「怒りの広島、祈りの長崎」



  今日8月9日は、長崎に原爆の落ちた日です。「怒りの広島、祈りの長崎」人類史上唯一の被爆国である日本で、被爆地の広島長崎はこう対比されてきました。「怒りの広島」という言葉は原爆ドームを見ればよく分かりますが、なぜ長崎「祈り」なのでしょうか?数多くの敬虔なクリスチャンが原爆の犠牲となり、静寂の中で冥福を祈る姿がクローズアップされてきたという側面は、あくまでも表向きの理由です。その背景には長崎特有の複雑な問題が内包されています。

 原爆の落下中心地が、日本のクリスチャンの8割が住んでいた浦上地区であったことが、さらに問題を複雑なもおにしています。長崎上空500メートルで炸裂し、熱線と爆風で市街地は一瞬にして焦土と化しました。その年だけで約7万4,000人がお亡くなりになっています。中でも浦上地区では、カトリック信徒1万2,000人のうち、8,500人の命が奪われました。もともと長崎市への投下目標は浦上ではなく、人口が集中した市街地、眼鏡橋がかかる中島川付近だったといいます。それが一瞬の気象条件によって浦上上空で炸裂したのです。これを一部の市民は、「市街地に落ちなかったのは、お諏訪さん(諏訪神社)が守ってくれたおかげ」と言ってはばかりませんでした。そして「浦上に落ちたのは、お諏訪さんに参らなかった『耶蘇』への天罰」という罵声を浴びせました。それは長いキリシタン迫害の歴史の中で醸成された異教徒への信仰差別が吐かせたものでした。しかも、長崎市は浦上と市街地が山で遮られています。市街地の被害が浦上より小さかったことも、差別に一層の拍車をかけました。「原爆は長崎に落ちたのではなく浦上に落ちた」。長崎でよく口にされるこの言葉こそが、原爆がどのようにとらえられているかを如実に示しています。つまりは「俺の所は関係ない」という他者意識が、長崎の反原爆活動、反核運動を分断し、広島ほど全市的な怒りの熱気を帯びなかったのです。「怒りの広島、祈りの長崎」。それは、長崎市民の怒りが一つの塊にならないため、祈るしかなかったという事情から生まれた対比なんです。

 さださんは、2013年2月18日、長崎ブリックホール、長崎伝習所「自分新化講座」で講演した際にこの「祈りの長崎」に言及しました。「私は長崎を愛し、長崎に対して苦言を呈する嫌な爺(じじい)になります。」と前置きして、何かにつけ足を引っ張り合おうとする長崎人気質を、長崎弁で痛烈に批判しました。長崎市民が自ら意識を改革しようとしない限り「長崎に未来はない」と断言しました。「一つにまとまろうで。もうそろそろよかやなかね。長崎人がまとまらんやったら、この街はまとまらんよ。『あいがすんなら、おいはせん』っていうごたつとばかり。そいから、まず排除していこう。なんで陰で言うばっかいでね。もう長崎もんはケツの穴の小さかとの多か。もう一つにまとまらんばダメよ」

