「あ~、そうだったのか!」体験(私の授業観)

 東大・京大を受ける生徒たちと読解演習をしていて、may well Vが出てきたんですね。ほとんどの受験生はすぐに、熟語知識から「~するのももっともだ」とやってしまいます。私も高校生の頃は、この意味しか知りませんでした。与えられた英文では、それでは意味が通りません。もう一つの意味、「多分~だろう、~かもしれない」と取らないと文意が成立しません。私は大学時代に、英米の新聞・小説を読む際に、山のようにこの意味の用例に出くわしました。ジャーナリズムでは特に多かったように思います。現代英語では、「~するのももっともだ」よりも、「多分~だろう」の用法の方が普通だろうと思います。「使用頻度」を謳う学習辞典ならば、こちらを優先すべきです(この点、私たちの『ライトハウス』『コンパスローズ』は再考の余地あり。ジーニアス』『ウィズダム』はさすが)。

 ここまでが第一段。ではなぜそのような二つの意味が生じるのでしょうか?単に「覚えておきなさい」では、定着するはずもありません。そもそもmay well Vにどうして「~するのももっともだ」という意味が生じるのか、あまり考える人はいません。助動詞may には2つの意味、①「~してもよい」(許可)、②「~かもしれない」(可能性)がありますね。これが副詞のwell(十分に)と結びつくとどうなるでしょうか。①「十分に~してもよい→~するのももっともだ」、②「十分に~かもしれない→多分~だろう」となることが容易に理解できますね。ここまでが第二段です。

 そもそも、mayにはどうして、①「~してもよい」、②「~かもしれない、という意味が生じているのでしょうか?私たちの最新刊『コンパスローズ英和辞典』には、大西・マクベイ両先生のイメージ図が挙がっています。そこには「開かれたドア」のイラストが描かれていますね。ドアが開いているんです。これで①(=許可)②(=閉ざされていない程度の可能性)の意味がなんとなく理解できるでしょう。ここまでが第三段です。

 このように、複雑に入り組んで「なぜだろう?」と、よく分からずに悶々としていたことが、ダダダッーと崩壊して、きれいにはっきりと見えるようになること、これを私は、以前から「あ~、そうだったのか」体験と呼んでいます。元々は作家の梨木香歩(なしきかほ)さんから、ヒントをもらいました(彼女の西の魔女が死んだ』のラストシーンはまさにこの典型です)。私はこの「あ~、そうだったのか」体験を大切にして、授業に臨んでいます。分かりやすい授業」が目標ではありません。この体験を通して、「あ~、英語の勉強って面白いな」「ワクワク、ドキドキ」を伝えて、「もっと勉強してみよう!」と励ます授業こそが、私の目標なんです。生徒一人でも、二人でもそういう気持ちを体験してもらえる授業こそが、私にとって「良い授業」です。今日は授業でそんな話をしながら、チンプンカンプンの東大模試の読解・要約問題(ウソをつくことと「自我」と「超自我」?)を解説していました。❤❤❤

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