カー用品チェーン大手「イエローハット」の創業者、鍵山秀三郎(かぎやま・ひでさぶろう)さんがお亡くなりになりました。91歳でした。あれだけの業績のある人であったにも関わらず、メディアであまり大きく取り上げられることがなく、残念に思いました。昭和36年に前身のローヤルを創業し、社長に就任。業界第2位の上場企業に成長させました。平成10年に取締役相談役となり、20年に退任しました。「掃除」をすると、「①気付く人になれる ②謙虚な人になれる ③感動の心がはぐくまれる ④感謝の心が芽生える ⑤心が磨かれる」がモットーで、NPO法人「日本を美しくする会」を設立して掃除の大切さを全国や海外に広めました。
私の尊敬する鍵山秀三郎さん(イエローハット創業者)は、創業時にたった一人でひたすら会社の「掃除」に精を出されました。周囲の人々の視線は大変冷たいもので、誰一人手伝おうとしないどころか、煙たがられたり無視されたりもしました。「掃除くらいしかできることがないのだろう」「どうせすぐにやめるさ」とまで酷評されました。批判される度に、鍵山さんは迷いましたが、「では、他に会社をよくする方法があるのか?」といくら考えても、良い方法を見つけることができませんでした。そこで誰に何を言われようとも、「掃除」だけを長年コツコツと続けてきたのです。掃除や労働で身体を動かしながら物事を考え、考えたことをまた掃除や労働を通して身体で表現していきました。それはまるで空気に釘を打ち付けているかのような空虚な取り組みでしたが、それでもはかない努力を続けていると、やがて小さな変化が現れ始めます。一人、また一人と手伝ってくれる人が現れ始め、職場がいつもきれいに保たれるようになってきたのです。美しい職場は、働く人の心も美しくします。荒んでいた社員の心が次第に穏やかになっていき、表情が徐々に明るくなっていきました。「やはり、今までやってきたことは間違ってはいなかった」―鍵山さんは初めて確信します。ここまで来るのに、10年の月日が流れていました。ゴミの捨て方ひとつで、その人の人間性を想像することができます。上流階級の人が多く住む都心の街のゴミ置き場がとてもひどいことになっていました。分別がいい加減です。周りにゴミが散乱して誰も片付けようとしません。そこで鍵山さんは、乱雑に積まれたゴミ袋を一つひとつ開けて整理し直し、きれいに戻すという活動をしておられました。街から喜ばれるのかと思ったら、「他人のゴミ袋を勝手に開けるのはプライバシーの侵害だ!」と非難され、一度は警察に通報までされました。幸い駆けつけたお巡りさんが、こう言ってくださいました。「この人たちは街を美しくしようと掃除をしてくださっているんですよ。何が悪いんですか!」。このような人々は上流かもしれませんが、決して上品ではありません。道路の排水溝には、石や泥、人がポイ捨てしたタバコの吸い殻やゴミがたまって詰まっている箇所がたくさんあります。放っておくと大雨の時に水が溢れて危険です。鍵山さんは道に這いつくばって徹底的にきれいにします。自動販売機の横にある空き容器入れは、本来自販機で購入した飲み物の空き缶や空き瓶を入れる目的で設置されているものですが、行楽日和にはお弁当のカラから、お菓子の紙くずまで、あらゆるものが突っ込まれ溢れ出んばかりです。鍵山さんは、いったん中身を全部外に出して、分別をして、空き缶、空き瓶以外は持ち帰って処分されます。これは本来鍵山さんの仕事ではありません。もちろん誰の仕事でもありません。だからこそするのです。誰の仕事でもないことをする。ゴミ置き場をきれいに整理すれば、回収する人も気持ちよく仕事ができます。側溝の詰まりを取り除けば、水の流れがよくなり、よどんでいた周囲の空気さえもさわやかにしてくれます。こうした誰の目の前にもある小さなことを、積み重ねていくことから始まるというのが鍵山さんの哲学なんです。さらに掃除に励んでいると、お客さんの側からも変化に気づいてもらえるようになってきました。「御社の社員は、言葉遣いや態度が他社の人とはずいぶん違いますね」「車の停め方ひとつをとってみても、きちんとされていますね」などと評価してもらえるようになりました。ここまで来るのに、20年もかかっています。30年が経つと、よそから「掃除のやり方を教えて欲しい」と依頼されるようになりました。著名な企業や団体からも多くの人が研修に来られるようになりましたし、鍵山さんが全国各地に掃除を教えに行くようにもなりました。
ここからもまさに「10年偉大なり。20年畏るべし。30年歴史なる。」ということが実感できますね。手を動かす前から「無理だ」と決めつけてしまうのは、頭でしか考えていない証拠で、頭と胴体を一致させて、実践を通して考えていくことこそが大切なことです。人はどうしてもできない理由を探してしまいます。そのうちまとめて一気にやろうと考えます。これはやらないことの言い訳にすぎません。今できないことは、まとめてもできないのです。やろうと思ったのなら、今すぐに少しだけでもやるべきなのです。今すぐにできないことは、時間と手間をかけてやる。一人ではできないことは他の人の助けを借りてやる。この方法ではできないと思ったら別の方法を考える。鍵山さんが講演を引き受けられる時の大きなテーマの一つが、「大きな努力で小さな成果」でした。「エーッ、その逆じゃないんですか?」と言われることがよくあります。「小さな努力で、大きな成果」を得る生き方よりも、「大きな努力で、小さな成果」を得る生き方のほうがより確実な方法で、その方がより自信になり、大きな満足が得られるんです。かくいう私も今までそんな生き方をしてきました。たった1行の辞典の記述に、4~5時間も、時には1日かかることもありました。常に床に就くのは夜中の2時、3時です。そうやって身を削って『ライトハウス英和辞典』(研究社)の中身を充実させてきたのです。
