「カフェーパウリスタ」

◎週末はグルメ情報!!今週はコーヒー

 コーヒー好きの私は、美味しいコーヒーには目がありません。全国に美味しい喫茶店があると聞くと、飛んで行って味わっています。今までに飲んだコーヒーで一番美味しかった思い出は、教員に成り立ての頃に、神戸「UCC本社」でいただいたブルーマウンテンコーヒーでしたね。あれはもう絶品でした。奈良「奈良ホテル」の喫茶のコーヒーも美味しかったです。神戸「にしむら珈琲」京都「イノダコーヒ」もファンなんです。

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▲落ち着いた銀座「カフェパウリスタ」の店内

 私は東京を訪れる時には、時間があると必ず、銀座「カフェーパウリスタ」に立ち寄り、美味しいコーヒーをいただきます。地下鉄・銀座駅から新橋方面に徒歩約5分。お店も落ち着いた雰囲気で、のんびりとくつろぐことができます。味、香り、ともに優れたバランスを持つたぐいまれなコーヒーなんです。「森のコーヒー」という名前で販売されています(70万人以上に愛される)。明るく爽やかな酸味、素晴らしい甘み、豊かなコク。発売以来、多くの方に愛され続ける理由のひとつに、「農薬・化学肥料不使用」があげられます。農薬を使用しないでブラジルの高地で育まれた“やさしい”味を楽しむことができるんです。現地に自ら足を運び、安心・安全を徹底した信頼できる生産者と契約。直接仕入れた良質な豆の風味を生かすため、自社工場で丁寧に焙煎しています。その味は、ブラジルのカップテイスターによる格付けで、常にトップクラスの評価を得ています。「『森のコーヒー』の最大の特徴は、自然の甘味と、その味わいを邪魔する雑味がきわめて少ないことです。ですからブラックコーヒーは苦手だけれど、『森のコーヒー』なら飲めますというお声をたくさんいただきます。これは豆の持つ甘味が、飲んだ後も口の中にやさしく残るからです」長谷川社長は語っておられます。飲んでみると、すとんと滑らかに喉に落ちてくるような優しい味です。酸味控えめで、コーヒーの甘味や旨味をじっくりと楽しむことができます。ということで、東京‥銀座のお店でこの「森のコーヒー」の虜になった私は、長年毎月直接届けていただいているんです。

▲届けてもらっている「森のコーヒー」

 喫茶店は高度経済成長期に増え、1981年には全国に15万4,630店もありました。その後は減少傾向で、2021年に、日本に喫茶店は5万8,669店となっています。その中でも、銀座の「カフェーパウリスタ」は特別な存在です。三越和光の銀座4丁目父差点から中央通りを新橋方向へ。7丁目交差点を越えたところに「パウリスタ」はあります。創業114年の名店で、現存する喫茶店では最古の店です。あの大隈重信の協力を仰ぎ、明治44年の開店当時、コーヒーを知る日本人はほとんどいませんでした。燕尾服、シルクハット、白手袋と。正装の店員が銀座の路上に出て、「鬼の如く黒く、恋の如く甘く、地獄の如く熱き」とキャッチフレーズを記した試飲券を配る光景が話題を呼びました。「清新な朝食は一杯五銭のブラジルコーヒーとトーストパン フレンチトースト」との新聞広告も。白亜の3階建ての洋館で、店に入ると北欧風のマントルピースのある広間。大理石のテーブル。ロココ調の椅子。海軍の下士官風の白い制服を着た美少年の給仕が銀のお盆に載せたコーヒーをうやうやしく運んできます。西洋文化のハイカラさに魅かれ、一杯5銭という破格の安さもあり、多い日は1日4千杯ものコーヒーが出るほどの盛況でした。芥川龍之介菊池寛与謝野晶子永井荷風森鷗外など、大正では文化人のたまり場になりました。芥川作品には「饒舌」などで、「パウリスタ」が登場します。昭和53年、ジョン・レノンオノ・ヨーコが3日連続で来店したのも有名ですね。2人が座った席のテーブルは今も往時のままに残っています。

 「パウリスタ」の創業者は水野 龍「ブラジル移民の父」と呼ばれる自由民権運動家です。日露戦争後の景気悪化で海外移民政策が国策の時代。移住事業に賛同した水野は私財を投入し、最適な移住先はブラジルだと確信して実現に奔走しました。12年間で3千人近いブラジル移住を実現したのです。移住事業で赤字を抱えた水野に、ブラジルは大量のコーヒー豆を無償提供しました。日本にブラジルコーヒーを普及させることは、移民の血と汗の結晶を日本で共有することと考えた水野「パウリスタ」を創業しました。日本茶しか飲んだことのない人々にブラジルコーヒーを安価でふるまいました。ポルトガル語で「サンパウロっ子のコーヒー」を意味する「カフェーパウリスタ」にとっての価値は「儲け」より、同胞移民の苦難の実りの価値を高めることでした。

