逆ピラミッド

 ハーバード大学で日本文学(専門は松尾芭蕉井原西鶴)を教えておられた故・板坂 元(いたさかげん)教授の書かれたものを広く読み漁っていた時期があります。先生は学生時代から英語には全く縁がありませんでした。高等学校ではドイツ語のクラスにおられたので、辞書を引いて英語を勉強したのは中学校の五年間だけです。偶然に英国に行くようになった時、前任者の「日本でする英語など畳の上の水泳とおなじだ」という言葉をいいことにして、下準備を全くされませんでした。出発の日に書店に行ってコンサイスの英和と和英を買ったくらいですから、英語は絶望的にできませんでした。それでも英国に三年間いてアメリカに渡る時には、テレビのニュースくらいは聞きとれるようになってはいました。ところが、アメリカに渡ってみると、英語が全く聞きとれないのにはガクゼンとされます。一般にアメリカ人の方が英国人よりもずっと速くしゃべるようで、特にテレビやラジオのニュースは三倍くらいの早さに感じられました。初めは、センテンスの切れ目も全く分からないほどで、夜逃げでもしたくなる気持ちというのは、ああいう時の心の状態を言うのであろう、と回想しておられました。その板坂先生がアメリカで暮らし始めた頃のお話が、とても勉強になります。『考える技術・書く技術』(講談社現代新書、1973年)に挙がっていた話です。

 ところが、そのころふと逆ピラミッド型のことを思い出した。われわれ日本人はピラミッド型の文に馴れている。つまり、どうでもよいことからはじまって大事な内容は文末の方に出てくる。そのため、日本語を聞くときは、生まれたときから文末に注意を集中するようになっている。それに対して、英語の方は逆ピラミッド型で、文のはじめに重要な主語・動詞があらわれて、文末に行くにしたがって些末な内容になる。だから、英語に馴れるためには、ヒヤリングの型をピラミッド型から逆ピラミッド型に切りかえねばならない。そう思って、まずラジオを聞きながら、文の切れ目だけを確認する練習をした。これにある程度馴れてきたら、つぎに文のいちばんはじめの語だけを聞きとる練習をする。それができるようになったら、今度は一番目と二番目の語をいっしょに聞きとる努力をする。こういうふうにして、だんだんと聞きとる語数を増加して行った。どれくらいかかったかは覚えていないが、二ヵ月くらいでいちおうは聞いてわかるくらいにはなることができた。
 これが最上であるかどうかは別として、相当に成果があがるものである。わたくしの日本語は聞きやすいとアメリカ人からよく言われるが、右と反対に日本語を話すときに、文末をゆっくりと、しかもはっきり発音するように意識して話すので聞きとりやすいのだと思う。日本語では普通この逆ピラミッド型の文型で話すときに、文末をはやく不明瞭に話す。それが自然の話し方のスピードとなっている。ところが、日本学の権威といわれ、日本語がペラペラといわれている人をつかまえて、何人にも文末をはやくしゃべる、つまり自然なスピードで話して実験してみても、ほとんどの場合通じなくて聞き返される。ヒヤリングの型が身についていないためであろう。われわれ日本人にとっては、これと、まったく反対のことが英語についていえるのではあるまいか。

 もし、日本で英語教室を開くとしたら、わたくしは逆ピラミッド型の練習を徹底的に行なうカリキュラムを組むだろう。はじめは、ことばなしに、タンータン・ターンといったリズムを練習させて、そのはじめのタンに当る語の聞きとりから聞きとる、というふうにすれば面白い英語教室になると思う。現在、日常の英語にこまることはないが、疲れたときや話に興味をおぼえなくなったときには、今でも気がつかないうちに文末ばかりを聞いているほどだから、この型練習はちがった言語体系のことばを練習するには基本的なトレーニングではないかと思う。とにかく劇や詩の朗読のレコードを、何回もくり返し聞いて、そのころは練習したものだった。
 そのつぎに、わたくしが気がついたことは、知らない単語が出てくると一瞬ドギマギしてそのあとの文を聞きのがす癖が自分にあることだった。ハッと思ってその単語の意味を考えているうちに、相手の文はどんどん先へ進んでしまう。これを防ぐために、知らない単語があっても構わずに文を先へ先へと聞いて行く練習をはじめた。単語の一つや二つ知らなくても、これは印刷が悪くて字がかすれている文や活字の脱落した文を読むようなものだし、あるいは調子の悪いラジオを聞いているようなものだ、ということを何度も自分に言いきかせて、とにかく文の終りまで聞くことにした。その単語がたとえキー・ワードであっても、そのつぎの文、つぎのつぎの文と聞いていれば、全体をとらえることはできる。これはむつかしいようで、やってみると案外にはやく馴れるものである。
 この方法は、英語の文を読むときも、わたくしは実行している。新しい単語が出てきてもそこで辞書を引かない。少くともパラグラフ全体は中断しないで読む。それでわからなければ、もういちど読みなおす、というふうに頑張って、できるだけ辞書を引かない。もちろん、一言一句をゆるがせにせず、辞書を何冊もしらべて読むこともなくはないし、けっしてわるいことではない。けれども、話を聞いたり本を読んだりするとき、思想の流れを中断するのは、ぜったいによくないと思う。とくに、日本人の場合、文法はアメリカ人よりずっと知っている人が多く、読む能力は相当に高いのだから、この方法は実行しやすいはずである。

 英語の勉強を志す人には実に有用なアドバイスです。英語は大切なことを最初に言います。そしてその説明が次に続きます。日本の落語ではまず世間話などのマクラをふって、耳に馴染んだところで止めて本題へと噺は次第に熱を帯びていきます。つまり後の方になればなるほど大事なことが語られます。これこそが日本語の特性でもあります。つまり英語と日本語は正反対ということです。これが分かるだけで、ずいぶんと読みが違ってきます。私がこれに加えて生徒達に強調しているのは、英語は「抽象⇒具体」に流れること、そして前に出た言葉を違う言葉で言い換えていくという特徴です。♥♥♥

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