藤田 田さんの誤り

 このところ、アメリカから初めて日本にマクドナルドを持ち込んだ伝説の起業家の故・藤田 田(ふじたでん)さんを再評価する動きが見られるようで、昔の著書が続々と再刊されています。藤田さんは松江北高の卒業生で、応援団長、クラス総代、記念祭委員長などを務められました。寮内で召集令状を受けて戦地に行く3年生の壮行会で軍国主義を堂々と批判し、「赤紙1枚で戦争に行き、死ぬことがどんな無意味なことか」と演説し、先輩から拍手喝采を受けたというエピソードも残っています。松江高校の寮内の食糧難解消のための交渉にも尽力し、当時から商才を発揮して解決しておられました。 

 高校在学中にお父さんが病死。米軍の空襲で家とほぼ全財産を失いました。戦災を避けるため、島根県・旧制松江高校で寮生活をしていた藤田さんは、そこで敗戦を迎えます。当時の松江高校は、全国の旧制高校の中でもバンカラ度の最も高い、荒々しさと汚さでは随一の学校だったといいます。それだけに自由革新の気風に溢れた高校でもあって、藤田さんは校風に馴染んだのでしょう。肩までかかる長髪に羽織袴、高下駄で町中を闊歩していたようです。ことあるごとに、全校生徒の前で自分の主張を早口の大阪弁で理路整然とまくしてたてていたそうです。最大の武器は「口」=弁論だったようです。宍道湖の美しさにも心を惹かれていた、と書いておられます。夕暮れ時に松江大橋から嫁ヶ島方向を見る景色の美しさはほかに例えようもなく、東洋のジュネーブと呼ばれるゆえんでもあります」と。ある日この松江大橋の上でばったり友人と出くわしました。その友人が面白半分に「この橋から飛び込めるか?」と挑発してきました。負けず嫌いの藤田さんは、「飛び込めるとも。なんなら5円かけようではないか」と答え、着物のまま飛び込みました。その後も懲りずに何度か飛び込んだ記憶があります。若気の至りですね。こうして多感な青春期を松江市で過ごした藤田さんは、同市に対してひとしお強い愛着を感じざるを得ませんでした。戦火に加えて、お父さんの死もあって、お金に困っていた藤田さんは、松江に進駐してきたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に飛び込み、通訳のアルバイトをするようになります。それから東京大学・法学部に進学します。

 東京大学在学中に輸入雑貨販売店「藤田商店」を設立しました。女性ブランド商品やゴルフ用品を手がけた後に、ファーストフード業界に目をつけました。ハンバーガー・ショップマクドナルド」をアメリカから日本に持って来たのは、藤田 田(ふじたでん)さんでした。1971年、米国・マクドナルド社と提携し、東京銀座に日本で初めてマクドナルド一号店をオープンさせました。私は藤田さんの生き方をその数ある著書で詳しく調べてみて、たくさんのことを学んでいます。とってもいいことをいっぱい言っておられ、ずいぶんと勉強になる生き方でした。あのソフトバンク孫 正義(そんまさよし)さんが、高校生の時に、電話で何度も断られたにもかかわらず、佐賀県からはるばる東京の本社までおしかけて、藤田さんにアドバイスを受け、(これからはコンピューターの時代だ!」)、その足でアメリカ留学に向かったことは有名な話ですね。

 売り上げの低迷を世の中や政治のせいにするのは、己れの知恵の無さや勉強不足を露呈しているにすぎない。(藤田 田)

 しかしただ一つだけ、私には同意できない点がありました。それが「勝てば官軍」という哲学です。これは「勝てば官軍 負ければ賊軍」という言葉から来ていて、何事も強い者や最終的に勝ったものが正義とされることのたとえです。藤田さんは、ビジネスの世界には「勝てば官軍」の論理しかない、「勝てば官軍、負ければ倒産」食うか食われるかの修羅場なのだとして、「人生はすべて金だ、金だ」と主張しました。ただし、その儲けたお金を自分のためにため込んだのではなく、社員たちの給料や福祉・医療に還元しておられたことは名誉のために言っておかねばなりませんが。

