戦争とミステリー作家

 我が国のトラベルミステリーの第一人者・西村京太郎(にしむらきょうたろう)先生は、2022年に91歳で惜しまれつつ逝去されました。発表された著書は649作にのぼります。私がかつて湯河原でインタビューさせていただいた時には、東京スカイツリーの634mを上回る635冊を書くのが夢だとおっしゃっておられましたから、目標を優に達成されたことになります。熱狂的西村ファンの私はそのほとんどを読んでいます。この2月に西村京太郎『戦争とミステリー作家 なぜ私は「東条英機の後輩」になったのか』(徳間書店)が出版されました。もともとの文章は、「東京新聞」の夕刊に2019年8月1日から10月31日にわたって連載された記事で、それらをまとめて一冊にしたものです。サブタイトルの「東条英機の後輩」というのは、戦争中に西村先生東京陸軍幼年学校」に入っていたからです。東条英機もその学校の出身です。短編のエッセイを連ねていくような形で、戦前、戦中、戦後の歩み、ミステリー作家として下積み時代から成功するまでを淡々と綴っておられます。戦争に対する子どもながらの矛盾や複雑な思いが綴られていて、西村少年の葛藤を感じることができます。戦後80年の年に問う、この国の在り方と、独りのミステリー作家の深き半生。奇跡の発掘。戦前に生まれ多感な時代に迎えた開戦。西村少年は陸軍幼年学校に入学、一気に冷めていく、この不思議さは何だ? 敗戦を経て作家の道を歩んだ。 往時を振り返り記した自伝的超克の書になっています。最後に収録された特別編では、京都時代の故・山村美紗さんのことにも触れておられました。巻末の文芸評論家の山前 譲氏の手になる詳細な年譜も大きな魅力です。

 私は西村先生の熱狂的ファンで、若い時からその著作のほとんどを読んでいましたが、晩年(2015年~)の作品群には、大きな傾向の変化が見られました。十津川警部が活躍する設定は同じなんですが、作品中には必ず戦争の事実の記述や体験談が盛り込まれ始めたのです。この時期の作品には必ずといっていいほど戦争の記述が見られます。日本推理作家協会「嗜好と文化」Vol.46に登場した西村先生は、その理由をはっきりインタビューで語っておられました。

 戦争ものを書いておきたいと思いまして。B29などをデスクに置いておくと、この爆撃機に校庭で追いかけまわされたなあ、と当時のことが思い出されますから。最近の作品に、戦争中や戦後社会のことを書いています。戦後70年の今年出版される十津川作品にはすべて戦争、戦後のことが入っています。特攻隊員の生き残りなど、事件の関係者の祖父、祖母の経験したことを回想として描いています。元軍国少年としては、今の視点で書くのではなく、当時生きていた人間がその時どう感じていたか、を伝えたいという思いがある。表現上難しいところもありますが、これが実際にあったことだ、ということを伝えたい。でないと、戦争を忘れちゃうでしょう。最近の若い編集者と話していると、B29を見て、『これは何ですか』と聞く。戦争や戦後のこと、知らないんですね。がくぜんとします。

 「赤旗」日曜版にも、西村先生は語っておられました。

 終戦の時は15歳でした。陸軍幼年学校にいたので、あと何年か戦争が続いていたら、小隊を率いて死んでいたでしょう。怖いのは、戦争になると死を恐れなくなること。戦争のための教育をたたきこまれたから、死ぬのは全然怖くなかった。戦争末期は爆撃も激しくなり、誰も勝てるとは思わなかった。でも上の人は”勝てないけど負けない”と言う。そんなおかしな理屈をのみこみ、自分は勇ましく死ぬんだと思いこんでいた。狂気にかりたてられていたというか、狂気が”普通”になっていました。僕は『戦陣訓』が嫌いです。陸軍刑法には、捕虜になったときの規定がある。法律上は、捕虜になってもよかったんです。でも、『戦陣訓』のせいで、死ななくてもとかった人がたくさん死んだと思います。日本人は家庭ではいい人です。でも実際は、戦争中の話をいろいろ読んでいくと、違いますよね。兵隊になったとたん、おかしくなっちゃうんです。僕は戦争したくないけど、なかには戦争したい人もいるんだよね。不思議なんだけど。アニメやマンガの中には、戦争を何か勇ましいことのように描くものもある。だけど実際の戦争は違う。首相も政治家の多くも戦争を知らないんです。昔は自民党の中にも戦争を知る政治家がいて歯止めになっていた。そういう人たちがいなくなっちゃうのは困るんだ。戦争中、東条英機首相の暗殺計画があったんです。それを踏まえて考えると、いまの日本は平和だけど、上の人(首相)がおかしくなって日本が戦争に突き進もうとするようになったら、首相を暗殺しようとする動きが出てくるかもしれない。現実はもちろん許さないことだけど、小説だから、そんな話も考えています。世界中が戦争になっても日本だけはたたかわない方がいい。たたかわない国が、一国でもないと、まずいんだ。日本は第2次世界大戦の時のスイスのように、したたかな外交力を発揮すべきです。アメリカと一緒になって戦争に巻き込まれるのはまずいと思うな。誰から何をいわれようと、日本は戦争はしない。その道を突き進めばいい。そういう国がないと、戦争の仲裁とかもできないでしょう 

