岡村孝子さんの若かりし頃

 大好きな岡村孝子(おかむらたかこ)さんも、もう高校生一年生のお嬢さんのお母さんです。最近『毎日新聞』(中部本社版)に連載しておられる「虹のパレット」には、先日お嬢さんの体育祭に出かけた日のドラマが、リアルに描かれていましたよ。⇒コチラ   彼女の近況は、インターネットラジオ「T’s GARDEN」で聴くことができます。現在41回まで放送されました。これを聞くと気持ちがほんわかとします。不思議ですよね。⇒コチラです

 若いころから彼女の大ファンだった私は、ファンクラブにも入って応援していました。彼女も不幸な出来事が続き(離婚・借金返済)、ちょっと淋しい時期もありましたが、また復活された元気な姿をみるにつけ、懐かしさが倍増です。今日は岡村さんの若かりし頃を振り返ってみたいと思います。先日の辛島美登里さんに続く第二弾です。

 1962年岡村孝子さんは、愛知県岡崎市で生まれます。小さいころは活発で男勝りの女の子だったそうです。タクシー会社や料理屋を経営する両親と弟の四人、という恵まれた環境に育ちます。市議会議員を務めるお父さんのしつけは厳しく、食事の時に肘をついて食べているだけで、父親の手が飛んできて肘を払われたそうです。父親は仕事に忙しく、母も仕事を始めて、かぎっ子状態が続いたといいます。小学校に上がる前から音楽教室に通いオルガンを習い、ピアノも始めます。両親からは、音楽の先生か、学校の先生になることを期待されながら育ったそうです。

 県内有数の進学校に進んだ彼女は、両親の期待をよそに、次第に音楽にのめり込むようになります。さだまさしさんの「雨やどり」をラジオで聴いて、「シンガーソングライター」という存在に初めて気づきます。あ、これだったら私にもできるかもしれないと思って、そっちの音楽にのめり込み始めて。そうしたら今までやっていたピアノが急にすごいつまらなく思えてきて、自分の曲をつくり始めたりして。ピアノの先生からはそういうのは邪道だと言われたりしたんですけど。だんだん自分でつくる音楽の方が面白くなったしまっていたので、同級生とグループを組んだりしました」 自分で曲ができると、曲順を決めて10曲をカセットに吹き込み、タイトルもつけてアルバム作りの真似事をしたりしました。人前で歌うことはなかったけれども、いつしか将来はシンガーソングライターになって、世の中に自分の歌が必要だ、と夢見る様になっていました。クラシックピアノや声楽は続けていましたが、1日3時間練習しなければいけない練習時間に、実は曲を作ったりしていたのです。高校3年生の時、職員室で担任の先生と、1対1で進路の面談があった時に、「何になりたい?」と聞かれて、「シンガーソングライター」と答えたら、職員室中に聞こえるような声で「バカッ」て言われたのをはっきりと覚えているそうです。浪人時代は予備校に行きながら、作曲・編曲教室にも通います。1981年椙山女学園大学に入学しますが、その目的は好きな音楽をやることでした。

 大学に入学して最初の履修届の時、たまたま前の席に座っていたのが、後のデュオ「あみん」の相棒になる加藤晴子さんでした。彼女を誘って「あみん」を結成しましたが、このグループ名は、さださんの「パンプキンパイとシナモンティー」に出てくる喫茶店の名前から取りました。この年の秋に、ポピュラー・ソング・コンテ岡村孝子2スト(ポプコン)に初出場。翌年5月に、岡村さんが作詞・作曲した「待つわ」で再びポプコンに出場し、見事グランプリを獲得します。この歌は「近頃の中産階級化した若い男の心をくすぐる巧妙な歌詞内容」「現代っ子女性の居直りをチラつかせたこわい恋歌」などと評されます。現役女子大生のままデビューを果たした二人は、トントン拍子にスター街道をばく進します。「待つわ」は150万枚のミリオンセラーになるわ、紅白歌合戦にも出場するわ、テレビ・ラジオではひっぱりだこ、雑誌の取材、コンサート活動と、自分たちでは訳が分からないくらいの忙しさの中で、どうしようもなく翻弄されるようになっていきます。岡村さんは疲れ切って7キロも痩せてしまいます。相棒の加藤さんは「大学に戻り、就職の準備をしたい」と言い、結局あみんは1年半で解散することになったのです気の合った女子大生二人で始めた音楽活動だから、一人ではやれない。生活力のない彼女は花嫁修業でも…と思ったそうです。「ああ音楽は二度とできないなという気持ちで、いったん大学に戻ったんです。でも、大学に戻っても自分の居場所が全然なくて、車の免許を取ったり、花嫁修業をしたり、着付け教室に通ったりといろんなことをしたんですけれども、やっぱり違うなあって何となく自分も感じてたし、両親も死んだような目をしている私を見て、こんなことだったら好きなことをやらせてあげたいなと思ったようです」  四年生まで在籍した大学も、ズルズル就職してしまう自分を恐れ中退。二年間の休止の間に音楽への恋心を抑えがたくなったそんな矢先に、ソロデビューの話が舞い込みます。東京に出て一人暮らしの始まりです。「一人暮らしはもちろん初めて。それまで実家では甘えて、自炊とか何もしたことがなくて、銀行も行ったことがなかったし、水道代や電気代をどうやったら振り込めるのかも分からなくて、毎日そういう戸惑いの連続でした。すごい寂しかった時期があって、まだデビュー前でお給料もそんなになかったんで、電話もできないんですよ。あまり話す人がいなかったんで、テレビのニュースキャスターだけがお友達みたいな状態で、テレビに向かって挨拶をするみたいな。ほんとにホームシックにかかっている時はそんな状態でした」と、振り返ります。「普通の女性の日常」を、純度の高い普段着心でさりげなく歌う、岡村さんの透明感のある美しいボーカルや、先の見えない孤独感を歌う詞が、性別を超えて若い世代に受け容れられます。普通の女性のさりげない日常、心象風景を彼女なりの視点で切り取って、掌にのっけてさりげなく提示してくる姿、背筋のしゃんと伸びた岡村孝子の生き方が多くの女性の支持を受け「OLの教祖」として社会現象にまでなったのです。詞が書けない時は、渋谷の人込みの風景を書きたくて3時間も立っていたこともあるそうです。空気がよどむのを嫌い、常にいつも新鮮な自分でありたいと願う。こうした自分を「OL愛の教祖」とか「等身大の歌い手」と括られてしまうことに、反発を感じていたと言います「私の音楽が『等身大』っていうのはすごく的を射ていると思うんですよ。ただ、表現者としての岡村孝子からすると、やっぱり生身の自分とはすごく距離があると思うんですね。『岡村孝子という世界』をつくっているつもりでいるので」と。そうした反発を感じていた20代から30代に入ると、比較的寛容に受け止められるようになっていきます。私はOL経験はないですけど、みんな考えていることは一緒なんじゃないかな。女性にも男性にも,私の唄を聴いて『明日も頑張ろう』みたいな気持ちになる何かのきっかけにしてもらえて、かわいがってもらえるんだったら、それがいちばんんうれしいことです」と、歳を重ねていき成長した彼女の姿がありました。プロの陶芸家が毎日ロクロを回し続けて、その積み重ねである日いいものができるように、音楽でもそうありたいと彼女は願います。アルバムを作るたびに引っ越しをして、環境を変えて気分転換を図っていた時代です。アルバムを1枚作るとその家に(そのアルバムの)魂が、宿っちゃうような気がして。新しいものを作る時にそういうものがとてもジャマなんです。根がはえてきちゃうような感じで。その根を引っこ抜くために引っ越すんですよね」

