みどりの窓口

 近年、「みどりの窓口」を閉鎖する駅が増えていますね。私の住んでいる島根県でも次々に閉鎖されていき、「みどりの窓口」があるのは、島根県ではJR松江駅だけです。今はスマホやパソコンで、切符を予約・購入する人が増えているからです。 それでも、まだ依然として「みどりの窓口」の利用者も多いわけですが(JR松江駅ではいつも大行列ができています)、この長年親しまれてきた「みどりの窓口」という名は、そこで発行される切符の色に由来します。

▲JR松江駅の「みどりの窓口」

▲JR米子駅の「みどりの窓口」

 「みどりの窓口」が登場したのは、1965年のことでした。もう60年の歴史があるんですね。「みどりの窓口」が登場した背景には、指定券の購入方法がシステム化されたことがあります。それまでは、なんと台帳で管理していました。指定券の購入の申し込みがあると、受け付けた係員が台帳がある管理センターに電話で問い合わせ、該当の日時の列車の台帳を探し出してもらった上で、座席状況を確認し、空席があった場合には空いている座席番号を確認して押さえ、その座席番号をあらかじめ印刷されたきっぷに書き込んで発売する、という流れだったそうです。台帳には発売済みの印をつけ、一元管理していたんですね。とはいえ、全て手作業でしたから、それはもう大変ですよね。そして、人間がする作業ですので、やはりミスも起こってしまいます。1960年代になると特急列車が増えたり、東海道新幹線が開通したりと、指定券の取り扱い件数の大幅増加に伴い、台帳管理方式では限界となり、管理システムが開発されました。現在では、この管理システムは「マルスシステム」と呼ばれ、座席ごとの指定券データを一括管理するデータベースと、窓口に置かれた端末機をオンライン回線で接続したものです。座席の予約の可否がすぐに分かるようになり、また重複して発券してしまうトラブルも回避できるようになりました。この聞き慣れない「マルス」Multi Access seat Reservation System」の略です(現在では再びMagnetic electronic Automatic seat Reservation System」の略に変更)。この端末が置かれた対面式の窓口が「みどりの窓口」だったんです。

 これまで台帳管理方式で発券していたきっぷは、赤や青が多く、マルスシステムで発券したきっぷが一目でわかるようにマルスシステムで発券するきっぷの色として採用されたのが「緑色」でした。そして、マルスシステム端末が置かれた窓口で発券されるきっぷの色が「緑」だったことから「みどりの窓口」という名前になったそうです。当時はマルスシステム端末が設置されている駅は限られており、駅員さんがいる対面の窓口があっても指定券が購入できるとは限らなかったことから、指定券を購入できる場所を「みどりの窓口」としてアピールする必要があったのです。

▲JR松江駅

 現在では、自身のスマホからオンラインでも指定券を購入することができるようになっていますよね。また「みどりの窓口」にかわり、「みどりの券売機」「みどりの券売機プラス」(テレビ電話つき!)という券売機が設置されるなど(写真上のJR松江駅)、駅においても対面でなく指定券が購入できるようになっており、それに伴い、「みどりの窓口」は閉鎖傾向にあります。また、JR東海管轄の駅では全ての駅の窓口で指定券が購入できるようになっており、従来のように「みどりの窓口」としてアピールする必要も乏しくなっていることから、「みどりの窓口」ではなく、「JR全線きっぷうりば」と表記されているんですよ。さまざまなものがオンラインや非対面での購入が可能となってきており、それは指定券であっても同じなんですね。そのため、淋しいことですが、「みどりの窓口」はだんだんその役割を終えていくのかもしれませんね。それでも「みどりの券売機」など、当初の指定券の色の「みどり」の名称は引き継がれていきそうですね。

 以上をまとめると、昭和30年代まで、国鉄の指定券や寝台券は、列車ごとの台帳で管理され、予約の時には、台帳を保有する駅や統括センターへ電話連絡をしていました。しかし、この方式では、予約完了までにかなりの時間がかかったばかりか、聞き間違えや書き間違え、さらにはダブルブッキングも少なくありませんでした。この問題を解決するため、昭和40年(1965)、当時の国鉄は指定席の購入をオンライン方式に切り替え、主要駅などにコンピューター回線を通じて指定席券を販売するための窓口が設置されました。それが、最初の「みどりの窓口」です。 そこで発券されるチケットの地紋は、薄い緑色をしていました。そこから、「みどりの窓口」とネーミングされたのです。♥♥♥

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