渡部昇一先生のエピソード(40)~卒業論文の失敗

 私の尊敬する故・渡部昇一先生は、その著書『続 知的生活の方法』(講談社現代新書、昭和54年)において(『知的生活の方法』は私の一生に大きな影響を与えた一冊です)、自身の「卒業論文の失敗談」を披露しておられました。先生は大学の卒業論文のテーマに、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)を取り上げられました。当時は、まだ八雲に関する本も論文も多くは出ていなかったので、それらを全て読んで大論文を書いてやろうと思い立たれたのでした。いかにも若者らしい野心ですね。先生は実際、なんだかんだでザッと2万ページぐらいはハーン関係のものを読まれました。ハーンのものだけでなく、彼が言及している宗教や哲学をも調べてみようと思い立ったものですから、大学生の持つ知識と時間ではなんともなりません。そうこうして調べているうちに、真に正しいハーンの思想をまとめる論文の構想が浮かび上がってくるものと思っておられたのでした。しかしそうしている間に浮かんでくるアイデアは、メモの範疇を超えることはなく、論文にはなりませんでした。しかも卒論には「締切り」というものがあります。断片的には素晴らしい(と先生には思われた)発見もずいぶんあったようですが、それを断片的なままに書き並べたのでは論文でもなんでもありません。否応なしに、締切りの約一ケ月半前の11月初旬から第一章を書き出さざるをえませんでした。そして「はた!」と気がついたのです。第一章を書いたとたんに、新しく調べたり、チェックしなければならないことが、突如として具体的に、緊急な形で続々と出てきたのです。それを果たすと必然的に次が決まってきます。メモをとっていた時は素晴らしいと思われたアイデアも、使いものにならないということがよくありました。これに反して書きながら思いついたアイデアは、チェックしてすぐ仕事に組みこんでゆくことができました。こんなことをしているうちに、論文は締切りに間に合わなかったばかりでなく、反復が多く、論旨も首尾一貫せず、きわめて不満足なものに終わってしまいました。現在の制度ならおそらく卒業できなかったはずですが、当時はまだのんきな時代で、論文提出も大学の事務局ではなく、指導教授に直接出せばよかったのです。先生の指導教授の刈田先生は提出期限にうるさいタイプではなく、おっとりとした方であったので、半月ほど遅れて持って行った卒業論文を何の文句も言わずに受け取ってくださいました。まあまあの点がもらえたのは、先生が良心的に資料を調べた、というプロセスを知ってくださった指導教授のお情けでした。

 この経験を通して先生が学ばれたことは、「まず書き始めることが大切!」ということでした。目的を絞らずに漫然と乱読してもあまり役には立たないのです。ある程度の構想を立てた上で、実際に第一章を書き始めると、調べなければいけないことが次々と目に見えるように現れてきます。そこで疑問が生じたらすぐにチェックして、最初の構想が間違いだと分かったら書き直すのです。そのようにして、毎日何時間か機械的に取り組まないと、まともな論文など完成しないのです。このことが、先生が学部の「卒業論文の失敗」から学ばれたことでした。

