「京都タワー」景観論争

 1964年、東京ではオリンピックが開催され、東海道新幹線が開業し、京都が大衆観光の洗礼を受けていた真っ最中に、京都の玄関である京都駅の真正面に高さ131メートルの「京都タワー」が誕生しました。今やすっかり京都の顔になったタワーですが、50年経とうが、60年経とうが、京都で最も京都らしくない建築物であることには変わりはありません。こんなに「らしくない」ものを玄関口に置くことを、よく当時の京都人は承知したものだと思いますが、このタワーの誕生は決して順風満帆と言えるものではありませんでした。オリンピックを機に京都にやって来る海外からの観光客を迎えるために、京都の政財界の後押しで観光振興と都市の近代化の象徴として進められた大事業でした。おりしも1958年に東京タワー、1961年に横浜マリンタワーと、日本の大都市でタワーの建設が相次いでいた頃でした。

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 「京都タワー景観論争」は、1964年の「京都タワー」建設時に巻き起こった、日本の都市景観論争の先駆けとも言える歴史的な出来事です。当時、古都・京都の玄関口に突如として現れた「鉄骨を使わない白いタワー」は、街の調和をめぐって世論を真っ二つに割る大騒動となりました。「東寺の塔より高い建物は建ててはいけない」という京の不文律を破るこの計画は激しい議論を呼ぶことになります。主な対立軸は、「伝統保護(古都の風格)」 vs 「近代化(観光・経済発展)」 でした。反対派の意見(文化人・建築家・一部市民)としては、「東寺の五重塔を見下ろすような高い建物は、古都の景観を破壊する」「京都は歩いて見る街であり、上から見下ろすものではない」「デザインが低俗(ビルの上にタワーを乗せる形)であり、コマーシャリズム(商業主義)の象徴だ」「卑俗な観光塔」「京都の雰囲気を壊す」「文化財都市にふさわしくない」「工業的で無機質」 賛成派の意見(京都市・商工会議所・開発業者)としては、「駅前を近代化し、観光客を呼ぶためのシンボルが必要」「エッフェル塔も当初は反対されたが、今はパリの象徴。京都タワーもそうなるはずだ」「山に囲まれた京都では、この程度の高さ(131m)は自然景観に大きな影響を与えない」文化人を中心に反対運動が起こり、今までにはなかった都市景観をめぐる大きな論争へと発展しました。「京都らしさ」とはどうあるべきか?という根本の問題提起でした。千年の歴史をもち、わが国が世界に誇り得る古都の観光タワー建設をめぐり、計画の発表前後から多くの知識人や市民の間に起こった論争でした。太平洋戦争の末期、当時敵国であったアメリカのウォーナ一博士の提言により、京都は戦災から免れることができたのに、商業主義による「京都タワー」は、著しく京都の伝統を踏みにじるものである、というのが争点でした。この建設計画に対し、フランス人のJ・P・オーシュコルヌ氏による京都市長宛の建設反対の覚え書きを端緒に、反対運動は一気に広がりを見せました。これに呼応して、「京都を愛する会」が結成され、マスコミ、市民団体、芸術家、文化人たちがこぞって反対の意を表明します。彼らは、京都の美観が商業主義によって損なわれることに熱い思いで抵抗しました。特に、「京都は高さよりも水平の美を重視する都市」という価値観が強く、タワーの存在自体がその思想と対立したのです。この論争は、単なる建築物の高さの問題に留まらず、「古都とは何か」「京都らしさとは何か」という、京都のアイデンティティそのものを問う激しい議論となりました。反対運動が十分に市民にまで浸透しなかったこともあり、結局は1964(昭和39)年京都駅北口に、ホテルとその屋上に展望タワーが完成しました。京都駅の中央口を出ると、正面に見えるのが地上高さ131メートルの「京都タワー」。伝統的な木造建築が並ぶ古都の空にそびえ立つ異物として、多くの人々に衝撃を与えました。鉄骨を一切使わない「モノコック構造(応力外皮構造)」という当時最新の航空機技術が使われており、円筒状の鋼板をつなぎ合わせた非常に珍しい作りをしています。

 タワーだから電波塔なのだろうと勘違いされることも多いのですが、「京都タワー」にはその役割はなく、純粋に観光施設です。展望台をはじめ、ホテルや温泉、飲食店、土産物店、など観光客向けのテナントがぎっしり詰まった観光雑居ビルです。巷では、「京都タワー」のデザインはお寺や仏壇のお灯明(ろうそくの火)をイメージしたものだとよく言われるのですが、これは都市伝説です。実際には、これは「海のない」京都の街並みを海に見立てて、それを照らす灯台をイメージしたものでした。

 この「京都タワー景観論争」は単なる建物の是非ではなく、●伝統vs近代化 ●美意識vs経済発展 ●保存vs利用 といった普遍的なテーマを含んでいました。「京都タワー」の経験は、その後の京都の都市政策に大きな影響を与えています。「建物の高さ制限」「景観条例の整備」「屋外広告の規制」などが強化されました。

 遠方から帰ってきた際に、タワーが見えると「京都に帰ってきた」と安心感を得る市民が増え、今では京都を象徴する景色の一部として観光名所として受け入れられています。夜景などの魅力も評価されています。「京都で一番景観が良い場所は京都タワーだ(なぜなら、そこからなら京都タワーが見えないから)」という、かつてのエッフェル塔と同じようなジョークも語り継がれています。京都駅に降り立つ度に、カメラを向けてしまう八幡です。

 そうそう、1993年の怪獣映画「ゴジラvsメカゴジラ」で、ゴジラの吐く青白い放射熱線で破壊された京都のシンボルが「京都タワー」でした。♥♥♥

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