 全国に20超の店舗を展開するまでになった「パウリスタ」でしたが、第一次大戦後の反動不況で経営が悪化、さらに関東大震災で都内店舗が全壊しました。ブラジルからのコーヒー提供契約も切れ、事業は大幅な縮小を余儀なくされました。店舗は小売り、焙煎業者として再出発します。昭和45年に現在の銀座8丁目で店舗を再開するまでに48年も要しました。時代はチェーン店全盛期です。「コーヒー戦争」と呼ばれる激戦地が各地に出現しました。ドトールスターバックスなどが千店、2千店と店舗を拡大していくのに対し、「パウリスタ」は正反対の路線を貫きます。立地と空間、そしてコーヒーの質が「パウリスタ」の全てでした。現社長、長谷川勝彦(64歳)はコーヒーの仕入れ先を商社に任せず、自らブラジル、ペルー、コスタリカ、ニカラグア、エチオピアへと足を運び、上質な篤農家を探し続けます。信頼できる生産者と契約し、直接仕入れた良質な豆の風味を生かすために、自社工場で丁寧に焙煎しています。原料豆には、自然の森を残しました。ブラジルを中心とした農園で、化学肥料・農薬不使用で栽培し、未熟豆を分別し、完熟豆だけを厳選しているので、効率は悪いのですが、豆の味わいが力強く、雑味がない美味しさです。ブラジルのカップテイスターによる格付けで、常にトップクラスの評価を得ています。酸味が爽やかで、甘みが長く口に残り、ゆっくりと消えていきます。「パウリスタ」のコーヒーは他では飲めない、銀座でしか味わえないからこそ、価値が高まるのです。森のコーヒー」という銘柄で、①カップテイスターの味覚格付けで常にトップクラス、②農薬不使用の生産者グループの手により栽培、③ブラジル有機認証団体やドイツ有機認証団体の認定書付きのコーヒー原料豆を100%使用、④カフェーパウリスタが農園から直接買い付けた産直品、⑤完熟した豆のみを一粒一粒手作業で収穫し、未熟な豆は選別除去、⑥乾燥工程の70%が天日乾燥、最後の仕上げの30%のみを機械乾燥、⑦伝統の技法で自社焙煎、などの際立った特徴を持った、農薬不使用の完熟豆で作られたこだわり抜いた上質の美味しいブラジルコーヒーです。

カフェーパウリスタで飲んだコーヒー

▲「カフェーパウリスタ」のコーヒー 1杯900円

 その「パウリスタ」は、平成半ばに、散々な騒動「銀ブラ論争」に見舞われます。「銀ブラ」といえば「銀座をぶらぶらする」が定説ですが、一時期社長を務めた長谷川の叔父が「銀座でブラジルコーヒーを飲む」が語源との説を提唱し、大正時代に「パウリスタ」に通い詰めた三田文学の慶応大学生から発祥した、としました。これに辞書編集者が「根拠がない。誤説」とかみつき否定し、大論争に発展します。「銀座でブラジルコーヒー」説を店のPRにも使っていた「パウリスタ」は全国紙に「間違いだ」と全面否定の記事を書かれました。長谷川はネットなどで「ウソつき」と批判され、信用にかかわる事態に発展します。「銀ブラ発祥地」説を封印し、HPからそのくだりを削除し、店のパンフレットも回収せざるを得なくなりました。「証明できる資料がそろっていない」という学術的な否定論はその通りかもしれません。「パウリスタ」に文人が集まり、彼らに憧れる学生が毎日のように来店し、文化の粋を吸収する濃厚な知的サロンとしての時代がかつてあったことだけは間違いありません。「銀座でブラジルコーヒーでも飲もうか」。そんな会話があちこちで交わされたことでしょう。当時、コーヒーは日本人に縁遠いものでした。それが今や世界4位のコーヒー消費国です。「パウリスタ」が果たした役割には大きいものがあります。ここで働いた給仕や焙煎職人が独立し、各地でコーヒー事業を興して日本のコーヒー文化を複層化させたことも今につながっています。キーコーヒーを創業した柴田文次もその一人でした。新任のブラジル大使は、東京に着任すると必ず「パウリスタ」を訪ね、ブラジルコーヒーを飲むといいます。社長の長谷川「パウリスタ」のアイデンティティーを守りつつ、自身が開拓した世界のコーヒー農園、篤農家と消費者をネットでつなげ、互いを理解し合える場を作れないか、と思案しています。 銀座はすっかり変わりました。ブランドショップに覆われ、個人経営の喫茶店は消えました。大きな声で外国語が行き交います。人々が歩くスピードも速い。「銀座でブラジルコーヒー」の頃とは時間の流れ方が違います。それでもブラジルに渡った同胞の果実を紡ぎ、100年前に日本にコーヒー文化を根付かせた存在がたった一つ、今も銀座でブラジルコーヒーを提供し続けているのを見ると、その営みがほとんど奇跡のように思えてきます。

 いつもコーヒーと一緒に届き、楽しみに読ませてもらっている「カフェパウリスタ森のコーヒーだより」は、「パウリスタ」の現地農園レポートです。♥♥♥

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