渡部昇一先生のエピソード(27)~本は買うべし

 故・渡部昇一(わたなべしょういち)先生がまだ子どもだった時代は、現代のように本が豊富にあった訳ではないし、値段も決して安くはありませんでした。本や雑誌は友達同士で貸し借りをしたものです。小・中学生の時代であれば、普通に読む本や雑誌はそうしてもいいし、図書館などから借りてきてもいいのです。この年代の子どもは、本を手元に置くことよりも、まずは読書の習慣をつける方が大切だからです。

 しかし、愛読書だけは買った方がよい、自分にとって面白くてためになる本、二度読み返したくなるような本は絶対に買うべきである、というのが渡部流の教えでした。なぜかというと、本を読んでいると必ず印をつけたくなる箇所があるからです。「いいことを言っているな!」と思ったり、「これは名言だ!」と膝を打つ箇所に出会っても、借りた本では線を引いたり、マーカーで印をつけたりすることはできませんね。借りた本でその種のチェックをしようと思ったら、メモを取るかノートを取らなければなりませんから、ずいぶんと面倒くさいことになってしまいます。すると本を読むこと自体が面倒なものになり、読書そのものを敬遠することにさえなりかねません。自分の本であれば、好きなところに線を引いてもよいし、線で足りなければ○や◎印をつけたり、筆記用具の持ち合わせがなければページを折っておいてもいいでしょう。鋭い指摘や有益な逸話で後で参照したくなるであろうところは、そのページ数を表紙の裏に書き込んでおくのもよいでしょう。読書においてなによりも大切なことは、本を読むことです。著者と知的・情的に交流することです。そしてできることなら感動して、自分の人生に潤いや滋養を得ることです。

 私は学生時代、恩師の安藤貞雄先生から英語学の専門洋書をお借りすることがよくあったのですが、本の余白には、先生の「Yes!」「No!」とか「…を参照」「反例は…」「オカシイ!」といった手書きのコメントがびっしりと書き込まれていました。「あー、本というのはこんな風に読むものなんだな!」ということをまざまざと教えてもらった気がしたものです。本を買い、それを手元に置いて十分活用する重要さを考えた場合、「本を読む時間を削ってアルバイトをしてでも、稼いだお金で本を買ったほうがいい」と渡部先生はおっしゃっていました。長い目で見れば、本は買ったほうがいいのです。

 渡部先生に、身銭を切って本を買う大切さを教えてくださったのは、恩師の佐藤順太(さとうじゅんた)先生でした。先生は武家のご出身ということもあり、刀剣の目利きでもいらっしゃいました。その先生が、あるとき渡部先生に向かって、「刀の目利きになるいちばん確実な方法は、自分の所有物として持ってみることでしょうな」と言われたのです。「素人はよく偽物をつかまされますが、しかしいくら素人といっても、大金を払って買って手元に置いて時々眺めていると、そのうち偽物だということがわかってくるものです。すると、自分に偽物をつかませた骨董屋を恨むようになります。骨董屋の方もいずれはバレることを知っているものだから、そのお客に恨まれることを予期している。それで骨董屋というものは自分が偽物をつかませたお客のことを、なんだかんだと悪口を言うものです」この言葉を聞いて、渡部先生は、①「刀の目利きになる方法はそれを所有することだ」 ②「素人でも、大金を払って買った刀剣を毎日毎日眺めていると、だんだんその価値がわかってくる」という二点に着目され、このことはまさに本についても当てはまる教訓だ、と強く感じられたのでした。本当に本を楽しみたければ、身銭を切って買うべし、手元に置いておくことが大切だ、というのが渡部先生の教えでした。身銭を切れば、確実に判断力も向上するのだ、という信念をお持ちでした。先生のロングセラー『知的生活の方法』(講談社現代新書、1976年)第3章「本を買う意味」の中でも、このことをこんこんと説いておられます。西洋のことわざに「あなたの友人を示せ、そうすれば、あなたの人物を当ててみせよう」というものがありますが、渡部先生はこれをもじって、「あなたの蔵書を示せ、そうすればあなたの人物を当ててみせよう」とおっしゃっておられました。

 渡部先生は、「読書の効用」に関してよくこうおっしゃっていました(一番弟子の江藤裕之先生による)。なるほどね。♥♥♥

 読書は自分で経験しようと思ったら何十年もかかるような、その著者の一番大事なエッセンスをパッと掴むことができる非常に便利なもの。時空間を超えた著者との対話ができる。書かれた内容について自分で考え、共感や批判を通して物の見方を養う。そういう追体験を積み重ねていくことで自己を高めていくのが読書の大きな意義だ。

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