「ノーモアヒロシマ!」「No more Hiroshima!」と、反戦のプラカードに書いてあることがよくあります。「2つ目の広島をつくってはならない」という主張ですから、more HiroshimasにNoと言わなければならないはずです。No more Hiroshimas!と複数形にするのが正しい英語です。
長崎市・松が枝町の埠頭の一角に建つ「ナガサキピースミュージアム」の玄関に寄り添うように、五線譜のモニュメントがそびえ立っています。これは世界的グラフィックデザイナー故・福田繁雄先生(1932―2009)の「宙(そら)へ」という作品で横1メートル、高さ9.75メートル。さだまさしさんの代表曲「精霊流し」の冒頭部分の音符をモチーフに、歌が天に向かっていくイメージで制作されました。さださんが「何故、「五線に音符」がモチーフなのですか?」と尋ねると、福田先生は「音楽は平和の象徴です。世の中が平和でなくなるとき、まず音楽が奪われます。世の中が自由でなくなるとき、まず音楽の自由が奪われるのです」と答えた、といいます。原爆や戦争を声高に叫ぶことなく、今も被爆地・長崎で異彩を放ちながら、ボランティアによって運営されています。
71歳になった、さだまさしさん。誰もが知る名曲を残し、これまで開催したコンサートは4500本以上。いまでこそ大人気を博していますが、彼ほど世間から叩かれた歌い手も珍しいと思います(28億円の大借金は別として)。私は若い頃から、ずっとさださんを応援し続けていますから、その一部始終を目撃してきました。「精霊流し」で「暗い」、「無縁坂」で「マザコン」、「雨やどり」で「軟弱」、「関白宣言」で「女性蔑視」と批判され叩かれました。「防人の詩」では「右翼」と言われました。「しあわせについて」で「左翼」と真反対の批判を受けたこともあります。その他にも、「いい子ぶっている」とか、「夏・長崎から」を無料で始めた時には「選挙に出るのか!」と、さんざん叩かれました。よくもまあこれだけ言われたものです。当時を振り返って、2017年の雑誌『Oriijin(オリイジン)』春号で、さださん本人が回想しています。
絶望?いや、そりゃもういっぱいありますよ。例えば、20代のときに『さだは暗い』と言われた時期とか。右翼の街宣車が、僕の『防人の詩』を流して走り、原爆の日近くに、広島の野外コンサートに出たら、日和見って言われた。僕は真ん中に立っているだけなのに、『お前はどっちなんだ?いいかげんにしろ』って(笑)。
世間の評価というものを理解するのに、僕は結構な時間がかかった。自分が有名になるっていう恐ろしさも経験して、3~4年かかったんじゃないかな。個人を平気で叩いて、叩いた人は叩いたことを忘れるっていうメカニズムがなかなか理解できなかった。その間、人を恨みもし、呪いもし、怒りもし、悲しみもし…最後は笑えるようになったけど。多かれ少なかれ、みんなが経験することだね。人を疑い、怒りを覚え、自分自身で悲しむ―でも、それを抜けると笑える。そこまで行けるかどうかじゃないかと、僕は思う。
上に出てくる「防人の詩」は、『二百三高地』という東映の戦争映画で、しかも勝利した日露戦争の主戦場となった二百三高地の激戦を描いた映画の主題歌を歌ったことで、「右翼的」だという見当違いのレッテルを貼られました。歌もちゃんと聞かずに、「防人」というタイトルだけに反応して、「戦争賛美」「好戦的な右翼思想だ」と曲解的・短絡的に批判されたのでした。この歌のどこが「戦争を賛美」なんでしょうかね?予想だにしないことでした。「本当に、ちゃんと聴いてくれたの?こんな反戦歌、他にないでしょう」と思ったさださんです。さださん自身は「いまの緊迫した世界情勢の中で、日本という国を愛するたった一人の“人間”として『自分の中の万葉集』『自分の中の防人の歌』というつもりでつくりました」と述べ、「いさなとり 海や死にする 山や死にする 死ぬれこそ 海は潮干て 山は枯れすれ」〔=人間は死ぬと言うが、海や山は死なないのだろうか?もちろん海も山も死ぬからこそ海は潮が引き、山は枯れるのだ。人間も同じだ〕(万葉集)という歌に触発されて、命の尊さと儚さをテーマに作ったと言います。「この歌のどこが戦争美化で右翼なのか。一体どういう聞き方をしているのか。批判自体が信じられなかった。徹底的に反論したかったけど、いったん貼られたレッテルをはがすのは難しかった。腹が立ったし、落ち込んだ。投げやりにもなったね」いわれのない批判だと思いつつも、「これが伝わらないところでやっていてもしょうがない」と、あまりのひどさに同郷の文芸評論家・山本健吉先生に弱音を吐きます。「僕なんか、たかが歌だと思っているんですが、人格まで非難されるんですね」―すると山本先生は、「君、あれは挽歌だよ。日本の詩歌の基本は挽歌だ」と、この歌を最高傑作と称え、「いや、詩歌というのは、そういうものなんだよ。自分の人生観を賭けて歌を歌ってるわけだから、そういうことを言う人がいるのは当然のこと。