 70余年前に原爆が投下され、炸裂した火の玉の下で約7万4千人の命が失われた長崎を故郷に持つさださんにとって、平和への希求の思いは人一倍強いものがあります。これまで平和をテーマにした名曲も数知れません。原爆症を患いながら生来の明るさで50年生き抜き亡くなったさださんの叔母(母の妹)は、その晩年に原爆のことを多く語ったといいます。「叔母がね、こう言ったんです。『もし自分らが先に作っていたら、自分らが先に他の国に落としたんじゃないだろうか』『他の国の誰かが私と同じ目に遭っていると思う。全て戦争のせい。戦争とはそういうものだから』『恐ろしいのは武器ではなく人間の心。ナイフが刀になり槍になり鉄砲になり原爆になった。もっともっと怖ろしい武器を考え出すのが人間という生き物』『悪魔は武器ではなく人の心に潜んでいます』と」。重い言葉です。それまで日本中で空襲をし、焼夷弾を落としていた延長線上に広島と長崎での原爆があります。その二つの原爆はなぜ、ウランとプルトニウムに分けたんでしょうか?当時、米国は広島「リトルボーイ」長崎「ファットマン」という異なる原爆を投下しました。広島型は細長く、長崎型はその名の通り、ずんぐりとしています。二つの形状が異なるのは、構造が異なるためです。広島型は細長い筒の両端に核分裂に必要なウランを二つに分け、互いにぶつけながら核分裂の威力を最大限に引き出そうとしました。一方、長崎型は中心部にプルトニウムを置き、全方向に配置した爆弾から一気に圧力をかけて、核分裂を引き起こし、さださんの故郷の上空で炸裂しました。「それはね、つまりは人体実験だった、ってことじゃないかな、って思わずにはいられない」さださんは語ります。私は初めてイギリスの地を訪れ、小学校を訪問して、小学生から「広島と長崎に落ちた原子爆弾はどこがどう違っていたんですか?」と質問され、全く答えることができず、恥ずかしい思いをしたことがありました(⇒私の詳しいレポートはコチラです)。

 今現在も世界のあちこちに火種が燃えさかっています。ウクライナでも、シリアでも、ミャンマーでも、ガザ地区でも。それぞれの地域に背景があって、敵味方の事情が複雑に絡み合っています。だから、もしその解決の糸口を真剣に考えるのであれば、もっともっと自分たちの足元を見つめ直さなくてはダメです。その足元の見つめ直しには、「教育」が欠かせません。平和というのは小さなことの積み重ねで、個人の立ちふるまいが積み重なった延長線上に、地域の安全や心の安定がある、それでようやく“平和”という状態が形作られていくのです。そんな足元の見つめ直しに必要なのは、「教育」に尽きるのではないかと考えています。「学び直し」と言ってもいいかもしれません。今、8月9日は何の日か問われて、きちんと答えられる長崎の子供は、約3割だそうです。たった、3割ですよ。ここら辺から見つめ直して、築き上げていく必要があります。

 東日本大震災の際に、100人の人が避難所に身を寄せている所へ、さださんの友人が80個のパンを届けたそうです。みんなに行き渡らないからと、受け取りを拒否されました。「悪しき平等」です。これがきっかけとなってさださんは「風に立つライオン基金」を立ち上げて、困っている人たちに援助の手を差し伸べています。「困っている人がいれば、自分なりにやるべきと思ったことを、できるだけやる。それが“平等”じゃないかと思ったんです。その積み重ねの先に、本当の平和な日々があるんじゃないかな、と信じて。それは「神頼み」で他力本願なそれではなく、一人ひとりでは容易に克服できそうもない強大な壁を前にしても、それでも「平和」を希求するならば、「祈り」という崇高な行為には深い意味が宿る」。そこに、さださんは一つの希望を感じます。「命を大事にするのは、それがあなただけの命ではないから。知っている人の命も、知らない人の命も、全部どこかでつながっている。だから、全部大事にしましょうよ」と。

 さだまさしさんが、広島に原爆の落ちた8月6日に長崎から歌い続けた「夏 長崎から」で、毎年最後に歌われたのが「祈り」です。長崎は今日全市が祈りに包まれます。♥♥♥

    祈り

     作詩:さだまさし  作曲:さだまさし

悲しい蒼さの 広い大空を
小さな鳥が一羽 海を目指してる
鳥を撃たないで 約束の町へ
ひたむきに羽ばたく夢を消さないで
誰もが時の流れに 傷つき疲れ あきらめそして
いつしか生まれた時の 溢れる程の愛を見失う

この町がかつて 燃え尽きた季節に
私達は誓った 繰りかえすまじと
生命を心を 奪い去ってゆく
ちからも言い訳も総て許せない
私は祈る以外に 知恵も力も 持たないけれど
短い花の生命を ささやかなこの愛で染めたい

 
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