渡部昇一先生のエピソード(46)~奥様から見た渡部昇一

 尊敬する故・渡部昇一先生の奥様・迪子(みちこ)さんが、『終生 知的生活の方法~生涯、現役のままでいるために』(扶桑社新書、2018年)の中で、在りし日の渡部先生の想い出を語っておられました。次のようなものです。

 「口より実行」。渡部昇一の知的生活のコツといえば、この一言に尽きるのではないでしょうか。たとえば健康法。主人は真向法という柔軟体操と、英語の原書を音読する発声を日課にしていましたが、毎日厳密にやるのではなく、「できない日があっても構わない」くらいの調子でやっていました。「これとこれはきっちりやる」と決めてしまうと、できなかったときにイヤになってプツンとやめてしまう。だから二、三日やらなくても気にしない。そのほうが、「しばらくやっていないなあ」と気軽に戻って来られる。いい加減にやったほうが長続きすると言うんです。

 子供たちに対しても、理詰めで接することはありませんでした。学校の成績が悪くても気にしませんし、忘れ物をしても叱りません。子供が忘れ物をするのは普通のこと。子供の頃の成績が人生を決めるわけじゃない。そう言って、テストで悪い点を取っても担任に何を言われても、涼しい顔をしていました。

 長男が音楽の道に進もうしたときも、「好きなことをすればいい」と背中を押してやっていました。 音楽家のような不安定な仕事に就くのを反対される親御さんもいますが、主人は「うまくいかなかったら、トラックの運転手でもなんでもすればいい。今の日本では食いっぱぐれて死ぬようなことはない。やりたいようにやりなさい」と。子供の将来も、あれこれ言うより実行することを重視していたのだと思います。

 主人は最後、自宅で亡くなりました。病院に通うのを嫌ったので、お医者様に来ていただいていました。我慢できないほどの痛みがあったようですが、痛み止めのモルヒネは最小限に抑えていました。モルヒネを使うと頭が朦朧としてしまい、時間もわからなくなるし、何も考えられなくなってしまう。不覚なことはしたくない。責任の取れない言動はしたくない。そう考えていたからです。

 少しでも痛みが和らげばと、私と娘が主人のふくらはぎをさすっているとき、主人は「俺は世界一幸せな男だ。家族にこんなにしてもらって本当にありがたい」と何度も言っていました。家族に感謝の言葉を伝えることも、主人らしい「口より実行」だったのかもしれません。

                               渡部迪子

 先生にはずいぶん子供っぽいところもあったそうで、人を驚かせるのが大好きで、陰から突然「わっ!」と言って現れびっくりさせたりしました。新婚の頃は、わざわざ風呂桶の中に隠れてふたをしておいて、奥様が開けたら「わっ!」てやる。奥様が驚くと、「いつも悪いことをしている人間が驚く」と言われました〔笑〕。奥様も仕返しに驚かそうと思っていろいろやってみられましたが、先生は確かに驚かれませんでした。エレベーターから降りてきた時、陰から「わっ!」ってやっても全然驚かれませんでした。子どもを驚かせる時は本当に楽しそうだったとのことでした。

 先生はそれこそ大変な読書量でしたが、マンガもよく読んでおられました。好きだったのが「ゴルゴ13」「ドラえもん」でした。「ドラえもん」は、のび太クンのかわりになんでもドラえもんがやってくれるので教育上よくないと言う人もいましたが、先生は「ムシのいいことを考えることは、すごくいいことだ」と言われます。ムシのいいことを考える人のほうが絶対いいことが起こる、という信念を持っておられたので、面白かったのかもしれません。テレビドラマも、『相棒』のようなパターンが決まっているものが好きで、喜んで観ておられました。松本清張も好きでした。全集を揃えておられ、ドラマや映画もだいぶ観ておられました。「松本清張はサスペンスの骨組みが緻密で『違う』んだ」とよく言っておられました。横山秀夫の警察小説も好んで読んでおられましたし、楽しいことは決して嫌いではありませんでした。

