クロマティ事件

 熱狂的な巨人ファンの私には、絶対に忘れることのできない屈辱の事件があります。悔しくて悔しくて。まだ30代だった私が信じられなかった野球観が180度変わるプレーでした。1987年11月1日巨人対西武の日本シリーズ第6戦です。私は「クロマティ事件」と呼んでいますが、「辻発彦の伝説の走塁」です。西武球場で行われたこの一戦は、西武が3勝2敗で日本一に王手をかけていた試合でした。

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 8回裏、西武が2-1と1点リードの場面です。2死一塁で打席に秋山幸二。一塁走者は辻 発彦でした。はこの直前に三遊間を抜くヒットで出塁していました。秋山の打球は、センター前ヒット、やや左中間寄りへ。普通なら、が一塁 → 二塁 → 三塁、秋山が一塁という「一・三塁」になるところです。

 事前ミーティングでクロマティのところへ打球が飛んだら、二塁走者なら必ず本塁に行けるし、一塁走者はセンター前ヒットでも三塁に行くチャンスがあると聞いていた。しかも、秋山の打球は左中間寄り、クロマティは左投げで送球が投げづらかったはずだ。三塁・伊原コーチが腕を回していたので、迷うことなく三塁を蹴った。(辻  発彦)

 ところが、ここで信じられないことが起こります。秋山の打球を見たは、二塁へ向かって全力疾走。このときの頭には、シリーズ前の西武のスカウティング情報がありました。それが、「クロマティの守備は狙える」というものです。当時の巨人のセンター、ウォーレン・クロマティは打撃では超一流でしたが、守備、特に外野から内野への返球が緩慢になることがあったのです。三塁コーチの伊原春樹も、その癖を徹底的に研究していました。伊原は後に、ランナーがいないときからクロマティの返球がいつも山なりだったことに注目していたと語っています。ランナーがいる場合でも、素早い返球になっていないことを確認し、「これは使える」と考えていたのです。

 は二塁を回るところで、クロマティの動きを見ています。そして、「これは三塁まで絶対に行ける」と判断。ここがポイントです。クロマティは捕球後、すぐに鋭い返球をするのではなく、ゆっくりとボールを処理してから、遊撃手の川相昌弘に山なりのボールを送ったのです。は二塁を回ったところで、三塁コーチャーの伊原を見ます。すると伊原は……腕をグルグル回している。「三塁で止まるな。ホームまで行け!」という合図です。普通なら、ここで一瞬ためらって「ホームまで行ったらアウトになるんじゃないか?」と考えてしまうところです。ところがは違いました。後に自身が、「伊原さんの感じを僕が受け取って」そのまま減速せずに走った、と振り返っています。しかも二塁を回った後は、クロマティの姿は見えなくなります。つまり、「クロマティが今どういう返球をしたのか」を確認できません。それでも伊原の判断を信じて、三塁を全速力で回って、そのままホームへ突っ込みます。

 実は巨人側にも「一瞬の判断ミス」があったのです。ここが非常に面白いところです。クロマティの返球は、遊撃の川相昌弘へ。ところが川相は、打者走者の秋山が二塁へ進むことを警戒していました。つまり川相の頭の中では、「秋山を二塁に進ませない」ことが優先されていたのです。一方、はすでに三塁を回っています。川相がボールを受けたとき、川相の背後側。川相は一度、打者走者・秋山のほうを意識して体を動かすことになり、ホームへの送球が遅れたのです。自身も後年、この点を「巨人の失敗」と分析しています。つまり、クロマティの緩慢な返球→川相が打者走者を警戒→への送球が遅れる→がホームイン、という連鎖だったわけです。

 川相からホームへ送球。しかし、もう遅い。捕手・山倉和博が捕球したときには、はホームに滑り込んでいました。西武3-1 巨人。は立ち上がって、ガッツポーズ。これが日本シリーズ史に残る、「辻の伝説の走塁」です。そのまま9回を工藤公康が抑えて西武が日本一を決めています。『週刊ベースボール』の記事によれば、この1点を森祇晶監督「5点に匹敵する」ダメ押しの1点と評価した、と語っていました。

 実は「偶然の好走塁」ではなかった、ここが一番重要です。このプレーは、単に「クロマティがボーッとしていた → 辻が走った」という話ではありません。西武は日本シリーズ前から、クロマティの守備を攻略ポイントとして研究していたのです。は後に、日本シリーズのミーティングで「クロマティが穴だから、そこは突いていくぞ」と言われた、と明かしています。つまり、スカウティング → ミーティング → 辻の判断 → 伊原の判断 → 辻の全力疾走が一本につながったプレーだったのです。だから単なる「クロマティの怠慢守備」というだけでは、このプレーの本当の凄さを説明できません。

 このプレーはクロマティにとってもかなりショッキングな出来事でした。巨人の名二塁手だった篠塚和典は後年、クロマティはこの日本シリーズで「恥をかいて」、その後、守備への意識が変わった、と語っています。実際、クロマティはこのシリーズ後、スローイング練習でも以前よりしっかり投げるようになり、守備への意識が明らかに変わったそうです。つまり、この一件は、「クロマティの守備の弱点が全国に知れ渡った事件」であると同時に、「クロマティ自身の守備意識を変えた事件」でもあったのです。

