水戸岡鋭治先生の感動哲学

 最近、尊敬する鉄道デザイナー・水戸岡鋭治(みとおかえいじ)先生の記事を続けて2本読みました。『PHP』11月号に掲載された「デザインの力で感動を届けたい」、もう1本は『理念と経営』9月号「経営も仕事も「感動」から始まる」という唐池恒二(からいけこうじ、九州旅客鉄道株式会社相談役)さんとの対談です。お二人はJR九州の数々の画期的な観光列車を生み出してきた名コンビですが、「直感的にパッとひらめくアイデア」は嘘だと断言されます。何もないところからひらめくことは決してなく、アイデアは今までの経験の集大成として、マグマのように潜在意識の中にしっかりと眠っていて、そのマグマが何らかの刺激やタイミングによってドッと吹き出すものだ、と言われます。そしてそれが引き起こす「感動」は、作り手がかけた手間暇やエネルギーに比例して生まれると言います。本気で作ったものは、見る相手がたとえ子どもであっても作り手の思いがちゃんと伝わりますから、絶対にそれを汚したり壊したりはしないのです。逆に手を抜いていい加減に作ったものはエネルギーがないから子どもに落書きをされたりします。かつてのJR九州の多くの列車がそうでした。

 水戸岡先生が生まれたのは1947年、岡山県吉備津という自然豊かなところです。田んぼに囲まれた小さなわらぶき屋根の家では、入り口のわきに鶏を飼っていて、その卵を毎日とったり、向かいの家によくヤギの乳をもらいに行ったりしていました。食事はシンプルながらも、味わい深いものでした。かまどで炊いたごはんに削りたてのかつおぶしを載せてちょっと醤油をたらすと、なんともいい香りが立ち上がってくる。そして産みたての卵の目玉焼きに、しぼりたてのヤギのミルク……。今の時代ならお金を払ってまでわざわざ体験しに行くような、日本の古きよき豊かさがそこにはありました。先生の遊び場は、近くにある吉備津神社の境内でした。国宝にも指定されている立派な社は、日本の伝統的なデザインの宝庫です。そうとは知らず遊んでいるうちに、形や色、素材の質感などが自身の中に染み込んでいたのでしょう。先生のデザインの原点ですね。子ども時代の感動や体験は、その後もずっと心に残り続けます。それを今の子どもたちに提供することが、私たち大人の仕事。子どもたちには最高の感動体験を享受する権利があって、大人にはその機会を作る義務があります。先生がそんな思いを持ってデザインに取り組んでいるのは、やはり自分の子ども時代の体験があるからだと思います。長男だった先生は、家業の家具製造業を継ぐべく育てられました。工業高校のデザイン科で学び、卒業後は大阪のデザイン事務所で三年間修業したのですが、「もう少し勉強したい」という理由でイタリアへ。といっても、勤めさせてもらったミラノの事務所は数カ月で辞め、鉄道の乗り放題ユーレイルパスで一年半ぐらいヨーロッパを放浪していました。食事はいつも街で買ったパンとハムをかじる貧乏旅行でしたが、言葉が通じない環境での一人旅は、人間を観察する力を鍛えてくれました。会話ができなくても、しっかり観察していると、相手の本質が見えてくるのです。楽しくて面白い人、文化の香りのする人、やさしい人、人の役に立ちたい人、常に新しさを求める人。そういう人たちとの出会いに恵まれてきたのも、この時の経験が役立っていると言います。帰国した後家族を説得して、デザインの図面製作を手伝うことを条件に、弟に家業を継いでもらうことになりました。それで仕事のあてもなく東京に出てきたのですから、本当にいい加減です〔笑〕。でも、お金もなく言葉も通じないままヨーロッパを鉄道でめぐるうちに身についた、「なんとかなる」という妙な自信だけはありました。東京で事務所を構えて、しばらくはイラストの仕事で忙しく生計を立てていました。

 当時、JR九州の社長だった石井幸孝さんに、「水戸岡さんは日本の鉄道をどう思いますか?」と尋ねられたのですが、石井さんがJR九州の社長だとはつゆ知らずに、「速いだけで、ダサいですね」と失礼なことを言ってしまいました。でも、それがきっかけでJR九州の仕事をさせてもらえるようになったのですから、人生は面白いものです。石井さんからは、「予算とスケジュールとルールさえ守れば、デザインに一切口をはさまない」と言われました。鉄道の素人の自分になぜそこまでしてもらえるのかと聞くと、「だからいいんだ。鉄道を知っている人間では、ありきたりのものにしかならない。崖っぷちの経営状態にある会社は、いまだかつてないことをやらないとだめなんだ」と。それならこちらも本気で応えなくてはなりません。世界中の鉄道を調べ上げて、どうすればオンリーワンの車両や鉄道サービスになるのかを徹底的に検証しました。後にJR九州の社長になる唐池恒二さんや、車両を製造してくれる日立製作所のメンバーたちと丁々発止のやり取りを繰り広げながら、未だかつてない鉄道を実現させようとチームで取り組んできました。先生の斬新なアイデアには、いつも「コストが高い」「手間がかかる」「安全性に問題がある」などの反対の声が上がります。たとえば、木を素材に使おうとしたら、「燃えるからダメ」となる。でも、防炎処理などの技術を用いれば、それはクリアできます。問題点をあげてただ反対する人たちを相手に、アイデアを形にするためにどう工夫するかを徹底的に議論し、ねばり強く説得をする。毎回その連続でした。

