かつて「ゆとり教育」と称して、知識重視型の教育を「詰め込み」だと決めつけて批判した文科省のお偉方が、学校での学習時間と学習内容を減らし、自由な時間を増やして、そこでの経験を通じて総合的な学びを図ろうとしたことがあります。その「ゆとり教育」を推し進めた結果、それまで海外先進国と比べても上位にあった日本の子どもたちの学力が著しく低下しました。特に英語の落ち込みがひどかった。私はセンター試験開始以来のデータをとり続けていますが、それまで全国上位にあった島根県の英語のセンター試験の成績が、「ゆとり教育」の開始と呼応するかのように、全国最下位近辺にまで低下していきました(島根県教育委員会のトップが長く文科省の出向であったことも無関係ではありません)。私は当時から、これは「ゆとり」ではなく「ゆるみ」だと主張していました。今はその反省から、小・中・高と授業数が復活して成績の回復が見られますが、文科省は自らの過ちを認めることはありませんでした。島根県のセンター試験・共通テストの成績は相変わらず低迷したままです。
「ゆとり教育」で目の敵にされたのは、「暗記」でした。私たちの子ども時代は暗記が最も大切なことでした。どんどん知識の詰め込みでもいい、意味など分からなくてもいいから丸暗記させるに限る、という方針でした。若いうちは徹底的に覚えることが大切です。たくさんのことを覚えたり、技術を習得したりするためには、とにかく頭の中に叩き込むことが必要です。なぜそうなるのか、どう役に立つのかという理屈はその後でいい。「鉄は熱いうちに叩け」のたとえ通り、頭が柔軟でキャパシティに余裕のある時期に、徹底的に知識を叩き込んでおくべきだ、というのが私たちの受けた教育でした。高校時代も暗記、暗記の連続でした。数学や物理は公式が頭に入っていなければ手も足も出ません。英語だって国語(古典)だって言葉そのものや言い回し、イディオムを知らなきゃ文章なんて理解できません。名文と言われる古典作品を暗記させられました。歴史だって何年に何が起きたのかやその背景を必死で覚えたものです。そして受験勉強で培われた暗記力は、教職に就いてからも大いに役立っています。頑張って詰め込んでいくことで、記憶力のキャパシティが広がっていくのです。集中力や持続力も磨かれました。そういう訓練は若い時期には重要なものだと思います。「暗記は意味がありません」などと断罪する人は、知識や技術の習得の本質ということが分かっていません。基本的な知識の蓄積のその先にしか、応用力や独創的発想は生まれてくることはないのです。学校教育だけでなく、仕事でも同じ事です。歌舞伎をはじめとする伝統芸能の世界でもそうですね。まずはしっかりとした基本的な形の習得の後に、独創的な「型破り」が生まれます。「守破離」(しゅはり)の考え方ですね。
最近学校教育では、「暗記」は機械的な営みのように受け取られ、考えたり理解したり、ひいては創造したりといったことをスポイルするかのような言われ方をします。「暗記」が教育をスポイルする、教育に反するというような目の敵にした言われ方をするようになったのは、教育の場で「個性」とか「創造性」とかがしきりに言われるようになったことと軌を一にしています。理屈抜きでとにかく覚え込む、このような営みは「個性」を疎外し、「創造性」を潰すという考え方です。私は語彙力も知識もない入学したばかりの高校一年生に、英語で議論、ディベートの練習をさせる授業を見て呆れ滑稽に思っていました。私の尊敬する故・渡部昇一先生は、60歳を過ぎてからもラテン語の名文句集や『ギリシャ・ラテン語引用句辞典』を暗記しておられました。今の学校教育とは正反対の主張をしておられます。
逆です。とにかく暗記する。だが人間の脳味噌というのは暗記したものをそのまま積み重ねておいたりはしないようにできているんです。必ず暗記したものを材料にして考える。そこに個性が出てくるんです。暗記したものを組み合わせて、その上に創造性を発揮する。そういうふうになっているんです。何の材料もなしに、どんな個性が出てくるんですか。どんな創造性が発揮されるんですか。私はね、そもそも教育が個性や創造性を目標にするのが間違っているとさえ思うんです。教育はまず暗記を目的にすべきですよ。暗記によって蓄積したものが豊富であればあるほど、教育なんかしなくても、個性や創造性は自ずと出てきて、発揮されるものですよ。もし暗記の修行をしても出てこなかったら、暗記しなくても出て来ないでしょう。(渡部昇一)
私のクラスに、他県で通っていた塾で「英単語は覚えるものではない。文章の前後関係から類推するものだ」という指導を受けてきた生徒が、毎日実施される「単語テスト」の勉強を一切して来ず、いつも不合格で追試に回っていました。いくら言っても自説を曲げようとしません。当然第一志望校には合格できず補習科で浪人をしました。さすがにこの時点で自分のやり方の間違いに気づいたようで、後れを取り戻すべく別人になったように一生懸命単語の勉強に励み、見事志望校に合格しました。やはり基本的な単語は暗記しなければなりません。ある程度語彙力がついた段階では、「推測」は重要になってきます。私は『英単語はアタマ・オナカ・シッポで攻略だ!!』(自費出版)を作製して北高の生徒たちの指導にあたってきましたが、これは「暗記」を否定するものではなく、ある程度基本語をマスターした上で語彙力のついたところに、こういった「成り立ち」を知ることで、さらに語彙の世界が広がっていくことを狙ったものでした。大変効果がありました。私が単語集『LEAP』(数研出版)を薦める理由もここにあります。♥♥♥



