虫の目 鳥の目 魚の目 コウモリの目

 物事に行き詰まった時、視点を変えることで解決へ近づくことがあります。物事を見る視点をちょっと変えてみることで、それまで見えてこなかった答えを見つけられる可能性が高まります。これが「鳥の目」「虫の目」「魚の目」です。画家・原田泰治(はらだたいじ)先生との出会いで強く意識するようになりました。

▲原田泰治先生と対面 八幡も若いね

 私が大好きな画家・原田泰治先生が(先生の絵が欲しいのですが、先生は絵を売られませんから、画集で辛抱しています)、このことを原点とおっしゃっておられました。原田先生は生まれて間もない一歳のとき、小児麻痺を患い、その後遺症で両足が不自由になりました。当時「この子は五歳くらいまでしか生きられないだろう」と医者から宣告されてもいます。そして五歳になったとき、原田先生一家は、長野の伊賀村に開拓農民として入植しています。開拓農民に与えられる土地は、村の中でも一番条件の悪い場所です。水路も無い荒れ地を、父母が一生懸命耕していきました。歩くことができない原田先生は、いつも高台にある柿の木の下に敷かれたムシロの上に座らされていました。そこから父母の働く姿を毎日眺めていたのです。そこからの眺めは最高だった、と原田先生は回想しておられます。村全体が一望出来る上に、左手には飯田線を眺めながら、四季の移り変わりを感じていたと言います。そんな高台のある畑から、全体を俯瞰する「鳥の目」をもらったのでした。父母のそばにいたくて、一生懸命這いながら必死になって父母を追いかけます。そうするうちに、杖を使って自分の足で立てるようになったのです。医師の言葉をみごとに覆し、小学生になります。時には、友達が虫取りに誘ってくれました。しかし、原田少年は山の上まで一緒に登ることはできません。友達が山に入っている間、一人きりで待っていなければなりませんでした。何もすることがないので、草むらに頬をつけるようにして寝転がります。すると草むらがまるでジャングルのように見えてきます。花の蜜を吸っている小さな虫までもが、巨大な生物みたいに見えてきた、と回想しておられます。こうして「虫の目」をもらったのでした。このようにして、幼い頃にもらった「鳥の目」「虫の目」が、原田先生が描く絵画作品の原点だとおっしゃいます。足が不自由だったおかげで、人とは違う「目」を持つことが出来たのです。

◎鳥の目

鳥たちには、細部が目に入りません。そのかわりに、広い視野を持っています。つまり「鳥の目」とは、物事の全体像を見渡す視点のことです。問題を抱えると、とかく問題そのものにばかり目が行きがちになります。しかし、全体を捉える視点が持てれば、解決のきっかけが見えるかもしれません。大きな目標を忘れずにいることで、目先の小さな問題を乗り越えていけるのに似ています。

◎虫の目

虫は地中・地表のごく狭い範囲に暮らしています。そんな虫たちは、人間の目が届くことのない細かい視点を持っています。つまり「虫の目」とは、通常よりもはるかに細かいところまで注意深く見る目のことです。全体を俯瞰する「鳥の目」と正反対の視点ですね。

◎魚の目

水の流れや潮の満ち引きに身をおく魚は、常に流れを感じながら生きています。「魚の目」とは、時代の変化をとらえて先を読む視点であり、小さくは、周囲の空気を読み、相手の都合などに配慮した視点を持つことです。

 「虫の目」は、複眼です。つまり「近づいて」さまざまな角度から物事を 見るということです。「鳥の目」とは、高い位置から「俯瞰的に全体を見回 して」見るということです。「魚の目」とは、潮の流れや干潮満潮という「流 れ」を見失うなという意味です。いずれの視点にも優れた点とそうでない点があります。つまり、問題解決に大切なのは、異なる視点を使い分けて複数の目を持つことなのです。一般的には、「情報」は近づいて、さまざまな角度から眺め、理解する必 要があります。組織で言えば、現場に出かけ、直接「情報」を仕入れるとい うことです。そのとき、一面的な見方をせず、「複眼的」に見るということ が「虫の目」です。しかしながら、接近しすぎると全体が見えなくなるので、 一度距離を取り直して、地域や業界という大きな枠からその「情報」を見直 す行為が「鳥の目」です。そして、その「情報」を理解するときに、時代や 社会の流れの中で考える必要があります。情報や事象が、どのような変化 の中で発生したのかを忘れないための「魚の目」ということになります。「虫の目」で情報を【多角的に眺め】、「鳥の目」で【判断を 下し】、「魚の目」で【決断を行う】必要があります。この「プロセス」は、 組織の大小に関わらず「統率者」(リーダー)にとっては重要なことです。

 入試問題の英文を読む演習においても、この視点は大切です。一文一文の構造を丁寧に正確に読む(虫の目」)、その段落は一体何を言っているのか(鳥の目」)、筆者が英文全体で何を主張しているのかを要約する(魚の目」)。これらを強く意識しながら日頃の指導に励んでいます。「共通テスト」で問題文量が大幅に増えたために、「速く読まねばならない」と速読ばかりがクローズアップされていますが、私は「精読無くして速読なし」という指導理念を曲げずに、(虫の目)→(鳥の目)→(魚の目)の順に従って、「要約」の練習までさせています。

▲英文の読解指導にも重要な視点です

◎コウモリの目

 さらにもう一つ、これらに「コウモリの目」を加えるとよいと思います。コウモリは洞窟の天井や木にぶら下がって停まっています。常に周りを逆さまに見ています。つまり、「コウモリの目」とは、逆の立場で見る、逆の視点から見る、さらに、発想を変えるという視点のことをいいます。アイディア出しに困った場合や、問題の解決策が出てこない場合などは、一度固定概念を外して、まるっきり逆の発想をしてみたり、反対側から物事を見て考え直すことが有効です。アイディア出しの場面だけでなく、仕事を進めたり、プロジェクトを進めたりする場合、ファシリテーターとしては、実はこのコウモリの目がかなり重要です。英語ではこういうのを、devil’s advocateと呼びます。カトリック教会において、聖人の審議を行うとき、聖人の証となる奇跡に、あえて疑義を述べる役割の人(列聖調査審問検事)がいました。この役割を担う人を“devil’s advocate”(悪魔の代弁者)と呼びました。異論、反論、疑念を挟むことで、聖人の証をより確かなものにするためです。この補完機能を果たすことを“play (the) devil’s advocate”(悪魔の代弁者を演じる)と言います。「あえて異を唱える」「わざと反対意見を述べる」という意味です。建設的な意味で使われますが、「難癖をつける」「ケチをつける」「天邪鬼である」といった少々ネガティブな意味で使われることもあるので、注意が必要です。会議などで、議論を深めるために、あえて反対意見を述べることのことです。ほとんどの人が常識と思っていることに対しても、今一度疑問の目で吟味してみる、ということが大切だと私は常々思っています。私たちが『ライトハウス英和辞典』(研究社)の編集顧問にお招きしたアメリカの大言語学者・故・Dwight Bolinger博士(元アメリカ言語学会会長)も、ご自分のことを“deveil’s advocate”と呼んでおられました(私とボリンジャー博士との出会いについては「ボジンジャー博士との出会い」に詳しく書きましたのでご覧ください⇒コチラです)。言語学のどの会派にも属さず、考察を深めるためにあえて反論・異論を述べることを常とされました。その鋭い舌鋒は、グーの根も出ないくらい鮮やかでしたね。♥♥♥

▲故・D.ボリンジャー博士 私のお気に入りの一枚です

 

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