 ここに自分がいるとすると、もう一人の自分というのがどこかにいて、その自分から見て、理想とする人間になりたいというか、よしとしてマルがつけられる人間に近づいていきたいっていうことです。10年前は自己同一化する理想の女性が、『涼しげな女性』でした。知的でちょっと間が抜けていて、やさしくてかわいげがあって淫乱でいてチョット意地悪でとか、いろんな要素をもっていながら、それをさりげなく使いこなせる女性だったんですけど、今はそういう風に、言葉では括れなくなってきています。マルをつけられる自分というのは、これからいろいろな経験をして、歳を重ねていって、酸いも甘いもかみ分けて、いろんなことを見たり知ったりした上で、おばあさんになった時に、とってもピュアでいられる女性なんです。(岡村談)

 親の期待に背いて自分の音楽を貫こうと志した頃、芸能界の荒波にただただ翻弄され続けたあみん時代、自分をぎりぎりの限界まで追い詰めて音楽を生み出していたソロの初期、OLの教祖として祭り上げられ社会現象にまで上り詰めた絶頂期、創作活動に行き詰まりロンドン郊外のチェッケンドン村で創作感覚を取り戻した貴重な体験、結婚・出産・離婚・父の借金に追われた苦難期、それぞれの時代を経て、岡村さんは自分の音楽の原点に回帰した感じがしています。『音を楽しむ』と書く音楽を、楽しみながら作って、聴く人にも喜んでもらう、そんな音楽づくりの原点に戻った彼女がまぶしく感じられます。

 テレビのニュース番組の高校野球特集のテーマ曲、映画『逆境ナイン』の主題歌、甲子園の入場行進曲にもなった「夢をあきらめないで」は、もともと岡村さんは「ただの失恋ソングのつもりで作った」と述べていますが、世間ではこの歌を聞くと元気が出る「応援歌」として受け取られ、大ヒットします。本人は「この曲を『応援歌』として捉えられることは、自分の意図とは違う方向へ一人歩きした感じがした時もあったが、現在でもこの曲を愛してくれていることは凄く嬉しい。現在ステージで歌うときは、皆さんへの応援歌としての気持ちで歌っている」と語っています。流行り廃れのない言葉で綴られた歌詞は、本人の意図する解釈を超え、今聞いてみても、少しも色あせていない名曲ですね。

▲付箋は出たときに読んで気づいた誤訳箇所
▲付箋は出たときに読んで気づいた誤訳箇所

 ちょっとレアな情報を。岡村孝子さんが翻訳した『昨日よりも今日よりも~』(飛鳥新社、1992年)という(同名の歌がアルバム『mistral』の中に収められています)、バーバラ・アン・キッパーという女性言語学者・辞書編集者が書いた本があります。日常の幸せについてのことばを集めた本です。600ページちかい辞書のような分厚い本です。ツアーの最中に、毎日宿題をやるような気持ちで一生懸命訳したと言います。思わずニッコリ微笑みたくなる幸せのリスト」という英文対訳の本で、私も出版されてすぐ買って読みました。前書きに「誤訳が心配で胃が…」とありますが、確かに結構間違いがありました(写真参照)。たとえば、「salad days」を「サラダの日々」と訳していたのには、別の意味で思わずニッコリしてしまいました。毎日ご飯にサラダを食べて幸せだ、と考えたのでしょうか。辞書を引く手間を惜しんだために起こった誤りです。私の生徒だったらこってりと絞られるところですが、ご愛敬としましょう。

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