「秋桜」

▲「鳥取花回廊」にて

▲秩序を保つ宇宙のごとく

 「コスモス」(cosmos)というと、真っ先に花を思い浮かべますが、不思議なことに、「宇宙」を表すときも「コスモス」(cosmos)という言葉を使います(どちらも英語の発音は「コズモス」)。花と宇宙。どこにつながりがあるのでしょうか? 「コスモス」の語源は、ギリシャ語の「kosmos」に由来します。これは、「秩序」「美しい」「調和」などを意味します。 宇宙を、統一された調和のとれたシステムととらえるときに、「コスモス」という使い方をします。「カオス(混沌)」(chaos)の対義語であるといえば、分かりやすいかもしれません。 宇宙は「コスモス」(cosmos)以外にも、「スペース」(space)「ユニバース」(universe)とも呼ばれます。spaceは、空間としての宇宙、universeは、観測できるすべてを含めた宇宙を表します。cosmosという呼び方は、どちらかといえば思想的・哲学的なニュアンスが含まれます。 一方、群生で咲いていることが多い花のコスモス。同じ時期に、同じくらいの高さで、整然と咲く様子は、まるで秩序だった宇宙のシステムのように見えるのでしょうか。宇宙と花。意外なところでつながっていました。

 コスモスは外来種(メキシコ原産)なので、和名が「秋桜」であっても、それを「コスモス」とは読みません。「秋桜」と書いて「あきざくら」と読みます。逆に、日本に古くからある「女郎花(おみなえし)」や「百日紅(さるすべり)」などは、当て字の漢字があり、古くは万葉集や古今集などでも詠まれています。では、なぜ「秋桜」と書いて「コスモス」と読むようになったのでしょうか?それは、昭和52年(1977年)に山口百恵さんが歌った「秋桜」という歌謡曲が大ヒットしたからなのです。嫁ぐ娘が母を思う気持ちを歌った歌で、当時の百恵さんは18歳でした。作詩・作曲はさだまさしさん。曲のタイトル「秋桜」「コスモス」と読ませ、歌詞の中でも「秋桜」と表記して「コスモス」と読ませました。今日6月1日に届いたさださんの最新アルバムのタイトルは、「孤悲(こい)」です。万葉集にある言葉で、「恋」の当て字です。『孤』は独りぼっちは寂しい、『悲』は心が張り裂けそうだって意味です。コロナ禍で皆が味わった思いを込めるのに、これほどふさわしいタイトルはないと、そう考えての発売です。さださんはこんなふうに難しい漢字を充てるのが好きな歌い手です。

 娘が無邪気な子どもでいられた穏やかな春の時間が、結婚を控えた秋のひとときに、母への感謝の言葉や一抹の寂しさとともに鮮やかによみがえってきます。母と娘の二人が積み重ねてきたかけがえのない人生が凝縮された時間をかみしめながら、祈りにも似た万感の思いが切々と歌い上げられています。私はさださんの一番の魅力は、この美しい詩にあると思っています。

     秋桜
              作詩・作曲 さだまさし
              歌 山口百恵    


淡紅の秋桜が秋の日の
何気ない陽溜りに揺れている
此頃涙脆くなった母が
庭先でひとつ咳をする

縁側でアルバムを開いては
私の幼い日の思い出を
何度も同じ話くり返す
独言みたいに小さな声で

こんな小春日和の穏やかな日は
あなたの優しさが 浸みて来る
明日嫁ぐ私に 苦労はしても
笑い話に時が変えるよ
心配いらないと 笑った

あれこれと思い出をたどったら
いつの日もひとりではなかったと
今更乍ら我侭な私に
唇かんでいます

明日への荷造りに手を借りて
しばらくは楽し気にいたけれど
突然涙こぼし 元気でと
何度も何度もくり返す母

ありがとうの言葉をかみしめながら
生きてみます私なりに
こんな小春日和の穏やかな日は
もう少しあなたの子供で
いさせてください

 

 「ピンとこないでしょう?」と、電話口でさだまさしさんが尋ねました。受話器の向こうでは、18歳の山口百恵さんが、きっぱりと「はい」と答えました。まだ18歳の山口百恵さんには、「結婚式前夜の母娘」というテーマは理解できるはずもありません。「ピンとこないので……、思ったように歌えなくて苛立っています」百恵さんは言います。さださんは「気にしないでね」と答えます。「あなたの歌い易いように、フレーズ感やメロディ感にとらわれずに好きなように歌ってね」と。そして「何故僕がこんなテーマを選んだのか、あなたに解って貰える日が早く来るといいね」と付け加えました。

 やがてついに、彼女が三浦友和さんという素晴らしい伴侶を得て、結婚・引退することになりました。その最後の引退コンサートに、さださんはお招きを頂きますが、その日はちょうど大阪フェスティバルホールのコンサートと重なっていたので、お邪魔することはできませんでした。さださんがフェスティバルホールのライブを終えて、ホテルに戻ると、フロントに百恵さんからのメッセージが届いていました。「さださんがこの歌を作ってくださったお気持ちがやっと解る日が参りました。本当に、本当に、ありがとうございました。山口百恵」

 この心温まるメッセージを、さださんは何度も読み返して感動に震えました。たったの一度電話で話しただけのさださんの何気ない言葉を、彼女はずっと大切に記憶していたのです。自分の人生で最後のコンサートを迎えるというそんな大切な日に、他人にこれだけの配慮ができる人がいるのだ、という感動でした。山口百恵という偉大な歌手がどのような人柄の人であるかを、さださんはつぶさにはご存じありませんが、このエピソードだけでもそれが十分に伝わることでしょう。さださんはこの話を、コンサートや著書で何度も紹介しておられます。私はいい話だなと思って、記憶の片隅にとどめているんです。♥♥♥

カテゴリー: 日々の日記 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中