さださんの借金

詳細を表示 さだまさしさんが借金のために大変な思いをしたことは、皆さんよくご存じのことと思います。彼がデビュー後40年間も歌手活動ができさだまさしたのも、また前人未到のソロコンサート4000回を達成できたのも、この「借金返済」という大仕事のためという要素が強くあります。この借金のことについて、発売になったばかりの『女性自身』1月21日号、2014年で、さださんが詳しく語っておられます。ここまで具体的に話されたことは今までなかったと思います。完済して初めてこのように語れるんでしょうね。

 1981年、28歳のさださんは、中国大陸を流れる揚子江を舞台にしたドキュメンタリー映画『長江』(主演・監督・音楽=さだまさし)を制作します。「大河の最初の一滴を見たい」という企画の実現を一番望んだのはさださんのお父さんでした。「今、長江を撮影する企画は6カ国が競合している。おたくの会社を調べたが、大変小さい会社だとわかった。しかし、お金が仕事をするのではなく、人が仕事をするのだから、最も優れた企画を出した貴社に撮影の権利を与える」と中国から返事が来て、プロジェクトが始まりました。最初はテレビ局がバックアップしてくれるはずがうまくいかず、自分でやるしかなくなります。映画そのものはヒットしますが、それ以上に経費がかさみ28億円、金利まで入れると35億円を個人で背負うことになります。なぜ中国で映画を撮ったかというと、さださんの祖父は中国大陸からシベリアを股にかけて活躍したスパイ、祖母はウラジオストックで大きな料亭を経営するなど、中国大陸がさださんのルーツ、小さい頃からの憧れだったからです。手持ちの2億円を元手に映画を撮り始めますが、終わってみたら30億近くかかってしまったというわけです。

 金利を入れて35億円近い借金は、僕の会社ではなく、僕個人の借金ですから返さざるを得ない。でも、会社を維持し、社員に給料を払い、なおかつ税金も払いながらの返済ですので、かなり厳しかった。10日ごとに8千万円、5千万円、1億5千万円という手形を落とさなければならなかったわけですから…。負債額がわかったとき、破産宣言するよう勧めてくれた人もいました。「そうすればチャラになって楽になるから」と言って。このときは一晩考えましたね。その結果、貸した側の身になって考えてみよう、と。お金に関してはプロの銀行が融資してくれたのは「さだまさしなら返せる」と考えたからに違いない。だったら返せるんじゃないか。ここは”プロの勘”に懸けてみようと思ったんです。返済の過程で二度不渡りを出したことがありました。半年に二度不渡りを出すと銀行と取引停止になるんですけど、僕の場合は数年おいてでしたから会社はつぶれなかった。つぶれなかったことで「このままいけば返せるんじゃないか」と。そうすると勇気がわいてきて、それが「返そう!」というモチベーションになるんです。返済が終わったときは、ある種の脱力感に襲われたし、「ああ、これで返済に追われなくてすむ」と思いましたね。

 借金を返済する過程で感じたり、学んだことはいっぱいあります。ひとつは”人の情け”です。銀行の担当者をはじめおおぜいの人達が僕を助けてくれた。そういう意味では、僕はついていたし、本当に人に恵まれているな、と思ったことが何度もありました。それと、何事も最後の最後までわからない。だから、諦めてはいけないということも学びました。だから、僕は決して投げないですよ。そして何よりも僕のファンであり、コンサートに来てくださる方たちのパワーです。僕が莫大な借金を返済できたのも、前人未到のソロコンサート4千回を達成できたもひとえにファンのみなさんのおかげです。これからは、みなさんに恩返しをしなければいけない。ということは、僕は歌手をやめたくてもやめられないんですよ(笑)。   ―『女性自身』1月21日号