ただ君は、もういなくなった人を歌うのが非常に上手だ。「精霊流し」も「無縁坂」にしても、あたかも亡き人を謳っているかのような、そんな印象を受ける。「みるくは風になった」も「防人の詩」にしてもそうだが、いなくなった人の歌を歌うのは、挽歌といって日本の詩歌の伝統であって神髄である。君は知ってか知らずか、心のどこかで日本の詩歌の本道をちゃんととらえている。それでいい。君はまちがっていないんだから、何を言われてもやりつづけなさい。ひるむ必要はない。詩歌に生きた人は、そんなことでひるんだ人は一人もいない」と勇気づけてくださったのです。孤立無援の状況下で、それを聞いてさださんは、肚をくくります(『やばい老人になろう やんちゃでちょうどいい』PHP研究所、2017年)。
2012年5月7日、山本先生の遺骨が納められている「無量寿院」(福岡県八女市)で営まれた25回忌法要に出席したさださんは、ギターの弾き語りで霊前に「防人の詩」と「いのちの理由」を捧げ、「防人の詩が『右翼だ』と批判されたとき、たたえる文章を書いてくださった。どれだけ僕の背骨を支えていただいたか」と謝辞を述べました。
また純文学作家の辻 邦生さんは、「いったいあの若さでこれほど深い宇宙的な悲しみを表すことができるものだろうか。それは本当に深い深い人間の感情の根源にぶつかることなくしては歌うことのできない詩であり、メロディであった」と「防人の詩」の本質を鋭く見抜いてくださいました。シンガー・ソングライターの谷村新司さんが、「あれで叩かれるとは世の中おかしい」と意地になって、今度は『連合艦隊』という映画の主題歌「群青」を作り(⇒私の紹介はコチラです)、敢えて火中の栗を拾ってくださいましたが、さださん以上に叩かれてしまいました。
この映画『二百三高地』の音楽監督は、故・山本直純先生でした。「戦争の勝った負けた以外の小さな人間の営みを、ちゃんと浮き彫りにしていきたい。そういう映画なんだ」と言われ、引き受けた曲です。
教えてください
この世に生きとし生けるものの
すべての命に限りがあるのならば
海は死にますか 山は死にますか
風はどうですか 空もそうですか
おしえてください……
で始まる「防人の詩」は、書き出しの「諦観」から、次の詩で、生命や人生の「無常観」へと風穴を開ける希望の歌となっていきます。月の満ち欠けを悲観的に捉えるのではなく、前向きに捉える、命に対するさださんの切なる思いが結実しています。私の大好きな曲です。この美しいメロディーは、締め切りの切羽詰まった中で、駆け込み寺的に誕生したことが新著に綴られていました。
去る人があれば 来る人もあって
欠けてゆく月も やがて満ちて来る
なりわいの中で
曲の誕生由来はこうです。同映画の音楽監督の山本直純(やまもとなおずみ)さんが、同郷のさださんと交流があった縁で、さださんに主題歌の依頼がありました。さださんは映画の主題を知り、「二百三高地の何を描くんですか。要するに“勝った、万歳”を猫くんですか?」と尋ねます。それに対して山本さんは「そうじゃない。戦争の勝った負けた以外の人間の小さな営みを、ちゃんと浮き彫りにしていきたい。そういう映画なんだ」と返答しました。オファーを受けたさださんですが、なかなかか歌ができません。最後には、自身の主演映画『翔べイカロスの翼』の新潟のロケ現場に、山本直純さんの老け顔のマネージャー・斉藤さんが控え室に押しかけ、「今日いただかないと私は帰れません」と、切羽詰まった表情で詰め寄られます。慌ててギターを抱えて曲作りに入りました。その場で1番だけ制作、譜面に起こす時間もなかったため、カセットテープに吹き込んでキーを指定して 手渡しました。その間15分です。やはり彼は天才ですね。「ありがとうございます。これで私、直純に殺されずにすみます」と斉藤さん。この映画は185分もの大作で、途中休憩になる前の死屍累々たる戦地で、あおい輝彦さんが血みどろになって呆然と地獄絵図の中を歩く、戦争のむごさ、無惨さ、悲惨さ、生命の尊さを問いかけるシーンがあります。そこに流れてきたのがこの歌でした。この曲の長さに合わせて、このシーンを足したという秘話があります。
さださんは、被爆地・長崎出身の歌い手として、ラブソングの形で暗喩的に、また時には直截的な言葉で、戦争や原爆と向き合い続ける責任と義務がある、という覚悟を持って反戦歌を書き続けています。♥♥♥
1975年 「フレディもしくは三教街~ロシア租界にて~」(グレープ)
1980年 「防人の詩」
1982年 「前夜(桃花鳥)」
1983年 「祈り」
1991年 「戦友会」
1991年 「あと1マイル」
1993年 「広島の空」
1995年 「兵士の手紙ときよしこの夜」
1998年 「神の恵み~A Day of Providence~」
2002年 「September Moon~永遠という一瞬」
2003年 「風を見た人」
2004年 「遙かなるクリスマス」
2005年 「長崎の空」
2007年 「51」
2022年 「キーウから遠く離れて」