 十津川警部シリーズでおなじみの鉄道ミステリーの第一人者・西村京太郎先生は、昭和24年4月にエリート将校養成機関である東京陸軍幼年学校に入学し、その四ヶ月半後に終戦を迎えました。当時の自身の生々しい戦争体験や、それに基づく独自の戦争観、日本人論について自伝的ノンフィクションという形で書き下ろされた異例の本が、十五歳の戦争 陸軍幼年学校「最後の生徒」』(集英社新書、2017年)でした(先生には終戦工作秘話をテーマにした小説『D機関情報』という作品もあります)。昭和から平成にかけて出版してきたベストセラー作家が、なぜ今戦争体験を振り返るのか?8月15日の敗戦までの、短くも濃密な4ヶ月半。「天皇の軍隊」の実像に戸惑い、同級生の遺体を燃やしながら死生観を培い、「本土決戦で楯ととなれ」という命令に死の覚悟を決めました。戦時下での少年は何を見て、何を悟ったのか。そして戦後の混乱をどのように生き抜いて作家となったのか。本書は、自身の来歴とともに、今こそ傾聴したい、戦中派の貴重な証言となっていました。西村先生の著作としては異色の内容ということもあって、刊行直後から大きな話題となり、出版社にも予想以上の反響があり、テレビ、新聞、雑誌、ウェブ媒体などから多数の取材依頼が舞い込みました。酷暑の中、多忙なスケジュールに追われた西村先生ですが、「取材はどんどん受けますよ」と言って精力的に対応しておられました。マツコ・デラックスさんのバラエティ番組「アウト×デラックス」に出演したり、「報道ステーション」に出演したり、と飛び回っておられました。そんな一つが、『スポーツ報知』「西村京太郎さんの戦争体験」と題して掲載されました(写真下)。

 B29の空襲で校舎を焼き尽くされ、本土決戦が迫り来ようとしていると信じる中でも、「盾になって、天皇陛下をお守りするのだ」と覚悟していた軍国少年の西村先生。玉音放送を聞いた日から80年たった今、確信するのは日本人は戦争に向いていないということです。日本人は権力に弱く、戦争を叫ぶ権力者の声に従ってしまう。そして一番恐れるのは『臆病者』『ひきょう者』と言われること。戦争は始まってしまったら一刻も早く止めるべきなのに、勝算のない戦いをダラダラと続けてしまったんです」「最近はなんとなくきな臭いからね。安倍総理もそうだけど都知事の小池さんも『右』だからね。走り始めるとずーっと右へ行っちゃう。怖いですよね。子供の頃、皆が読んでいたのは『新戦艦高千穂』とか『見えない飛行機』という小説。読むと日本は戦争に勝てるんじゃないかと思うようになる。日本人は空気に弱いですから。総理大臣の話も威勢がいいほうが受けますけど、政治家がそういうことを言っちゃいけないんですよ」 2015年に「安保法案」が国会で可決され、西村先生には戦前・戦中の悲惨な記憶が蘇ってきます。2015年(平成27)は、太平洋戦争の終戦からちょうど70年となります。十津川警部シリーズの2015年以降の作品から、突如として戦争の話が組み込まれていくのは、そういう事情からなんです。西村先生「このままでは、だれも戦争のことが分からなくなる。だから、書いておかなくてはならないと思ったのです会報『十津川エクスプレス』vol.31)と。

 貧家生まれの少年が、立身のため将校を志して「陸軍幼年学校」に入学するのは戦前は珍しくありませんでした。しかし敗戦で「陸軍幼年学校」が廃止され占領下の社会に投げ出された少年は、統制もなく自由に生きられる良い占領と受け止めました。軍人の夢破れると作家になりたいと願い、どんな苦しい生活にあっても夢を諦めなかった彼がベストセラー作家となれたのも、この敗戦があったからでしょう。そんな西村京太郎先生山村美紗という得難いパートナーと出会い、時代の変化など平然と無視する京都人の心意気に触れたのは第二の人間修業と言えるでしょう。最後まで売れる作家であり続けた理由はそこにあるのでしょう。戦後80年経ち、世界各地でキナ臭い戦争が繰り広げられている今、もう一度じっくりと考えてみたい問題です。♥♥♥

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