小田和正の魅力

 今から22年前の2002年の学級通信「あむーる」に、私は「小田和正の魅力」と題してエッセイを書いています。私が小田さんを若い時から追いかけて魅了されている訳がみなさんにも分かっていただけるかと思います。今日はそれを再録してみたいと思います。懐かしいなあ。


小田和正『自己ベスト』を出した。八幡は小田さんの人間的な魅力に惹かれている大ファンであるが、今週はその人柄を概観してみる。素敵だと思わないか?

 「自分にとって意味のある抵抗をせよ!自分にとって意味のない抵抗はするな!そしてその判断をするのは自分である」よく教室で紹介する言葉である。学生服のボタンをだらしなくはずしたり、シャツを出したり、髪を染めたり、ピアスをしたり、指輪をしたり、スカートを短くしたりすることが、はたして意味のある抵抗であろうか?私は疑問を感じる。54歳になった小田和正オフコース時代は「売れる曲」を書かなくては、という束縛があったという。毎年毎年アルバムを作り全国をコンサート活動で回り、という図式に疑問を感じ、年一作を放棄した。いいものができたときだけ聞いてもらいたい、という彼なりの抵抗(ポリシー)だ。そんな生き方に共感を覚える。

▲高校3年の文化祭では4人で「グリーンスリーブズ」を合唱し評判になった。その中には後にオフコースを組む鈴木康博地主道夫もいた(親友との出会い)。▲家業が薬局だった小田は医学部志望。高校2年の時、国立大学病院を見学し、暗い病棟でホルマリンのにおいをかいだ途端、自分には向いていないとおじけづいた(オープンキャンパスに参加することの重要性)。▲帰宅してすぐ「もう医者はやめた」と宣言すると、毋はあっさりと承諾してくれ「これからの時代は建築よ」と言った。理系と文系の中間ぐらいの学問が向いていると思っていたので建築はうってつけだった(安易に選択することの怖さ)。▲鈴木東京工業大学へ、地主小田東北大学に進学する。離ればなれになっても夏休みには横浜でコンサートを開く(友人の大切さ)。▲大学4年の時、初めて「ジ・フコース」を名乗りヤマハ・ライトミュージック・コンテストに出場。東北予選を1位で通過し全国大会へ。建築関係に就職するつもりで、全国優勝をして音楽にけじめをつけようと考えていた小田。そこで山本潤子「赤い鳥」のハーモニーに打ちのめされる(挫折の経験)。▲彼女たちの「竹田の子守歌」は鳥肌が立つくらいすごかったという。2位にはなったものの、負けを引きずったまま音楽をやめる気にはなれなかった(再挑戦の決意)▲早稲田大学理工学部建築科修士課程に進み音楽活動を続ける。当時は「南こうせつとかぐや姫」の前座として全国を回る。幕が開くと客席がワーツと沸く。オフコースが歌い始めると「あれ、かぐや姫じゃない」って感じになる。小田「次が最後の曲です」と言った途端大きな拍手が来る。「やっと終わりか」という意味。哀れだったと振り返る(下積み時代の辛さ)。▲大学院に戻り、「建築への訣別」と題する修士論文で教授陣との質疑応答に臨んだ小田。近代建築の巨匠を論文で切り捨て、目の前にいる先生が設計した理工学部の校舎まで否定するなど、若気の至りで言いたい放題(自分にあくまでも正直に)。▲さすがに「建築はダメで音楽はいいと言うのか、君は!」と先生が怒り出す。最後は「訣別」の題名を穏便なものに変更するという条件で論文を受け取ってもらう。その足でライブハウスの新宿ルイードで歌う。「今日、僕は建築をやめてきました。これから頑張って音楽をやっていきます」と(人生の転機)。▲当時のヒットメーカー筒美京平の書いたシングル曲「忘れ雪」を、コンサートでどうしても歌いたくないと拒否し続ける。レコードを売りたい事務所側と「新人のくせに生意気だ」と対立(一部のファンの間では「忘れ雪事件」として知られる)。小田「歌いたくないものは歌えない」と自説を曲げず押し通す(妥協することへの拒絶)。▲あれほど嫌いだったTVのCM(ネスカフェコーヒー)にも出演する。「何でも体験しておこう」と好きなゴルフのキャディーに挑戦。青木功のアメリカでのシニア大会に同行する(幅広い興味とその追求)。▲他の選手の邪魔をしてしまったり、残り距離の計算を間違えたりと、緊張で失敗の連続。いい年をして、青木さんに「こら、何やってんだ」と怒られたり(失敗からの学習)。▲ソロになってから驚愕の270万枚を売り上げ当時のシングル売り上げ記録を作った「ラブストーリーは突然に」(「東京ラブストーリー」主題歌)で大もうけし、数年先と考えていた念願の映画制作の資金ができる。92年に自ら脚本、監督、音楽を手がけた「いつかどこかで」を全国公開。だが映画評論家からは酷評される。「才能の無い者に映画を撮らせてはいけない」とまで言われた。悔しさで体が震えたという。意地で2作目「緑の街」を映画館で上映せずに地元の小ホール上映で全国を回る。次の3作目が勝負だという(男の夢と意地)。

 「僕自身、50を過ぎて歌うなんて予想もしなかったけど、声は今が一番よく出ている。節制していないのに不思議ですよ。いろんなことにチャレンジし失敗もして、悔しがったり喜んだりしているから、いつも新鮮でいられるのかもしれません」小田「将来は締めくくりとして、代表曲を英語で歌ったCDを作りたい。欧米の音楽を目指してやってきた以上、そこをブレークしないと、ゴールに到達できないという想いがどこかにあるんですよ。」楽しみにしたい。新星堂小田和正フリーペーパーを教え子が東京から送ってくれた。有り難い。


 

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