渡部昇一先生のエピソード(37)~複数の井戸を掘る

    尊敬する故・渡部昇一先生(上智大学名誉教授)は、誰もが一芸のほかに、もう一つ、補助の井戸を掘ることを薦めておられました。補助の井戸とは、一つの専門分野の他に、それに関連した分野をもう一つ追究し、自分のものにしてしまうことです。例えば、軍医でもあり、文学者でもあった森鴎外島根県津和野町の出身です)のように、全く違った井戸を掘ることも不可能ではないでしょう。

 自分の専門分野に関連した井戸の深井戸が一つ、そしてそれに関連性の高い井戸をもう一つ掘る。それは、浅井戸でもかまいません。もちろん深井戸の方は、それこそ自らの志のもとに、徹底して深く掘り進めていくことが必要です。深井戸を掘り、そしてその周辺の井戸も掘り進めるのです。そうすれば、人生をより充実させることができる、というのが渡部先生の考え方でした。

    専門分野の井戸は、誰よりも深~く掘り進めることが大切です。「智謀湧くがごとし」という言葉があります。これは、日露戦争時に、東郷平八郎司令長官の下で連合艦隊の参謀をしていた秋山真之中将の銅像が建てられた時に、東郷元帥が台座に「智謀如湧」と書いたのが、そのいわれです。この「智謀湧くがごとし」を英語で言うなら、リソースフル(resourceful)となるでしょう。これは、知恵が一回きりではなく、次から次へと尽きることなく出てくることを意味しています。ここからイメージできるのは、例えば、井戸から水をいくら汲んでも、後から後からこんこんと湧き出る様です。このリソースフルという言葉に、知的生活者のあるべき姿のヒントが隠されている、と渡部先生は言われるのです。つまり、リソースフルになる道は、井戸を涸らさないこと、そのためには、自分の井戸の数を増やすことが大切なのです。井戸の数が多くても、全てが浅い井戸では困りますが、井戸一本だけでは発想が涸れやすくなるのです。井戸を何本も掘っておくことが肝心です。一本目の井戸の水が汲みすぎによって涸れかけたら、二本目の井戸を使うのです。二本目の井戸が涸れかけてきたら、今度は三本目、というふうにしておけば、そのうちに一本目の井戸には再び水が溜まって使えるようになります。ビジネスマンであっても、何か一つ専門分野の井戸を徹底的に深く掘っておかなければなりません。その発想の泉から、次から次へとアイデアを湧出させるためには、最初の泉が「自信」という水脈に達するまでの深さになっていなければなりません。そして、その自信が、揺るがぬ自信にまでなった時、その人ならではのユニークで独創的なアイデアが生まれるようになるのです。そのアイデアは誰もが一目置くアイデア、言い換えれば含蓄が深く、かつ鋭さのあるアイデアとなるのです。もっとも、「それだけでよしとしてはいけないよ」というのが、リソースフルの考えです。でなければ、いつしかワンパターンになってしまって、「また同じことを言っている」と、その知的生産物は見向きもされなくなっていくからです。英文学者の故・斎藤勇先生や故・福原麟太郎先生のお仕事を見ると、このことがよく分かります。私の恩師の故・安藤貞雄先生(広島大学名誉教授)も何本も深い井戸を掘っておられました。ご専門の英語学も、伝統文法、構造言語学だけでなくロンドン学派、最新の変形文法理論にまで通じておられました。英文学にも造詣が深く、翻訳者としての顔も持っておられました(ラッセルの翻訳書)。それでいて受験英語に関しても著書があります。常日頃から辞書学者としての労作も数多くあります。精緻な語法研究も行っておられました。

 私の尊敬する夏目漱石には、大きな井戸が二本あったと考えてよいでしょう。一つは漢学という井戸です。彼は子供の時から漢文の本を楽しみに読むほどの力がありました。今の子供たちがマンガか、あるいは角川文庫を読むように、江戸の漢学者の随筆などを読んでいました。漢詩は韻を踏んだものを作ることができました。とくに晩年の七言律詩群の出来映えはことに見事であって、吉川幸次郎博士などは、シナ本土を合わせて考えても、漱石は漢詩人として第一等の人であろうと言っておられます。つまり、漱石は漢文学という東洋文学の深い井戸を持っていました。彼の文学の趣味の多くはここからきています。同時に漱石は、日本では最初の文部留学生としてイギリスに留学し、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の後任として、東京大学の最初の日本人の英文教授になるべく予定されていた人です。漱石イギリス文学の読み方がいかに深切・周到なものであったかは、『文学評論』その他を見れば明らかです。しかも、漱石にはイギリスに住んだという体験もあります。イギリスこそは、明治の日本が到達することをめざしていた国であったので、そこに日本の未来を見ることもできたのです。漱石は漢詩の世界という東洋・過去という泉と、英文学の世界という西洋・未来の泉の両方を持っていました。この二つの井戸は圧倒的な強みと言っていいでしょう。

 私は、大好きだった故・西村京太郎先生と生前に確執のあった故・松本清張さんはあまり好きにはなれませんが、彼ほど多くの井戸を持っていた作家も少ないと言えるでしょう。普通の市民の生活を扱った現代小説から、推理小説に向かいます。『かげろふ絵図』『彩色江戸切絵図』のような時代ものの推理小説もあります。短篇のみならず長篇も。また『昭和史発掘』のようなノンフィクションの現代史もあれば、古代史の研究もあります。井戸の数は無数です。しかもその一つ一つが浅くありません。現代の考古学者や歴史家をテーマにした小説があるかと思えば、それらの主人公が研究している対象それ自体にも研究や調査が及んでいます。そして積極的に井戸を掘り続けていることは、商社の倒産とか、中東の革命騒ぎとか、新しい事件をただちに小説化していることによっても分かります。この魅力的な井戸を多く持っていることと、新しい井戸の発掘力こそが、松本清張さんの尽きることのない創作力のもとになっていることは確かでしょう。♥♥♥

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