 自らに恥じるところのあった先生は、卒論の反省を生かし、大学院の修士論文(修論)では、この愚を決して繰り返すまいと自らを戒めました。大学院の第一年目が終わるまでには論文のだいたいのテーマを決め、二年生になってからは、問題のありかを絞るために集中的にその関係の文献を読んで、だいたいの構想を立てると、すぐに第一章から書き始めます。書き始めると、また調べなければならないこと、チェックしなければならないことが、次々と具体的に目に見えてきます。そうすると、最初の構想は無理なことが分かり、急に修正をしたり、一部放棄したり、新しく追加したりしなければならなくなってきます。しかし今回は警戒して夏休み前から書き始めていたので、時間的な余裕が十分あり、夏休みが終わって間もなくすると、百ページぐらいのものを一応書き上げ、9月いっぱいには清書もできました。それをアメリカ人の若い先生に通読してもらって、英語の間違いや表現として無理なところを直してもらい、タイプを知人に打ってもらって(先生はタイプが打てませんでした!)、十分に提出期日に間に合いました。書いている途中で書き直したり、おかしいところを調べて直す時間があったので、修論の方は今から見ると内容は幼稚なものではありましたが、首尾一貫しており、論じていることには瑕(きず)が少なく、卒論からは格段の進歩が見られた、と回想されています。そしてここで学んだことは、論文の書き方の本質的な側面です。つまり構想が構想であるうちは論文でもなんでもないこと。一応の構想やら書いてみたいことが浮かんだら、書き始めてみなければ何も分からないということ。書き出す前の構想などは、実際は一枚目を書いた途端に飛び散ってしまうことだってあること。そういうことにめげずに、疑問が生じたらチェックし、最初正しいと思ったことが問違いだったら書き直す、というふうにして、毎日、何時間か機械的に取り組み、何カ月、あるいは一、二年かかるということを覚悟しなければ、まともな論文はできないこと。そういったことは、学校の論文指導では教えてもらわなかったことでしたが、実際にそれを体験させてもらったことが、大学教育から得た大きな収穫でした。芸術的生産と学術的生産とは、大いに異なるところがありますが、最初になにほどかのアイデアがあり、それを具体的な知的生産に結びつけるためには、衝動的な作業では駄目で、機械的・継続的な、ほとんど農耕的といってもよい作業が毎日続くという点では似ているといってよいでしょう。

 つまり、何の目的意識もなく漫然と雑多なものを読むだけでは、結局はうたかたのように消えてしまって、自分の中に積み重なっていくものは何ひとつない、ということになりかねないのです。やがて、果たして自分が何を読んできたかさえ、定かではなくなってしまいかねないのです。

 そんな経験から、先生は卒論や修論の指導にあたって、よく学生たちにこう言われました。「ある程度調べたら、ともかく書き始めたほうがよいですよ。調べるのはいくら調べても論文になるわけではない」と。このことはカールー・ヒルティ「仕事をする術」の中でよく述べていたことです。「本を書くならまず第一行を書け。準備ばかりしていると、いつになっても出来上がらないぞ」先生はこれを大学二年生の時、ドイツ語の教科書で習い、「本当にそうだ!」と感銘を受けて読んだつもりだったのですが、卒論の時は実行できなかったのでした。♥♥♥

 まず何よりも肝心なのは、思いきってやり始めることである。仕事の机にすわって、心を仕事に向けるという決心が、結局一番難しいことなのだ。一度ペンをとって最初の一線を引くか、あるいは鍬を握って一打ちするかすれば、それでもう事柄はずっと容易になっているのである。ところが、ある人たちは、始めるのにいつも何かが足りなくて、ただ準備ばかりして(そのうしろには彼等の怠惰が隠れているのだが)、なかなか仕事にかからない。そしていよいよ必要に迫られると、今度は時間の不足から焦燥感におちいり、精神だけでなく、ときには肉体的にさえ発熱して、それがまた仕事の妨げになるのである。
 また他の人たちは、特別な感興のわくのを待つが、しかし感興は、仕事に伴って、またその最中に、最もわきやすいものなのだ。仕事は、それをやっているうちに、まえもって考えたのとは違ったものになってくるのが普通であり、また休息している時には、働いている最中のように充実した、ときにはまったく種類の違った着想を得るということはない。これは(少なくとも著者によっては)一つの経験的事実である。だから、大切なのは、事をのばさないこと、また、からだの調子や、気の向かないことなどをすぐに口実にしたりせずに、毎日一定の適当な時間を仕事にささげることである。……よく働くには、元気と感興とがなくなったら、それ以上しいて働き続けないことが大切である。もっとも、最初はあまり感興がわかなくても始めねばならぬ。 (ヒルティ『幸福論・第一部』)

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