芸術は太陽と同じ

 私は故・岡本太郎(おかもとたろう)さんのファンです。前回の万博の際の「太陽の塔」が大好きで何度も大阪万博公園に足を運んでいます。誰に何と言われようと、自分のポリシーを曲げることはありませんでした。そういった生き方に強く惹かれます。岡本太郎さんは「絵を描いても、売らない」と話していたように、自分の絵画を売ることは決してありませんでしたが、公共の場所に置かれる壁画やモニュメントは、喜んで制作しています。理由は「芸術は太陽と同じ」という考えからです。太陽は地上にいる人に差別なく無条件に降り注ぎますが、かといって「オイ、あったかかったろう。いくらかよこせ、なんて掌を出したりはしないだろう。芸術もそれと同じだよ」岡本さんの言い分でした。なるほど!

▲岡本太郎「こどもの樹」

 かつて「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」というウィスキーのCM(ロバート・ブラウン)がヒットしたことがあります。そのウィスキーを一本買えば、岡本さんのデザインしたグラスが貰えたのですが、それを知ったある画商が岡本さんに、「ただでついてくるものをつくると、ご自分の値打ちを引き落とすことになるから、これからはやらないでください」と忠告します。「自分を安売りするな」という諫めなのですが、岡本さんは芸術に関心のない人が、グラスでウィスキーを飲みながら、「ああ、この顔のグラスはいいなあ」と喜んでくれるなら、「ただでもちっとも悪いことはない」と答えたそうです。岡本さんにとって芸術は誰もが楽しみ、誰もがつくりたいと思えるものでなければならなかったのです。

 岡本さんは小学校を3回も転校するほど、学校側から見ると厄介な生徒でしたが、そこには岡本さん自身の「こんな学校では学びたくない」という強い意志があったと言われています。特に岡本さんが嫌ったのは、勉強でも運動でも子どもに「等級」をつけることでした。等級という順番によって子どもは力の限界を思い知らされ、心に傷を負うことになります。優等生は「いい子」、順番が下だと「お前はどうしてそんなにダメなんだ」と言われるわけですが、ではその順番と人間の価値に関係があるかというと、何の関係もありません。学生時代の成績がいい者が社会に出て成功するとは限らず、世界を変える何かをつくり上げるとは限りません。学校の成績にとらわれず、「オレはそんな薄っぺらな物差しで測れる人間じゃないぞ、と思ってりゃいい」というのが、岡本さんからのアドバイスでした。小学校1年生の時に3回も小学校を替わっています。理由は幼いながらに小学校の先生の理不尽を嫌い、ガキ大将グループにも決して妥協しようとはしなかったからです。最初の青南小学校では「先生だからと威張り腐る」態度に我慢がならず、2番目の日新小学校はやたらと気位の高い学校の雰囲気についていけず、3番目の十思小学校はムチを振るって生徒を従わせようとする教師を許すことができませんでした。ガキ大将グループのいじめに「自殺したい」と思ったこともありますが、決して強い者に順応しようとはせずに、「スジを守る」生き方を貫きます。最終的に慶應幼稚舎に移り、以後、転校することはなくなります。後年、同級生の一人から当時岡本さんが描いた絵を見せられ、「オレは変わらないなあ、なんて貫いているんだろう、と思って嬉しかった」と振り返っています。

 時代に合わせ生き方や考え方を変えるのは決して悪いことではありませんが、「自分の意志」ではなく単に「時流」や「時世」に合わせてコロリと目先や思想を変えていくのはバカバカしい、というのが岡本太郎さんの考え方です。ついこの間まできれいなタペストリーの前に女の子を裸にして絵を描いていた人が、「そんなのはもう古い」「時代はモダンアートだ」と言われた途端に、移動準備を開始して、「新しい絵」の時代に合わせることがあります、長く孤軍奮闘、新しい絵を主張していた岡本さんとしては、本来は大勝利のはずですが、「あまり嬉しくない」といいます。時代に合わせてコロコロと変わるのは画家だけではありません。岡本さんがパリで知り合った日本人の若者の一人は、戦前は左翼思想を振り回し、戦争が始まれば途端に右翼思想に染まり、戦後は民主主義を賞賛したかと思うと、20年後には憲法改正や再軍備を唱えるようになったといいます。時代の流行に合わせて考え方がコロコロと変わるのはある意味「器用」なのかもしれませんが、実状は確固たる自分を持たない「変節」です。たとえ社会と対立しても、人には守り通すべき「スジ」があるのです。そんなことを、岡本太郎さんの生き方は教えてくれます。♥♥♥

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