「ダモクレスの剣」

 今日は勝田ケ丘志学館の授業で、 「ダモクレスの剣」(the [a] sword of Damocles)の話をしました。これは、「栄華を極めるものには常に死の危険が隣り合わせになっていること」を意味する、古代ギリシャの故事の一つです。

 イタリアのシシリー島南部の古代都市のシラクサは古代ギリシャ時代はギリシャの植民地で、ディオニュシオス2世が治めていました。その王様にダモクレスという男が仕えていました。王の立場を羨んでいた彼はある日、王位の幸福をほめそやしたところ、王が宴席に招き「それではダモクレスよ、おまえはみずからこの暮らしをちょっと味わって、私の幸福を経験する気があるか?」。彼がぜひやってみたいというと、王は黄金製の席に着くようにと命令し、食卓を金と銀で飾りました。「ではかわってみるか」と、ダモクレスに自分の着物を着せ、すばらしいご馳走を食べさせました。すっかりよい気分になったダモクレスでしたが、ふと頭上を見上げると、今にも落ちてきそうな一本の鋭い剣が髪の毛1本で吊してあり、王者には常に危険がつきまとっていることを悟らせた、というギリシアの逸話にちなんでいます。「王や権力者は常に地位を脅かされる立場にある。それでも私のような生活を望むかね?」と説いたところ、彼は二度と王の立場を羨むようなことはしなかったといいます。

 欧米で使われることが多く、故・J.F.ケネディ大統領が1961年9月25日、国連総会で行なった演説中に、人類は核という名の「ダモクレスの剣」の下で暮らしているという、剣(核兵器)を吊るす細い糸はいつでも切り落とされる可能性があることを喩えました。偶発核戦争の危機について述べたことで、この言葉は有名になりました。「地球のすべての住人は、いずれこの星が居住に適さなくなってしまう可能性に思いをはせるべきであろう。老若男女あらゆる人が、核というダモクレスの剣の下で暮らしている。世にもか細い糸でつるされたその剣は、事故か誤算か狂気により、いつ切れても不思議はないのだ」

 この場合、「ダモクレスの剣」の犠牲になるのは権力者だけではなく、全ての命であることは言うまでもありません。現代社会においては、「剣」は、芸能人で言えばスキャンダルでしょうし、人類というスケールであれば、環境問題であり核爆弾が相当するでしょう。物事がうまくいっているときこそ気を抜かずに、不慮の出来事に備えておかなくてはいけない、そんな戒めの表現です。こんな風に使います。

①「今、彼の会社は業績不振らしい。ダモクレスの剣の話が現実味を帯びないといいが」→彼も会社も絶好調だった時を経て、今や業績不振。倒産などの危機を、「頭上に剣が吊るされ、いつ切り落とされるかもわからない状況」である「ダモクレスの剣」に喩えています。

②「紛争地にいる人たちの頭上には、常にダモクレスの剣が吊るされています」→この場合、「ダモクレスの剣」の対象となるのは老いも若きも紛争地にいる全ての人たち、ということになり、ケネディの演説に近いと言えるでしょう。紛争地では誰もがいつも危険と隣り合わせですよね。今のイスラエルとイラン・レバノンの紛争はいつ第三次世界対戦になってもおかしくない一足触発の状況です。

③「健康だと思っていたが、今は病院通い。毎日、ダモクレスの剣の下にいるようなものだよ」→健康を害してしまい、悪化するかもしれない、いつか命に関わるかもしれない、という不安感や心配を、「ダモクレスの剣」に喩えています。私も毎月7軒の病院通いをしており、いつ病に倒れるかとビクビクしながら生活しています。

 私は現在の石破 茂総理大臣も、まさに「ダモクレスの剣」状態であると危惧しています。国民的人気を誇った政治家でしたが、ひとたび総理大臣になるや手のひらを返したように、今まで言ってきたことと正反対のことばかりやっておられます。これでは長続きしません。♥♥♥

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