御木本幸吉

御木本幸吉 に対する画像結果 真珠一筋に生涯を捧げ、世界の真珠王」(Pearl King)と呼ばれた御木本幸吉(みきもとこうきち)さんの話をしたいと思います。それまで天然真珠は1,000個の貝の中に1個あるかないかの大変希少で高価なものでした。世界中の誰もが愛する真珠を自分の手で作り出そうと決意した幸吉は、誰一人実現することができなかった真珠の養殖を、1893年に世界で初めて成功させ、歴史にその名前を刻みました。

 若い頃、御木本幸吉さんは商売を志して東京に出てきました。そこで、ある展覧会で出会った天然の真珠に魅了されてしまったのです。しかしその値段を聞いて驚いた幸吉は、真珠を養殖して、世界中の女性に手頃な価格で提供できるなら、どれだけ喜んでもらえるんだろうと心の底から思いました。そのときの熱い想いがふるっていて、「世界中の女性の首を真珠のネックレスで飾りたい!」。後年、学校を卒業してしばらくして、天職として真珠の養殖に乗り出します。この時、ある大学の生物学の専門家に、果たして人工的に養殖して真珠ができるかどうかを相談してみました。すると、「理論的にはできないことはないが大変難しい」「世界中で今までいろんな人が試してみたがうまくいかない、まさに前人未到の世界である」などと言われました。普通の人なら、その言葉を聞いて尻込みするはずのところですが、彼は背筋がぞくぞくするほど興奮を覚えたと言います。「世界中の誰もやったことのないことだからこそ、男が一生をかけてやるに値する仕事だ」と、心の底からそう思ったそうです。

 真珠の養殖の計画を知人にもちかけると、いい儲け話だと多くの人が群がってきました。しかし、これは予想していた以上の難事業で、そのうちお金も底をついてきました。こうなると、人はみな手のひらを返したように離れていきます。やがて一人抜け、二人抜け、とうとう彼の周りには誰もいなくなってしまいました。そのうちにいろいろな悪い噂も立ち始めます。「御木本は詐欺師だ」「あいつは山師だ」とか。しかし、これくらいのことでへこたれるほど彼の信念は弱くはありませんでした。そんな非難中傷に対しては笑い飛ばして、「俺は山師ではない。海に生きているから海師だ」とうそぶいたのです。誹謗中傷を全くものともしませんでした。ここら辺は見習わなくてはいけません。

  数年の歳月が経ちましたが、成功の兆しが一向に見えてきません。お金は完全に底をつき、親戚縁者までもがだんだん離れていきました。それでも、自分の夢は何としても実現したいと歯を食いしばって頑張りました。夫人の陰の力も大きかったようです。そして、ようやく完成のめどが立ったある日、今度は赤潮の襲来です。心血を注いで育てたアコヤ貝がほとんど死滅の危機にさらされてしまいました。このときばかりは、さすがの幸吉もまいってしまい、万策尽きて絶望の淵で、彼は鳥羽の海に身を投げようとしました。しかし、今まさに身を投げようとしたその瞬間、ふっと浮かんできた妻と子供の顔。「今、私が身を投げて死んでしまえば楽になる。しかし、残された妻や子供は永遠に陰口を叩かれることになってしまう、それではあまりにかわいそうだ、よし、死んだつもりでもう一度頑張ってみよう」そう思って気を取り直し、もう一度一からやり直すことにしたのです。

  人のいやがる仕事を率先してやり、お金も工面して、もう一度自分の夢にかけることにしたのです。もし彼が、この絶望の淵で志を折っていたならば、大人物・木本幸吉はありませんでした。いやそれだけでなく、彼や彼の家族、子孫にまで、「御木本は詐欺師だ」の汚名がついて回ったに違いありません。

 その数年後に、とうとう世界初の養殖真珠を完成させ、「世界の真珠王」としての輝かしい第一歩を踏み出しました。その大成功は言うまでもありません。非難中傷を乗り越えてきたからこそ大成功できたのです。それでも「日本の真珠商人が扱っている養殖真珠は、天然真珠の模造品であり、それを売るのは詐欺商法だ」と伝える記事が、1921年ロンドンの新聞に掲載されました。フランスのパリでも、養殖真珠に対して疑いの目が向けられ民事裁判となりましたが、MIKIMOTOは勝訴しました。この「パリ真珠裁判」をきっかけに、養殖真珠とMIKIMOTOの名は世界に広く認められたのです。1927年、欧米へ視察に行った際、あの発明王・トーマス・エジソン幸吉にこう言いました。「これは養殖ではなく真の真珠です。私の研究所でできなかったものが二つある。一つはダイアモンド、今一つは真珠です。あなたが動物学上からは不可能とされていた真珠を発明完成されたこと、世界の驚異です」と絶賛しています。これに対して幸吉「あなたは巨星のような存在だが、私は多くの発明家の一人にすぎない」と答えました。実に謙虚そのもの。「世界の真珠王」と呼ばれるようになってからも決して驕り高ぶるようなことはせず、かなり質素な生活を送りました。そのお陰でしょうか、96歳まで長生きしています。人間、地道な努力と謙虚な人柄こそが、最終的に人生の実を結ばせるのでしょうか。♥♥♥

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