▲藤田 田『勝てば官軍』

 この哲学に従い、日本全国で「価格破壊」を引き起こすなど、経済感覚、会社経営に長けたカリスマ的人物でしたが、晩年は、日本マクドナルド」の業績が迷走するなど、それらに翳りが見え始めます。2000年(平成12年)2月からは「平日半額セール」などの大胆な新戦略を展開。適正利益を度外視するようなコストすれすれの、競合他社が悲鳴を上げ、お手上げになるほどの超低価格路線を実践しました。デフレ下でも業績を一段と伸ばして、2001(平成13)年7月26日にはジャスダック市場に上場を果たし、日本マクドナルド「デフレ時代の勝ち組」、社長の藤田さん

▲藤田 田さん

「ハンバーガー王」と謳われました。しかし、インフレ時代が来ると、半額セールの打ち切りで、客数が減り再び値下げする、など価格政策の迷走により、経営が悪化したことや、悪夢であったBSE(狂牛病)の影響により客離れを引き起こし、同2001年(平成13年)に創業以来初の赤字に転落します。2002年(平成14年)7月、日本マクドナルドの不振や、自らの体調不良などにより社長を辞任せざるを得なくなります。2002年3月、会長兼CEOに就任しますが、連結決算で創業以来の最終赤字になったことから、2003年3月28日の株式総会後、会長退任を余儀なくされました。日本マクドナルドの経営から退いた後は、公の場に出ることは少なくなり、2004年(平成16年)4月21日、心不全のため東京都内の病院でひっそりと死去されました。78歳でした。桜の花が散るように静かに退きたい」というご本人の思いとは裏腹に、毀誉褒貶の相半ばする人生でした。いわば晩節を汚し、失意のうちにお亡くなりになり、一時は成功したように見えましたが、結局は自滅してしまった印象です。

 松下電器創業者で故・松下幸之助さんの薫陶を受けた、私の尊敬する江口克彦(元PHP社長)さんは、ここら辺の藤田さんの姿勢を手厳しく批判しておられました。私も同感です。

 私自身の思い出を振り返っても、あるとき一世を風靡した経営者が「勝てば官軍」という言葉をタイトルにつけて単行本を発刊したことがあります。私は非常な違和感を感じ、そのような考え方は間違っていると私は自らの著書でしばしば批判してきました。すると、やはり、数年後にその経営者の会社は、赤字転落してしまったのです。マスコミがよく持て囃した経営者でしたが、私の考えからすれば、その経営者の凋落は至極とうぜんのこと、私の予想通りになりました。そして、「勝てば官軍」と表明していただけに、まさに自らの経営人生の晩節を自ら汚してしまったという無念を、この経営者は死に際に後悔したことだろうと思います。   ―江口克彦『ほんとうの生き方』(PHP出版)

 松下さん自身も、「結果だけが商売であるという考えは間違いや。勝てば官軍であるという商売は、結局失敗する」江口さんに語っておられます。「ただ成果をあげさえすればいいんだというわけで、他の迷惑もかえりみず、しゃにむに進むということであれば、その事業は社会的に何ら存在意義を持たないことになる。だから、事業の場合も、やっぱりその成果の内容――つまり、いかに正しい方法で成果をあげるかということが、大きな問題になるわけである」

 さて、ここからは私の考えです。法律に触れなければ何をしてもよい、という姿勢で経営して莫大な利益をあげていくというのは、明らかに間違っています。人間的に正しい道というものを歩んでこその成果であって、法律に触れなければ何をしてもよいではなくて、あの松下幸之助さんが重視したように、勝ち方に美しさがなくてはいけません。藤田さんが唯一道を間違えた点がそこだったと思います。結果さえよければそれでよいというのではなく、よりよい成果をあげることが大事であると同時に、そのプロセスも大事にする、という姿勢が大切だと思うのです。結果を大事にする以上に、それを生むまでの過程も大切にしたいというのが、私の哲学です。最近のニデックの不正会計問題・品質面での不正問題も思い出されます。損得」ではなく、尊徳」で生きるということですね。私は英語の指導も、そんな思いで40年以上やってきました。とにかく点さえ取ればそれでいい」ではダメなんです。人間力に裏打ちされた本物の英語の力をつけないといけない。私が松江北高を辞したのはこれが理由でした。藤田さんの失敗例を心に刻んでおきたいですね。松下さん自身も「きみ、わかるか、商売するとき、結果を出せばいい、結果だけが商売や、と考えたらあかん。何をやってもいい、勝てば官軍、という商売はあかんよ」と言っておられました。