 この試合には、もう一つ有名な場面があります。9回表、工藤公康が巨人打線を抑え、西武の日本一が決まる直前、一塁を守っていた清原和博が涙を流していました。はその清原に近づき、肩に手を置いています。PL学園の後輩だった清原にとって、ドラフトで指名されなかった巨人との日本シリーズには特別な思いがありました。そしてそのまま西武が4年ぶり4度目の日本一。だからこの第6戦は、

清原の涙

辻の伝説の走塁

工藤の完投

西武黄金時代の完成

という、1980年代プロ野球を象徴するような試合になりました。

 「クロマティの緩慢な返球が原因」ですが、本質は「西武がクロマティの弱点を事前に研究し、それを辻と伊原が一瞬の判断で完璧に実行したプレー」でした。実際、西武ライオンズ自身もこの走塁について「野球の質の違いを見せた1プレー」と位置づけています。なお、このプレーには、伊原春樹コーチが事前に作っていた「クロマティ攻略メモ」という非常に面白い裏話があります。これは今回の「伝説の走塁」を理解する上でかなり重要です。

 伊原は1987年、セ・リーグを独走していた巨人が日本シリーズの相手になると予想し、テレビで巨人戦をかなり細かく観察していました。そこでクロマティについて見抜いたのが、「クロマティの返球はいつも山なり」という特徴でした。特に、ランナーがいないときには、クロマティが外野から内野へふわっとした返球をすることが多い。ランナーがいると多少急いで投げるものの、伊原から見ると、それでも「ホワーンとした」送球だったといいます。そして伊原は、これを単なる「クロマティは肩が弱い」という話ではなく、「これは日本シリーズで使える」と考えていたのです。

 さらに、伊原が見抜いていた「川相の癖」があります。実は、クロマティだけを研究していたわけではありません。中継に入る遊撃手についても、伊原は鋭く観察していました。当時の巨人では、打者走者が二塁へ進む可能性があるため、センターからの返球を受けた遊撃手は打者走者の方を確認する動きをします。伊原が見抜いていたのは、川相昌弘が打者走者を見るために体を回すと、その瞬間、先行走者への注意が薄れる、という癖でした。このことを川相昌弘さん自身も著書『川相塾 「指導者は何を教えればいいのか」』(日本写真企画、2025年)の中で認めています(この書名、川相さんらしいギャグです)。この時のワンプレーの悔しさと反省があったからこそ、1989年からのゴールデングラブ賞6度の受賞につながったと述懐しておられました。

 ただ私の失敗は、カットマンとして厳禁の反対(右利きは右)回りをして、打者走者を見たこと。バックホームが逆モーションになって遅れてしまう。伊原コーチが指摘したポイントの2回、私はまだ試合に出ていなかった(遊撃・鴻野淳基)。しかし、クロマティさんの緩慢な送球が狙われているのは、十分私もわかっていたのだから、辻選手が三塁ストップするだろうと決めつけてはいけなかった。私のミスだ。まだレギュラーになっていなかった経験不足と、自分自身の未熟さから生まれたプレーだった。学んだのは2つ。「まず、本塁に近い走者の動きを見る」「走者に背中を向けてはならない」(p.48)

 つまり伊原の頭の中には、

クロマティの送球が遅い

川相の中継プレーにも隙ができる

という二段構えの攻略法があったわけです。

 実は、この第6戦では、8回のだけでなく、2回にも清原和博クロマティの守備を突いてホームインしています。1死二塁で6番ブコビッチがセンター後方に深いフライ。二塁走者の清原はタッチアップで三塁を回って生還し、先制しました。つまり西武は、この試合で実際に、「クロマティの返球を狙う」という作戦を2度成功させているのです。その意味では、の走塁は偶然生まれた奇跡ではありませんでした。西武が相手の守備上の弱点を事前に分析し、それを試合中に徹底して突いた結果だったのです。

一般には、「クロマティがゆっくり返球したので、辻がホームまで走った」というエピソードとして知られています。しかし実際には、もっと奥が深く、

① 伊原が巨人戦をテレビで深く研究する

② クロマティの返球の癖を発見

③ 川相の中継プレーの癖も発見

④ 西武首脳陣が走塁意識を選手に徹底

⑤ 辻がクロマティの動きを見て三塁まで行く

⑥ 伊原が「ホーム!」と判断

⑦ 辻が迷わずホームへ

⑧ 巨人が対応する前に生還

という、「情報収集→分析→作戦→実行」の見事な連鎖だったわけですね。

 実際、西武ライオンズがファン投票で選んだ「ライオンズ70年の名シーン」では、このの走塁が第1位になっています。そして球団自身も、首脳陣の鋭い分析と選手たちの高い走塁意識によって生まれたプレーだと語っています。❤❤❤

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