ナースログ

 「ナースーログ(nurse log=看護師の木)」という言葉があります。森の中で朽ちて横たわっている倒木のことです。主に森林生態学において使われる用語で、倒れた樹木や腐りかけの木々がその周囲の植物にとって栄養源や育成基盤となっている現象を指します。「ナースログ」は、新しい植物が成長するための足場や保護、さらには栄養を提供する役割を果たし、森林エコシステムの再生や維持に重要な役割を担っているのです。倒木は一見、ムダなもののように見えますが、コケや微生物を育み、土壌を豊かにするなど自然界の重要なサイクルを担い、森を生かしているのです。森を歩いているとよく分かるんですけれども、斧が入ったことがない、人が入ったことがない森、というのがそこらじゅうにいっぱいあります。それで土が露出していないで、シダやらなんかに覆われていますが、草とも苔ともつかないもので森の床全部が覆われています。それから風倒木が倒れて倒れっぱなしになっています。これが実は無駄なように見えて実に貴重な資源なのです。風倒木が倒れっぱなしになっていると、そこに苔が生える、微生物が繁殖する、バクテリアが繁殖する、土を豊かにする、小虫がやってくる。その小虫を捕まえるためにネズミやなんかがやってくる、そのネズミを食べるためにまたワシやなんかの鳥もやってくる、森にお湿りを与える、乾かない。そのことが河を豊かにする、と、もう全てがつながりあっているのですね。森に横たわった風倒木は、やがて虫たちの棲家となり、その虫たちを求めてヘビやカエルや鳥たちが集まってきます。また、苔が生えて水を蓄えたり、木の種が運ばれて根をはり、新しい木の命が育っていく「倒木更新」が行なわれたりします。 無駄な存在に見えていた風倒木が実は森を守っている、看護しているということで、看護する木「ナ-スログ」と言います。私たち人間も、一人一人がかけがえの無い命を生きています。そして、誰もが誰かの生きる支えになっています。無駄な人間なんか一人もいない、みんな誰かの大切な人なのです(「人」という字は互いに支え合っていますね)。

 だからあの風倒木のことを、森を看護しているんだ、看護師の役割をしているんだ。というので「ナースログ(nurse log)」と呼ぶんですけれども、自然界に無駄なものは何もない、という一つの例なんです。そうすると人間にとっての「ナースログ」とは何でしょうか?無駄なように見えるけれども実は大変に貴重なもの、というものも人間にはたくさんあるんじゃないか?それぞれの人にとっての「ナースログ」とは何か?無駄を恐れててはいけないし、無駄を軽蔑してはいけません。何が無駄で何が無駄でないかは容易には分かりません。ここが一つの目の付け所で、これは大事なことです。無駄なことしていると思うことはないのであって、いつかどこかでまた別の形で甦っているのかもしれないんです。

 この事実に気づかず、森から倒木を排除してしまったら、森はどんどんやせていくに違いありません。実は、企業社会という森の世界にも「ナースーログ」はあります。例えば、鹿児島県阿久根市にある「A-Zスーパーセンター」(1997年~、24時間営業、売り場面積2万㎡)は、釘一本から車まで生活必需品をフルラインで品揃えすることで好業績を上げていることで有名です。その数、実に35万品目。年間を通して、一つ売れるかどうかもわからないような商品まで常備しているのが特徴です。普通の流通業者は、効率を重視して、回転の悪い、売れそうもない商品はハナから仕入れないのが当たり前ですが、このAZ」ではムダな在庫になることを承知で、たまにしか売れない商品もきちんと仕入れて売っています。その姿勢がお客さんの圧倒的な支持を得て、人口2,4000人ほどの過疎の町にもかかわらず、年間650万人もの集客力を誇っているのです。ここの社長さんの考え方は実に面白いのです。いわく、「ムダが富を生む」。企業経営においてムダは排除されるべきもの、というのが常識ですが、この会社はあえてムダを抱え込むことで利益を上げているのです。「ムダとはいったい何か?」と考えさせられる話ではないでしょうか?

 もう少し卑近な例で考えてみましょう。たとえば、息抜きのための、ちょっとしたサボリの時間。これなども「ナースーログ」の最たるものだと思います忙しくて集中して働かなければならない時は仕事に没頭します。でも、ピークを過ぎたら少し休む。職場でぼーっとして過ごす時間がやはり必要です。それはなぜかといえば、ぼーっとすると意識が自由になります。いろいろなことがとめどなく頭に浮かんでくるからです。私が大好きで著書をむさぼり読んでいる新聞社に勤めていた頃の川北義則(かわきたよしのり)さんが自身を思い返してみても、ひと仕事終えたら、机で資料でも読むフリをしながらぼんやりしたり、暇そうな同僚を見つけてバカ話をしたりして、しばらくの間頭を空っぽにしてみるのでした。すると不思議なもので、面白いアイデアが浮かんだりして、またやる気が湧いてきます。適度な息抜きは張り詰めた緊張を一度ほぐして、また集中力を持って働くための大事なムダであり、「ナースログ」なのです。

 私が教員になりたての頃は、放課後の時間に先生方で将棋をやったり、野球チームのユニフォームを作って定期試験中に他校との交流試合をやったり、校内で分掌ごとのソフトボールやバレーボールの対抗戦をやったものです。生徒達もそれを喜んで観戦していました。教員の囲碁・将棋大会も盛んに行っていました。英語科では長期休暇になると、みんなで遠方(北海道・東北・九州等)へ研修旅行に出かけたものです。忘年会なども遠方の温泉を貸し切って泊まりがけで行きドンチャン騒ぎをやっていましたね。飲み会も頻繁にありました。松江北高体育祭では、3年生の担任が恥ずかしい恰好をさせられて、生徒の前でバカを演じるというのが伝統になっていました。「3年生を送る会」では、教員が手の込んだ出し物を演じるのも伝統で長い時間をかけて特訓をやったものです。深夜にカラオケボックスに呼び出されてみんなで練習をしたこともありましたっけ(本番では歌詞を忘れ恥ずかしかった…)。「ナースログ」がふんだんにあり、働くのが楽しい古き良き時代でした。

 しかし、現在の成果主義一辺倒の社会では、「周りは全てライバル、失敗は許されない」というプレッシャーの中で、職場からこのムダを許容する空気がどんどん失われてしまっています。それと共に、職場から個性的な人間やスケールの大きな人間が少なくなってきたように思います。効率化の追求、時間を無駄なく効率よく使って働かせるのは、大事な事ですが、それもやり過ぎれば社員のやる気をそぐだけです。「ムダをもっとなくせ!」で、職場はさらに萎縮し、余裕がなくなっていきます。失敗を恐れる余り、冒険をしなくなってきます。少しの息抜きも許さない徹底したムダの排除は、目先の利益の確保にはいいかもしれませんが、長い目で見れば、職場の雰囲気を悪化させ、集団の力を弱めるだけのような気がします。♥♥♥ 

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