クラーク博士

 札幌「羊ケ丘展望台」は、観光客のために作られた観光名所です。少年よ、大志を抱け ! 」(Boys, be ambitious!)で有名なクラーク博士像が立つ羊ヶ丘展望台」。私も札幌で講演をした際に行ってきました。札幌ドームを背景に札幌市街地を見渡せ、羊が草を食む牧歌的風景は全国的な知名度を誇っていますね。ここはどうしても来てみたかった場所でした。この「羊ヶ丘」、元々は国の研究施設で、戦前は月寒種羊場、戦後は北海道農業試験場として羊を飼育していました。しかし研究に支障が出るほど見物客が増えたため、1959(昭和34)年に敷地の一部に展望台をオープンすることとなったのです。面白いことにクラーク像にも同じような歴史があります。かつて北海道大学構内の胸像(観光タクシーの運転手さんによれば今は写真を撮ることも禁じられているそうです)に1970年頃観光名所になってしまい観光客が押し寄せてしまい、研究に支障が出るとして、大学が1973年に観光バスの乗り入れを禁止、観光客の減少を心配した札幌観光協会がその代わりとして、博士の来道100年にあたる1976年に、北大から離れた羊ヶ丘に新たに全身像が建立されたのです。展望台クラーク博士像にはこんな共通点があったのです。

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 羊が丘クラーク博士は、左手を腰に右手は遥かかなたを指差していますね。なかなか格好のよいポーズです。高さ2mの台座の上に立つ2.85mの立像なので相当大きい。指はどこを指し、何を意味しているのでしょうね。「少年よ大志を抱け」と無限の世界を指差しているのでしょうか?それとも指差している方向に何かがあるのかな、と視線を向けると、丸々太った羊がのんびり草を食んでいます。制作者によると、どこか特定の場所を指しているのではなく、「真理の探究」を象徴したものだといいます。それにしても何を意味してるのかなと不思議に思わせるのがよいところで、実に威風堂々とした立像です。生徒たちへの別れの言葉として「Boys, be ambitious(少年よ大志を抱け)」と告げた場所は札幌だと思われていますが、実際は北広島市旧島松駅逓所なんです。 

 クラーク博士(1826~1886)札幌農学校教頭に迎えられる前は、アマ-スト大学学長でした。日本政府に招かれて、学長を一時退き1年契約で来日しましたが、実際には8ヶ月ちょっとしか日本にはいませんでした。別に嫌になったから、帰ったのではありません。当時の契約ではドア・ツウ・ドアで、東部のマサチュセッツから大陸を横断して西部のサンフランシスコへ、そこから船で太平洋の荒波に揺られて横浜へ、そして札幌まで来るのに片道2ヶ月は要したのです。契約を全うして帰って行きました。明治9年のことです。熱烈なキリスト教精神に基づく教育を施しました。札幌農学校に到着したクラーク博士は、校長であった調所廣丈(ずしょひろたけ)から校則の内容を聞かされると、たちまち大声で怒鳴り声を上げたと言います。「こんなもので人物の教育ができますか!」 第一条これこれ、第二条これこれ……と学生を束縛するような型どおりの校則は、新しい日本人を教育しようと一年間の約束で赴任したクラーク博士にとって、無用の長物どころか、有害無益もののに見えたのです。「日本には吉田松陰先生のような立派な教育家がいたではないか。先生は、14,15歳の少年にも、決してこれを子ども扱いせず、その出入りに際しても丁寧な礼を交わしたというではないか。その精神が大切です。」――「じゃあ、どういうふううに校則を変えましょうか?」と校長が聞くと、「諸君は紳士である!その一言で十分でしょう」と答えたのです。この「諸君は紳士である!」という信念のもとに、札幌農学校からは、新渡戸稲造内村鑑三のような有為の人材が生まれることになりました。いい話でしょ?

 それにしても、なぜクラーク博士吉田松陰を知っていたのでしょうか?実は、『宝島』を書いた小説家のスチーブンソン吉田松陰について書いた伝記を読んでいたからでした。スチーブンソンの親類の技師が、島根県松江市に灯台を建てるために維新直後にやって来ました。そこで吉田松陰の話を聞き、帰国後にスチーブンソンに話した所、彼が伝記にしたのです。それから吉田松陰の名前は、世界的に知られるようになったのです。♥♥♥

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