 商売は「ギブ・アンド・テイク」と言われるたびに、藤田さんは「俺は慈善事業をやっているんじゃない」と反発して、「テイク・アンド・アスク・フォー・モア」つまり取った上で、「さらにもっとよこせ」と言っておられました。「ギブ・アンド・テイク」では、儲ける前にまず与えなければなりません。後でその分だけ儲けても、よくてトントン、下手をすれば大損をしかねません。名だたる商人が「テイク・アンド・アスクフォーモア」と手を出すからには、こちらも遠慮なく取りまくった上で「もっとよこせ」と手を出さなければ、彼らに太刀打ちすることはできない、としておられました。典型的な商売人の心得を説いたものでしょう。でもこれも間違っている、と私は感じています。

   よく人から「八幡先生の生き方のポリシーは何ですか?」と聞かれることがあるのですが、「Give and Giveです」とお答えすることにしています。見返りを求めず、周りの人のために行動していると、神様は必ず見てくれていて、必ず自分に戻ってくる、というわけです。これは、亡くなった私の母の生き方に学ぶところが多かったせいかもしれません。母は実際、おせっかいなくらいに人のために行動していました。人助けです。そうすると不思議なもので、その倍くらいになって戻ってくるものなんだよ、と教えてくれました。母は信仰心のあつい人だったので、神様の教えとしてそれを実践していたのかもしれません。母もずいぶんと裏切られたりもしたことを、子供ながらにまじかに見てきましたが、母はそのような生き方を貫き通していました。やはりそのDNAが流れているのでしょうね。見返りを求めずに人のために動いていると、自分も多くの人に助けてもらえている気がしてなりません。

  他の人との関わり方は、次の4つ(①~④)が考えられます。

①「Take and Take」

自己中心的な生き方で、自分さえよければそれでよい、相手からはもらうことしか考えていません。この生き方ではだれからも相手にされることはないでしょう。厚かましく、相手のことなどは眼中にありません。「もっとよこせ!」、アメリカのトランプ大統領がまさに見本です。

②「Take and Give」

基本は相手からもらうこと、に視点がある生き方で、ちょっとだけお返しもするけれど、やはりと同じでいけません。まずは自分のことを常に考えています。

③「Give and Take」

自分から相手に与える、そして相手に与える分は、相手からもいただこうとする考え方。ほとんどの人はこの生き方でしょう。①②に比べて少し進歩はしていますが、常にもらうことが心の隅に渦巻いている気がします。TAKEを目指してGIVEしているのであれば、あさましくちょっと嫌な気もします。人様にGIVEをして、もしご縁があれば自分もTAKEする機会があるかもしれない、くらいの考えでいたいものですね。

④「Give and Give」

見返りを求めない生き方。自分で役に立つことは何でも相手にしてあげよう。人の役に立ちたい、相手を喜ばすことに力点を置く「利他」の生き方です。周りの人の幸せや社会への貢献を考えるならば、TAKEなどはなくても構いません。

 私も若い頃は、①②③で生きていた時代もありましたが、一時期からは、徹底しての生き方を実践しています。不思議なもので、利他」の生き方で相手に喜んでもらっていると、思いもかけないところから返ってくるみたいですよ。自分にできる範囲内で、の生き方を心がけたいですね。人様にGIVEする気持ちがあれば、幸せな気持ちを感じることができます。自分自身のことだけを考えるのではなく、他の人や組織や社会の人たちの幸せを願うと、不思議と自らが幸せになれるのです。「利他」の精神が自分の幸福度を高めてくれるのです。私がこのような考えを実践するきっかけになったのは、京セラの創業者・稲盛和夫(いなもりかずお)さんの著書を読むようになってからです。稲盛さんは新たな事業を始める時には常に、「動機善なりや、私心なかりしか」と自分に問い続けたそうです。全ては人のためです。よ~く考えてみるに、親の愛」は間違いなくの生き方ですね。子どもを慈しんで、あれもしてやりたい、これもしてやりたい、決して見返りなどを求めません。子どもの幸せだけをひらすら願っています。こうやって優しさの中で育った子ども達は、何も言われなくても親に恩返しをするようになりますね。

