4月20日発売予定の小田和正さんの集大成ベスト『あの日 あの時』に、「眠れぬ夜」が新録音で入ることになったとお伝えしました。そこでは名曲「眠れぬ夜」のエピソードについても触れておきました。⇒コチラです 今日はもう少し「眠れぬ夜」についてお話してみたいと思います。あの「忘れ雪」事件で(⇒コチラです)、デビュー以来担当してくれていたディレクターと喧嘩別れしたところへ、新しく武藤敏史ディレクターが登場します。彼の方法論は、前任者とはまったく違うタイプの人で、時間的な余裕も与えてくれ、スタジオの雰囲気は全く異なるものになりました。「今日は乗らないから、やめちゃおうか、やめちゃおう」といった言葉が出てくる人物でした。レコーディングをとことん納得するまで追求したいタイプの小田さんと鈴木さんにとって、この言葉はまさに天の声で、新鮮だったといいます。実際、1995年のアルバム『ワインの匂い』は、レコーディングに500時間も費やして作っており、当時としては画期的なできごとでした。セールスありきのビジネスライクなプロの世界で、萎えかけていた二人の音楽への純粋な気持ちが復活します。「君たちのやりたいようにやってみろ。しかし、責任は持て。」と。こうして小田さんの音楽に対する考え方も、少しずつ結果を残さねばという方向へと変化していくのです。あれだけコーラスが好きだった二人も、そればかりを軸にしてはいけない、主旋律を増やしていく方向で作り始めます。
こうやって作ったのが「眠れぬ夜」でした。最初作ってきたときにはバラードっぽかった曲でした。しかし、小田さんたちよりもはるかに指向がロックっぽかった武藤ディレクターは、小田さんたちにこんな提案をします。「これ、エイト・ビートでやろう」やってみると、周囲の反響が良かったのです。今までにはなかったビートが効いたサウンドと、明るくキャッチーなメロディ、そして哀愁を漂わせた歌詞。オフコース初めてのスマッシュヒット曲となります。武藤さんはこう回想します。「それまでのアルバム『僕の贈りもの』と『この道をゆけば』に足りなかったものは何か。それはオフコースの場合、無条件に、理屈ぬきに誰もが楽しめるような曲や、シンプルな曲が少なすぎたのではないだろうか、と僕は判断したわけである。そして『眠れぬ夜』をあのような曲調にしてしまったのだが、作者の小田君にとっては、当時それがかなり不満だったらしい。だからどちらかというと僕が強引に自分の意見を押し通してしまったといえるかもしれないが、もちろん彼らも最終的には納得してくれて、その後、オフコースのステージになくてはならない曲のひとつとして歌い続けられていることは、皆さんご存知の通りである」と。1975年12月「眠れぬ夜」がシングルとして発売されます。まずは、小田さんが妥協したその曲をお聞きください。