 さださんが恵まれていたのは、取り立てに会社に押し寄せて来る債権者が、照明・音響などの仕事仲間であったことで、「とりあえず、いくら足りないんだ」と逆にお金を持ってきてくれました。「今月はこの金をあっちに回して」と、スタッフと金の算段を話し合っている。さださんが「ごめんね」と謝ると、「お前には金のことはわからないから、向こうに行っとけ」と追い払われた、おかげで自分の仕事に専念できたことです。 借金を返し、スタッフを食わせるためにも懸命に働くしかありません。毎年、年間100本以上のコンサートで全国を回ったのには、こういう背景があったのです。当時、結婚したばかりの(奥様は島根県・浜田市出身)さださんは、1年以上家に給料は入れていません。同居していたお母さんの蓄えで暮らしていました。

 1987年、そんな自分の借金返済で大変な中、広島に原爆の落とされた8月6日に、長崎から平和を祈る野外コンサート「夏・長崎から」をスタートさせました。入場料無料としたのは、家族のだれもが気軽にのぞけるように、というさださんの強い思い入れからでした。舞台設置費用に800万から1千万。アルバイトの人数も考え、スタッフの移動費、宿泊費、ギャラ、それにゲストへの謝礼を考えると、最低3千万円はかかる。3千万円は確実に赤字が出る。借金返済に追われる胸突き八丁の時期によくもまあ、と思われるでしょう。でもやらないわけにはいかなかった。有料にすれば只の商売にしか写らない。俺は故郷に世話になってきた分、どうしても平和を考えるコンサートをやりたい。と、なれば有料は駄目だ。誰でも来られる、それこそ夕涼みがてら家族で俺たちのコンサートを聴きに来るという”家族の構図”がもう平和の象徴になる。料金を取れば子供や老人は留守番になるかもしれない。チャリティにすれば志は曖昧に見えるのが世の常、人々はそこで動く”金額”にだけ気を取られる。純粋に俺が長崎で好きなことをやる、その代わりに、メッセージを伝える。だから無料でなければ駄目なんだ。スポンサーを探し、あちらこちらに頼み込む。俺が自分で頭を下げて歩くから、頼むから無料でやらせてくれ」 これが長崎で20年も続きます(このコンサートをやめた理由については⇒コチラです)。ここら辺がさださんの男気です。借金返済で苦しく辛い時期に、スタッフの面々はさださんを支え続けます。

 今から10年前、デビュー30周年、コンサート3000回突破記念の時に、この借金のことを振り返って、次のように語っておられました。

 金のことについては後悔はしています。あれが有意義でなかったとは少しも思わないけど、同じ額使うのなら、もっと効果的な、もっと世の中の役に立つ金の使い方もあったな、と。でも、これは結果論。あれは100年後に評価されますから。ま、返済には一生かかるけどね(笑う)。でも、金に対する恐怖心が消えた事件だったよね、僕にとっては。”何とかなる”ではなく、”何とかしなきゃ”って。身体の病気は金では治らないけど、貧乏は金で直るからね、翌日。金さえあれば翌日直っちゃうんだから。簡単なことだと。ただ、稼ぐのは大変だけど…。もし、あの時僕が35億借金していなければ、今その額を持っているかというと、たぶんそれはないと思うし。もしあの時に借金していなければ、その後はバブルで引っかかっているな、とね。一生立ち直れないくらいの傷を負っていただろうってね。あの時、まだ30歳前だったから、頑張って立て直そうと思ってきたし。この年になってみればまぁ冒険野郎だったな、と思うね。年とったときのネタになるね。話のネタに。”お前ら、スケールちいせぇよ”っていえるもん(笑う)。”5千万や1億でガタガタいうんじゃねぇ”って。会社の借金じゃなく、個人の借金だよ。俺、だから逃げ隠れできないんだよね(笑う)。あの時には社員にも迷惑かけたけど、立ち直ってきた今になれば、いい思い出だよ。 ―『週刊女性』

 頑なに借金の返済にこだわったもう一つの理由は、お父さんの夢の後片付けという側面があったからかもしれない、とさださんは回想します。お父さんが生きておられるうちに全額返済できたことが、何よりの親孝行だったと思います(父・佐田雅人さん、2009年12月に逝去、享年90歳)。

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