「案山子」

    案山子      
            作詩・作曲 さだまさし

元気でいるか 街には慣れたか
友達出来たか
寂しかないか お金はあるか
今度いつ帰る
城跡から見下せば蒼く細い河
橋のたもとに造り酒屋のレンガ煙突
この町を綿菓子に染め抜いた雪が
消えればお前がここを出てから
初めての春

手紙が無理なら 電話でもいい
“金頼む”の一言でもいい
お前の笑顔を待ちわびる
おふくろに聴かせてやってくれ

元気でいるか 街には慣れたか
友達出来たか
寂しかないか お金はあるか
今度いつ帰る

山の麓 煙吐いて列車が走る
凩が雑木林を転げ落ちて来る
銀色の毛布つけた田圃にぽつり
置き去られて雪をかぶった
案山子がひとり
お前も都会の雪景色の中で
丁度 あの案山子の様に
寂しい思いしてはいないか
体をこわしてはいないか

元気でいるか 街には慣れたか
友達出来たか
寂しかないか お金はあるか
今度いつ帰る

 

 私の大好きなさだまさしさんのシングル曲の代表作の1つに、1977年に発表された「案山子」(かかし)という名曲があります。都会で一人暮らしをする弟(あるいは妹)を雪の中にぽつんと立つ案山子になぞらえ、故郷にいる兄が気遣うメッセージを送る歌です。中学生になりバイオリン修行のための都会での一人暮らしの経験や、さださんの弟である佐田繁理(さだ しげり)さんが大学生時代、異国の台湾の大学にサッカー留学をしていた(日本のプロサッカー第一号選手)思い出を重ねて、この曲を思いついたようです。弟の繁理(しげり)さんがモデルで、弟を思うお兄さんの優しい気持ちが「案山子」を誕生させたのでしょう。さださんが25歳の時に作ったこの歌の原風景が島根県津和野町だということは、私が島根県立津和野高等学校に赴任した春に、職員室の同僚から教えてもらいました。さださん本人も「曲の原風景は津和野」とも話しています。中学二年生の夏休みに、お父さんの戦友会に連れられて初めて津和野を訪れた際に、一人で津和野の町を歩き回りました。40分ほどかけて登った津和野城趾から見下ろす風景にときめきます。小さな盆地を縫うように汽車が走っていき、美しく細長い川が流れており、橋の向こうに造り酒屋の煉瓦煙突。城下町を知らない長崎っ子のさださんには新鮮で自分が想像する「ふるさと」の原風景のように映りました。その後、高校の卒業旅行・コンサートなどで何度も訪れた土地なんだそうです。歌詞のこの部分は標高367mの霊亀山上に築かれた津和野城跡の三十間台から、津和野市街を見て、その情景を歌ったものでその美しい光景が目に浮かびます。島根県鹿足郡津和野後田にある津和野城(別名・天空の城)は、標高367mの霊亀山の山頂に築かれた山城です。明治時代に廃城となっていますが、現在も石垣や堀、物見櫓(ものみやぐら)などが各所に残っていて、国の史跡に指定されています。城跡の「三十間台」からは、城下に広がった津和野の街並みを一望することができます。

 さださんも、都会で親からの仕送りで一人暮らしをしていた経験から金頼む」のフレーズが出たのでしょう。48年も前に発表されたこの曲。当時は携帯電話などありませんから、今みたいに簡単にメールとか電話のできない時代でした。電話にしても公衆電話から硬貨をいっぱい手に握りしめて故郷にかける時代でした。さださんの弟は、異国の地でのサッカー留学で、電話は国際電話になりますから、あまり連絡もできなかったでしょうね。言葉も風習も違う見知らぬ土地での新しい生活、「案山子」の様に独りぼっちで寂しくしていないか、母親も心配しているぞ、と弟を思う兄の心情が込められた歌になっています。雪の中に立つ案山子はあたかも遠い都会でひとりぼっちで頑張る地方出身者のようで、良い比喩になっています。「離れて暮らす家族への愛情」がこの歌のテーマだと私は感じました。

 兄視点の歌ではありますが、それは都会に出た子どもを思う親の気持ちを歌っているようにも読み取れます。松の木が故郷の街並みを見渡して、遠く離れた娘や息子、あるいは兄弟などを想う大きな存在としてのイメージをさださんは抱いたのでしょう。改めて歌詞を読むと、しみじみとした感情が湧きあがってきます。この「案山子」を作曲するキッカケになったのは、さださんと弟の繁理さんが、大分から北九州へ列車移動しているときの一コマからだといいます。まだ10月で、九州では雪が降る季節ではなかったのに、折から急な寒気に襲われたのか、窓外の景色が突如として降り出した雪で一気に白くなりました。突然さださんは、車窓から雪が積もった田んぼの中にまだ取り込まれる前の案山子がぽつりと立っているのに気づき「かわいそうだな…」と、弟に語りかけたそうです。一人りポツンと田んぼに立つ寂しげな案山子の姿を、自身が経験した都会での一人暮らしや弟の台湾留学を心配した思い出と重ね合わせ、イメージを大きく膨らませたのでしょうね。この歌を聴いたある農家から手紙が来て、「百姓は決して案山子を雪の中に置き去りになどしないものですよ」と。申し訳なかったと思いますが、今ではあまりにも沢山の人から愛される歌になったので、今更風景を変えるわけにもいかず、どうか許して欲しいと案山子に手を合わせているさださんです〔笑〕。

 2016年10月「関ジャム 完全燃SHOW」において、さださんは、「案山子」津和野城跡の子どもたちが遊ぶ広場のシンボルである松の木が歌っているイメージで曲を書いたことを番組内で話していました。案山子」を創作した際の裏話を、テリー伊藤『歌謡Gメン あのヒット曲の舞台はここだ!』の中でこう明かしています。

 津和野は実に日本的な風景なんですよ。(中略)『日本のふるさと』の情景の典型とは何かと考えたときに、僕は城跡から眼下の街を見下ろしたときの風景だと思った。実は三本松城に大きな松の木があって、その松の木が子どもに語りかけているんです。

 津和野城の別名は三本松城と言い、そこの広場のシンボルが大きな松の木です。松の木は子どもたちが小さい頃からその成長を見守っています。松の木を擬人化して、故郷から都会へと旅立った子どもたちへの気持ちを歌っていますさださんらしいですね。発表から、あと数年で50年になりますが(メロディーはさださんが中学生の時に作っていました)、何度でも聴いてもらいたい名曲です。そして故郷を思う気持ち、親を思う気持ち、兄弟を思う気持ち。この歌を聴くとそれぞれの想いが胸をよぎり、この歌が持つ優しさ・温かさに触れることができます。様々な思いに心を傾けてみませんか。私はこの歌を聞く度に、津和野での思い出を懐かしんでいます。昨年高松市で開催された「さだまさし展」の会場入り口では、案山子がお出迎えしてくれました。♥♥♥

▲「さだまさし展」の会場でお出迎えする案山子

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