山の上ホテル休業

 川端康成三島由紀夫池波正太郎といった名だたる文豪が愛して、定宿としてきた東京都千代田区の「山の上ホテル」が、2月12日の営業を最後に休業しました。建物の老朽化が理由で、再開時期は今のところ未定です。最終日には、ロビーやレストランを訪れ、別れを惜しむ人の姿が見られました。同ホテルからは、

「平素は格別のご愛顧を賜り、厚く御礼申し上げます。

このたび、創業70周年を迎える山の上ホテルは、竣工から86年を迎える建物の老朽化への対応を検討するため、2024年2月13日より当面の間、休館する事となりましたのでご案内いたします。休館期間等につきましては未定であり、決まり次第ご報告させていただきます。皆様にはご心配とご不便をお掛けしておりますことを深くお詫びいたしますとともに、何卒ご理解を賜りますよう心よりお願い申し上げます。」

 正面玄関前で最後の客を見送った三科徹社長「再開を目指し頑張りますので、引き続き応援をよろしくお願いします」と話しました。コロナ禍での3年に及ぶ自粛期間もあり、ホテル産業は大きな痛手を受けました。私が初めて上京した時に泊まった思い出の「グランドパレス」も閉館(⇒私の思い出はコチラ)。近年よく利用した多摩センターの「京王プラザホテル」も廃業しました(⇒私の思い出はコチラ)。特に高級ホテルシーンでは近年、外資系VS国内系ホテルの戦いのような図式になってきました。インバウンドが増える中で、東京にはたくさんのホテルが上陸しています。所有と運営が別々になっていることは外資に限らず一般的なホテルの構図ですが、「山の上ホテル」を含め、日本の高級ホテルは所有と運営を同一の主体が担っているケースが見られます。資金力についても外資系に分があることは、コロナ禍を経て、「プリンスホテル」(西武HD)も施設の一部をシンガポール政府系投資ファンドに売却すると発表したような例を見てもわかります。「山の上ホテル」も外資系の攻勢やコロナ禍で様々な意味でかなり疲弊しているだろうことは想像に難くありません。果たして復活再生となるのか気になるところです。

 1954年にホテルとして創業し、出版社が多い神田神保町に近いこともあり、作家に執筆に集中してもらう「缶詰め」の現場として度々使われました。創業当時からロビーは原稿を待つ編集者らであふれていたといいます。アールデコ様式の建物は、石炭商の依頼で米国出身の建築家・ボーリズが設計し、1937年に建てられました。クラシックな雰囲気と静かな環境を気に入ったあの三島由起夫は、こんな言葉を手紙にしたため、ホテルに贈ったそうです。「ねがはくは、ここが有名になりすぎたり、はやりすぎたりしませんやうに」食通だった池波正太郎は、館内レストランの天丼をよくルームサービスで注文したといいます。ロビーには池波が描いた絵が飾られています。ライティングデスクや辞書など文豪ゆかりの品々も置かれていました。昨年11月24日にお亡くなりになった直木賞作家の伊集院静さん(享年73)も20年以上前から定宿にし、取材場所にしていすることも多かったホテルです。私も若い頃、辞書の仕事で上京した際に利用させてもらったことがあります。落ち着いた雰囲気の素敵な味のあるホテルでした。コーヒーが本当に美味しかったのを覚えています。「コーヒーパーラー ヒルトップ」はホットとアイスの水出しコーヒーがシグネチャーのコーヒーハウスで、マカロニグラタン、プリンアラモード、ババロア、タルトタタンといった伝統の一品も味わえます。まだ世の中では水出しコーヒーが珍しかったころに、ここではメニューにラインナップしていました。酸味控えめの苦味系で、好みの味でした。

 「山の上ホテル」というのはユニークな名前ですが、神田駿河台という東京のど真ん中に位置していることからも分かるように、本当に山の上にあるわけではありません。GHQ接収時代に「Hilltop House」と呼ばれており、創業者が「丘の上」をあえて「山の上」と訳したことがホテルの名前の由来となりました。「山の上ホテル」が擁する料飲施設は次の通りです。

・てんぷらと和食 山の上
・中国料理 新北京
・フレンチレストラン ラヴィ
・鉄板焼 ガーデン
・コーヒーパーラー ヒルトップ
・バー ノンノン
・葡萄酒ぐら モンカーヴ

 客室数は35と小さいホテルながらも、レストラン・バーが7つもあるのは、非常に驚くべきことです。それだけ、食に対して力を入れているということでしょう。復活が待たれます。♥♥♥

 

カテゴリー: 日々の日記 パーマリンク

コメントを残す