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 私が初めて長崎に行った際に、「特急かもめ」に乗った時には、まず、まばゆいくらいの白のボディに惹きつけられました。著書・水戸岡鋭治(みとおかえいじ)『電車をデザインする仕事』(日本能率協会マネジメントセンター、2013年)によれば、セラミック形ハイブリッド塗料の「N9.5レベル」という、塗料の中でも最高レベルのこれ以上ないほどの「純白」を採用しているそうです。一般の新幹線がN8.5~9.0といいますから、その純白度は際立っていますね。しかし綺麗な反面、一方ではそのメンテナンスは大変なんです。通常の車体であれば、二日に一度洗浄すればいいところを、「かもめ」は毎日洗浄しなければいけません。当然、現場からは猛反対されたそうです。「車両の白さを維持することが、JR九州のスタッフの誇りとなる。そしてそんな会社にお客様は夢や企業努力を感じてくれる。さらにメンテナンスのレベルアップにもつながる。私はそう伝え、現場に納得してもらってきました。」『THE 21』2014年6月号インタビュー(PHP)) 白は国鉄時代からタブー色とされてきました。蒸気機関車が走っていた時代に、石炭の「すす」で車体が黒く汚れてしまうために、車両デザインで明るい色合いが用いられることはなかったのです。その影響で、JRでも長い間「白」を使うことを極端に嫌っていました。水戸岡先生はそのタブーをあえて逆手にとって、挑戦をしました。「そして実際、お客様からは『白い車体がきれいだね』という言葉を多くいただいたそうです。そう言われたらもう、きれいにし続けるしかないですよね。このように、高いハ-ドルがあるからこそ、人は一層努力できるのです。」水戸岡先生。なるほど、逆転の発想ですね。

 先生の挑戦の集大成とも言えるのが、2001年にデビューしたクルーズトレイン「ななつ星・in九州」です。たとえば車内の通路は組子細工を施し、270枚もの絵を飾ったギャラリーになっています。客室の扉は一面ガラスです。「外から丸見えだ」と反対意見もありましたが、部屋が通路を通して視覚的に外とつながり、広い空間を感じられます。定員20名ほどですから人の行き来は少なく、プライバシーはカーテンで確保することができます。こういう挑戦を無数に積み重ね上げてできた列車なのです。細部にまで徹底して施したこだわり抜いた工夫は、お客様の心にしっかり届くんですね。一回乗って気づかれなくとも、回を重ねると分かってもらえる。「ななつ星」に8回乗ったお客様は、「まったく飽きない。毎回違う発見があるから」とおっしゃっていました。高額な料金にもかかわらず何度も乗ってくださることが、感動の奥深さを物語っていますね。

 相手を感動させるには、デザイナー自身が感動体験をきちんと積み重ねている必要があります。それまでの人生で楽しいとか気分がいいと感じたことは、「感動」の原石のようなもので、自分の引き出しに一つでも多くそれらを持って、お客様の要望に合わせて取り出し、デザインに生かすのです。子どもたちから、「イラストレーターやデザイナーになるには、どうしたらいいですか?」と質問されることがありますが、先生は「絵だけではなく、いろんなものに触れてたくさん経験し、そこから学ぶこと」と答えています。多くのことを知れば知るほど世界が広がり、自分の好きなことも見つかります。すると自然に学ぶようになって、周りから「すごいね」と言われるようになる。そうなれば自由なステージが与えられて、もっと楽しくなります。だから、絵が上手になることよりも、自分が好きだと思えるものを見つけることの方がもっと大事なのです。人が幸せに生きるには、「三つの好き」が大切だ、と先生は言われます。「好きな仕事に就くこと」「好きな人と暮らすこと」「好きな土地で生きること」。この三つがあれば、たくさんのお金はいりません。まずは「自分の好き」を見つけることです。「好き」は感動体験から生まれます。感動体験が人生を作るのです。だからこそ、手間暇を惜しまず、心を込めて、人の心に響くものを作り続けることが大切だ、と水戸岡先生は信じておられるのです。♥♥♥

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