで。困難に直面した多くの人たちが、生きることを讃えた詩の一言一言に励ましを求めたのです。その後、やなせさんは病に冒された身体を押して、被災者の支援に乗り出します。直筆の色紙やポスターの傍らには、…「きっと君を助けるから」…と詩を必ず書き添えていました。
JR四国は2000年(平成12)から「アンパンマン列車」の運行を始めました。「アンパンマン」は高知県出身のやなせさんの作品で、その縁からアンパンマンの種々のキャラクターをラッピングした車両を運行し,話題となりました。現在トロッコ車両も含め21両が在籍しています。♥♥♥


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