鍵山さんによれば、「小さな努力」で「大きな成果」を得ると、心が不安定になります。落ち着きをなくし、険しい人相になります。近年、世相が悪化している背景には、「小さな努力」で「大きな成果」を安易に得ようとする人が、あまりにも多くなっていることが大きな原因です。 一方、「大きな努力」で「小さな成果」を得る生き方をしますと、心が安定し気持がおだやかになります。昔の日本人が、貧しくとも顔立ちに風格があったのは、手にする報酬よりも、はるかに多くの努力を己に課していたからです。 「労せずにして手に入れよう」とか「うまく立ち回って、ものにしよう」などという姑息な考えを否定する社会正義が定着していたからです。たとえ「大きな努力」で「小さな成果」しか得られなくても、そういう生活に耐えられる安定した生き方の人が増えれば、必ず世の中はよくなります。今の世の中は、いかに楽をして大きな報酬を得ようとすることにばかり関心が行きがちです。
鍵山さんが、月刊『致知』(致知出版)で語っておられたお話です。鍵山さん自身も、人から教わったことだと述べておられましたが、「もっと、もっと、もっと・・・」といった感じで、際限なく求め続け、欲しがっていく生き方を、『請求書の人生』と呼ぶのだそうです。「向上心」や「探究心」といったものは人の成長に欠かせない大切な条件ではありますが、「度の過ぎた欲求」は人間を卑しくし、尊厳を傷つけていくものです。いい生活は物に支配されていますから、「もっともっと」という心が働き、いわゆる請求書を出す人生になってしまいます。逆に、求めるばかりではなく、今与えられている物事に「感謝の心」を持って過ごす人生、これを『領収書の人生』と呼ぶのだそうです。寺社にお参りした時には、「ありがとうございます」と感謝する、請求書ではなしに、領収書のお参りをしなければなりません。求めるばかりではなく、今与えられているものごとに感謝の心を持つ『領収書の人生』を歩むべきです。いい人生とは心で支配されていますから、「ありがとう、ありがとう」という心が働き、いわゆる領収書を出す人生になります。日本には、『領収書の生き方』をしている人も大勢おられますが、そういう人は世間からあまり注目されることはありません。『請求書の生き方』をする人の方が派手で目立つのに比べ、『領収書の生き方』をする人は、地味で人目につかないところが共通しているからです。誰からも注目されず、光の当たらないところで、いつ報われるか分からないことにも、心を込めてひたすら取り組む姿からは、「卑しさ」などというものは微塵も感じられません。誰かに頼ったり、求めたりすることなく、人の役に立つことだけを念頭において、一途に歩み続ける姿は、人を引き付ける豊かな魅力を備えています。そんな人生って、何だか素晴らしいですよね。鍵山さんは、自らもそんな人生を心がけられ、人間性を磨かれると同時に、イエローハットを一代で一流企業(業界2位)に育て上げ、大成功を収めておられます。私も、『領収書の人生』が送れるよう、少しでも人間性を高めていきたいと願っています。昨今、もっと多く、もっと快適に、もっと偉い人になりたい、そして、「自分だけ」「お金だけ」「今だけ」という生き方の人が多くなっているように思いますが、これらは、全て集める生き方であり、『請求書の人生』です。
鍵山さんの提唱する「三冠王」ならぬ「三感王」の話を聞いた時に、「あ~そうだなあ」と思ってメモしておいたことがあります。まず物事に「感動」する素直な心を持つことが大切です。そのためには、何にでも「関心」を持たなくてはなりません。深い「関心」を持つことで、深く「感動」できるようになるんです。深い関心を持って、深く感動できる心を持つ。そして三つ目として「感謝」する心を持つことが大切です。例えば、授業であれば、その教科に深い関心を持って、先生の話を深い関心を持って聞く。すると感動する場面も出てくるでしょう。そして先生に「有り難いな」と感謝することになります。この三つの「感(関)」の頭文字をとって、鍵山さんは「三感王」と呼んでおられました。このような
関心 ⇒ 感動 ⇒ 感謝
ができるようになれば、立派な「三感王」ということになります。これだったらいつでも誰にでもすぐ真似ができますね。私は個人的には、もう何度も何度も、「三感王」を取っています〔笑〕。♥♥♥
「感(関)心」: 幾つになっても新しいものに興味を持ち続ける。
「感動」: 幾つになっても感動する心を持つ。
「感謝」: 幾つになっても感謝の心を忘れない。