 「Give and Give」で生きていると、もちろんだまされることもあります。私もずいぶん人にだまされて辛い思いをしたことが何度もあります。でもだます」より「だまされる」方が人間的に魅力的だ、とおっしゃっておられたのが、私の尊敬する偉大なプロレスラーの故・ジャイアント馬場さんでした。

 たとえば、オレの場合は、自分でできる約束しかしない。できる約束かどうかを見極めて、できない約束はしないことにしてるね。できない約束なんて約束じゃないと思うな。だから、変な話かもしれないが、人と待ち合わせの約束をしたら、絶対に相手を待たせないとかね。お金に関しても同じで、払えない金額をいくらいってもしょうがない。相手を裏切ることだし、結果的には信用をなくしてしまうからね。
 やっぱりね、人生で一番大事なのは人間関係だろうな。自分で決めたルールではないが、自分から他人をだましたことはない。だますよりだまされた方がいいよ。だますヤツには魅力はないけど、だまされるヤツには魅力がある。オレが思うには、絶対に他人にだまされないヤツって、よっぽど警戒心が強く、猜疑心が強いヤツでね。そんな人間に魅力は感じないね、オレは。これはオレの性格なんだろうね。裏切られたらオレは、その人間を許さない。性格上そんな人間とは二度と付き合いたくないからね。別に潔癖症ではないけど(笑)。さっき言ったように約束したらきちんと守るといったようにね。できない約束ならしない方が楽だとオレは思うしね。  (馬場さんインタビュー、下線は八幡)

 松江北高時代に、「何のために学ぶのですか?」という質問には、私はWe learn to be. であって、We learn to  have.ではない!と断言しました。学校では生徒たちに、「人が先、成績は後」と言っていました。点を取ればあとは何をしてもよし、では困ります。人の道にはずれるようなことを平気でする生徒もいました。礼儀のかけらも全くない生徒がいます。点数のためならどんな汚い手を使ってもOKという生徒がいます(「進研模試」の解答・解説が有料でネットで出回っているという報道がありました)。約束を平気で破る生徒がいます。提出物の締め切りを平気で破る生徒もいます。また掃除時間中に、単語集片手に英単語の勉強をしている人がいます。努力・準備も全くせずに「散歩のついでに富士山に登ろう」としている生徒も目立つようになりました。この人たちには、きちんと「人の道」を教えてあげないといけません。大人になってから困ります。そんな気持ちでずっと教えてきました(いくら嫌われてもこれもGiveです)。尊敬するクロネコヤマトの故・小倉昌男(おぐらまさお)社長(八幡家で利用する荷物はすべてクロネコヤマトです)、「サービスが先、利益は後」と喝破されました(その理由:良いサービスを提供すればお客様に喜んでいただける。→お客様に喜んでいただければ荷物が増える。→荷物が増えると、エリア当たりの荷物の個数が増えて密度化が進む。→密度化が進むと生産性が上昇し、自然に利益が出る。→とにかく良いサービスを提供することだ)。お客様のための数限りない改革を、この精神で貫き通した人物です。本当に大成功をおさめられましたね。最近の私は、“Give and Give”からもう一歩進めて、“Give, Give & Give”に踏みこみたいと考えています。自分のあり方、生き方を磨くことで、いくらでも後から利益はついてきます。このことを象徴的に表した、私の大好きなお話があります。ウェイン・ダイアーの本で読んだ逸話です。❤❤❤

 子猫が自分のしっぽをつかまえようとしているのを見て、大きな猫がこう尋ねた。「どうして自分のしっぽをつかまえようとするの」子猫が答えた。「猫にとって一番大事なのは幸せで、その幸せは僕のしっぽだってことがわかったんだ。だからつかまえようとしているの。しっぽをつかまえたら、きっと幸せになれるんだ」するとその年取った猫が言った。「坊や、私もそういうことに関心を持ったときがあった。私も幸せは自分のしっぽにあると考えた。けれど、気がついたんだよ。しっぽは追いかけると決まって逃げていく。でも、自分の仕事に精を出していると、しっぽは私がどこへ行っても必ずついてくるみたいだよ」

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