 雑誌『WiLL』2017年7月増刊「歴史通」『追悼「知の巨人」渡部昇一まるごと一冊永久保存版』(ワック)の中でも、奥様が「30回目のお見合いも結婚」と題して先生の想い出を語っておられます。それによれば、先生がなんと30回目のお見合いで奥様とお会いした時、「おれは見合いをするのは30回目だ。断った女は見る目がない」と言われたそうで、なんて自信のある人だろうと呆れたと言われます。しかも奥さんにする女性のチェック項目のようなものを持っておられて、「英語ができる人」とかいろいろな条件が書いてあって、自分はそれに全部当てはまらなかったから、どこが気に入られたのか分からない、と回想しておられます〔笑〕。デートの時も、普通は男性が支払いをするものなのに、家計簿をつける癖をつけさせようと思われたらしく、奥様と千円ずつ出して、収入が二千円、支出が二人でコーヒー百円とか、「このノートに書きなさい」といった変わったデートだったそうですよ。

 あまり身なりを気にするとか、背広を何着も仕立てるとかいうことはありませんでしたが、ベレー帽が大好きでいっぱい持っておられたといいます。いつも構わないでいる髪の毛を隠せるからなのかどうか分かりませんけれど、おしゃれのためだったかもしれません。自分なりの哲学というほど大げさなものではありませんが、服装に関しても、自分のスタイルというものがあったようです。散歩に行く時はこのズボンをはいてベレー帽をかぶってステッキを持って……というように。家では褞袍(どてら)を着ておられました。もうずっと同じ格好です。歩き方が独特で面白かったといいます。ちょっとO脚で、お義父さんと同じ歩き方をする人でした。先生と義父が話をしていると、鶴岡の方言でしゃべられるものですから、何を話しているか奥様にはさっぱり分かりませんでした。しかも、耳が遠いから、喧嘩しているのかと思うほど大声で話されました。そう言えば、二人は脱いだ靴の並び方も同じだったんですよ。そういうことを思い出すと、やはり寂しくなると、振り返っておられましたね。貴重な証言です。

 迪子(みちこ)さんは、先生の勉強の「後押し」をされる女性でした。奥様のお父様は学問が好きで、本を大切にする人で、娘の頃からそのような父親の姿を見てきて、本は重んじるべきものであると考える感性を育んでこられたのでしょう。奥様は、渡部先生「本を買うな」と言われたことはただの一度もありませんでした。先生が若い頃、こんなことがありました。結婚して間もない頃、先生はDNB『大英人名辞典』Dictionary of National Biography、英国人で顕著な功績を残した故人についての詳しい伝記を事典形式に編集したもの、22巻)を買うか買わないかで、迷っていたことがありました。当時、新刊で買うと月給よりもずっと高かったので、ずいぶん購入を迷っておられました。そうしたら、奥様が「あなた、何を悩んでいるんですか」と言われます。「DNBという事典を買いたいんだが高くてね」と言いますと、「それは勉強に必要なものですか?」と聞いてこられました。「そりゃあ、あればうんと助かると思う」と答えると、「おかしな人だ。男が自分の役に立つことが分かっている本を、買うか買うまいか迷うとは、おかしな人」と笑われてしまいました。そうまで言われて、DNBを買わないでいると奥様に軽蔑されそうだったものですから、すぐに買いました。こんなふうに、奥様は本については非常に寛容でした。以来先生は、欲しい本を買うのに躊躇したら奥様に軽蔑されるのではないか、という学者にとってはまたとない幸せ(?)に浴することになるのです。どんどん本を買っていかれて、書庫に個人の蔵書としてはとんでもない量の本を所有されることとなりました(15万冊、個人の蔵書としては世界一)。さすがに、本がだんだん増えすぎて、書庫に積み上げるだけでなく、ついには応接室にまで本が溢れ出した時には、居住地を侵された奥様は、本が増えることに警戒感を示されるようになりました。本のせいで、友人たちを呼んだりホームパーティの開催も不便になってしまったものですから、奥様は「この家には本権はあるけれども人権がありません」などとこぼされるようになります。奥様の主張ももっともなものでした。しかし結果的には、それがさらに大きな書庫を備えた現在の家を構えるきっかけになったのですから(77歳で2億円を超える借金をして新築!)、やはり奥様は渡部先生の背中を押す人だったのです。再び本に対して寛大な姿勢を見せておられました。♥♥♥

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