ヘミングウェイ

 専門家の考察よりも素人の意見の方が当たることがあります。私が尊敬する故・渡部昇一先生のご専門は英語学でしたが、専門外の歴史・経済・政治畑の発言が、専門家たちよりもはるかに的を得ていました。そんな好例を外山滋比古先生『「マコトよりウソ」の法則』(さくら舎、2017年)の中で取り上げておられました。

 『武器よさらば』『老人と海』『誰がために鐘は鳴る』などで有名な、アメリカのノーベル賞作家・ヘミングウェイ(Ernest Miller Hemingway)が、1961年7月2日に自宅で亡くなった時のことです。たまたま、アメリカ文学専攻の教授がいて、その人はヘミングウェイの研究書を出しておられた専門家でした。他の人たちはイギリス文学の勉強をしている人たちでしたから、専門家の意見を聞いてみようということになりました。ヘミングウェイは病死したのではありませんでした。アメリカでも事情ははっきりしなかったらしく、事故死であるのか自殺であるか、分からないという報道でした。それを受けて日本でも、死囚に強い関心を示していました。この場でも、話題は当然この点に集中しました。イギリス文学を専攻している人間は、なんとなく自殺のような気がしていました。ショットガンの手入れをしていて暴発して死んだということに疑問をいだいていました。子どもではないし、手入れをしていた銃の暴発で命を落とすというのはちょっと考えにくいことです。はっきりしたことは分からぬまま、自殺だったように考えました。ヘミングウェイの研究者だった専門家は、強くそれに反対しました。ヘミングウェイに限って自殺するはずがない。彼の文体はハードボイルドと言われており、荒々しく男性的である。絶対に自殺はあり得ない。事故死だと強く主張しました。聞いていた人たちも、なんとなくそんな気になって別れたのでした。後になって分かったことでしたが、この専門家はアメリカのメディアの見方をそっくりと受け入れたものでした。アメリカでも、自殺か事故死か、はっきりしないまま、第一報を送ったようです。しばらくすると、遺書が出てきたこともあり、事故死説は消えるともなく消えて、自殺であったということになりました。事故死説のあの研究者は、以降一切黙して語りませんでした。ヘミングウェイは晩年、精神的な健康問題やアルコール依存症に悩まされており、これが彼の生活に大きな影響を与えていました。また、彼の家族には自殺者が多く、自身もその家計の一員として、精神的な苦悩を抱えていた可能性があります。どうして専門家が誤り、素人が正しい見方ができたのでしょうか?それは専門家が近すぎたからです。一部を見て全体を見落としたことになりますが、それは個人的誤りというより、インサイダーに近すぎたということなのでしょう。ロクに作品を読んだこともないような人たちは、アウトサイダーです。よけいな先入観がなくて、第三者的見方をする。そして、それが真実に近いということを見せてくれた一例として、面白いものでした。

 ヘミングウェイ自身どう考えていたかは分かりませんが、専門家の考えより、一般読者の受け取り方を彼は重視していたのではあるまいかと思われます。つまり、アウトサイダーに強い関心があったと想像される、そういう見方を裏づけるのではないかというエピソードが残っています。

 彼は若い時でなく大家といわれるようになってからも、書いた原稿をすぐ出版社に渡すようなことはしなかった、といいます。作品を書き上げると、ろくに読み返しもしないで、ひとまずそれを銀行の貸金庫へ入れます。大分時間が経ってから、それを取り出してきてはまた読み返します。いよいよこれでよしとなると、出版社に渡して出版します。もし、意に満たないようだと、また貸金庫へ戻すのです。こういうことを繰り返していれば、陽の目を見ない原稿が、どんどん増えていきますね。ヘミングウェイが亡くなったあと、貸金庫の原稿が大きなトランクいっぱい以上あった、と伝えられました。つまり、ヘミングウェイは自らの手で作品の古典化をはかっていた、ということです。もちろん、歴史によって生まれる古典ほどの時間は経過していません。しかし、貸金庫で寝かせておけば、おのずから、“風化”が起こります。好ましい変化であれば、それを出版する。しかし、風化が足りないと思えば、もうすこし時間をかけて置いておく。ヘミングウェイは、意識的に、みすがらの手で古典化を進めていたのかもしれません。もしそうなら、意識的古典化を試みたもっとも早い作者であったとしてよいでしょう。そういうわけで、ヘミングウェイが亡くなったあと、貸金庫からそういう未定稿がトランクいっぱい出てきて世間をびっくりさせました。これを出版社が放っておくわけがありません。何件もの作品が相次いで出版されました。名作が生まれるのではないか、と考えた向きも少なくなかったと思われますが、ほとんど話題になるものはありませんでした。作者自らによる古典化に漏れたものは、他者によっても古典化することはできないのではないかと思われます。それにしても、原稿を貸金庫に入れて熟すのを待つ、というのは、いかにもアメリカ的と言わねばなりません。

 寺田寅彦(てらだとらひこ)のお弟子さんがどこかに書いておられて読んだことがありますが、寅彦は、雑誌などから原稿を依頼されると、締切りはまだ一ヵ月も先なのに、すぐに書いてしまうんだそうです。もちろん研究論文ではなく、随筆のような文章ですが、締切りまで延ばしていてもいいものが書けるという保証はありません。むしろ、書いてみたいという気持の起こっているその時がもっともいい時期なのかもしれません。依頼した人の意図もまだはっきりしています。それにゆとりもあります。急ぐ必要はなく時間はたっぷりあるという気持でペンをとるから、考えがのびのびと展開します。期日ぎりぎりまでに追いつめられて書くよりははるかに有利です。寅彦はそうしてざっと書き上げたのを引き出しに入れておいて、締切りの直前になって出してきて、手を入れて編集者に渡していたといいます。

 小説家・横光利一(よこみつりいち)も、風を入れることを実行していたといいます。編集者が原稿を取りに行くと、横光は机の引き出しから原稿を取り出して、読み返し、直す。短篇とは言え小説ですから、かなりの長さですが、編集者を待たせておいて、推敲したそうです。なぜ、書き上げてすぐ読み返さないかについて聞かれた際に、直後では、まだ頭が興奮していて冷静に読めないから、わざとそのままにして、なるべく長く置いておくのだ、と説明したといいます。

 こういった話を聞いてから、私も書いたブログの原稿をそのまま掲載するのではなく、一定期間寝かせておくことにしました〔笑〕。今日「管理画面」を確認してみると、下書き原稿が2,655本登録されています。これを適当な時期に何回かリニューアルしたり、加筆・修正を加えたりして公開しています。果たしてその効果のほどは……?♥♥♥

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