今から42年も前の懐かしい思い出です。東京外国語大学の故・竹林 滋(たけばやししげる)教授の研究室に呼ばれました(竹林先生は、東日本大震災の前日3月10日に、肺炎で急逝されました。享年84歳。さらに、竹林先生の奥様も、前日の3月9日にご自宅で亡くなられていたのだそうです。まるで仲よく手と手をとりあうように、ご夫婦であの世に旅だって行かれました)。私は初めての東京です。「遠くからよく来た」と温かく迎えてくださった竹林先生から、『ライトハウス英和辞典』(初版、研究社)の改訂作業の段取りについての説明を受けました(私は「語法」と「類義語」の担当です)。写真好きな先生は、お話が終わると、記念撮影をしましょうと、お気に入りのカメラで、タイマーを使ってツーショット写真を撮りました(写真上)。その後で、「どうです、今からできたばかりの「池袋サンシャイン60」に行って見ませんか」とお誘いを受けます。当時(昭和53年)できたばかりの日本一高い東京を象徴する超高層ビルです。満員の都電に乗って池袋まで出かけました。それはもの凄い大行列でした。1時間近く待って、完成したばかりの「サンシャイン60」の高速エレベータに乗りました。あれだけ待ったというのに、高速エレベーターはあっという間に最上階に着いてしまいます。でも、そこで見た東京の全景は、とても雄大なものだったことを、今でもハッキリ覚えています。英語学徒にとって憧れの竹林先生と二人で、「サンシャイン60」見物ができた喜びは、一生の想い出になりました。先生は学問には厳しい方でしたが、お人柄はこのように優しい方でした。
かつては東洋一の高さを誇った地上239.7メートルの超高層ビル「サンシャイン60」は、1,300人が作業に励んだと言います(1978年4月オープン)。「とにかく日本一の超高層ビルを作ろう」と意気込んだ男達が心血を注いだのは、ビルの世界一の精度だったそうです。太陽が昇ると気温が上がり、温まった鉄骨がわずかに曲がる。これを防ぐために、作業員は詰め所に泊まり込んで、早朝4時半から鉄骨をワイヤーで矯正する必要があったそうです。竹林先生と乗ったあの高速エレベーターも、「三菱電機」のチームが、当時の世界最速分速540メートルを上回る、分速600メートルを目標に掲げて、世界一を目指しました。車と同じでガタガタ道だと揺れが大きいため、カゴが滑走するレールを一直線につなげる必要がありました。エレベーターの昇降行程は当時日本最長の227mです。命綱をつけて作業用ゴンドラに乗った職人が1本ずつ、手作業でボルトを締め、5mのレールを慎重につなげていきました。据え付けたレールの総数は204本。完成後の計測では誤差0ミリという驚愕の精度だったそうです。エレベーターのカゴに新聞紙を敷いて寝泊まりする作業員もいたそうですよ。最終チェックでは、快適性を試すために、エレベータの床に10円玉を立て、一気に上昇。世界最高の分速600メートルを記録した後、60階でカゴが開いても、10円玉はピクリとも動かなかったと言われています。竹林先生と二人で乗ったあのエレベータは、こんなふうにして出来上がっていたんですね。


チケットを購入するとエレベーターで60階まで上がって行きます。その時の最大速度は時速36km!新宿ビル群や富士山など、海抜251m、360度見渡せる大パノラマ!臨場感溢れる眺望を楽しむことができます。もちろん、東京スカイツリーに東京ドームがしっかり見えますよ。
その後私が訪れた2016年改修の際には、VR=バーチャルリアリティの技術を体験できる場所として、未来の東京を飛び回るようなアトラクションや、センサーに反応して大画面上で雲を集めたり竜巻を起こしたりできる設備に変貌を遂げていました。しかし、新型コロナの影響もあり、この体験型の施設への人気も伸び悩む結果となりました。






