渡部昇一先生のエピソード(43)~2億円の借金

▲渡部先生の最新刊

 故・渡部昇一先生は、喜寿になる77歳の時に二億円を超える借金をして、現在の家を建てられました。巨大な2階建ての書庫を作って、世界に誇る自分の全蔵書(15万冊)を書棚に飾り、全蔵書と対面してから死を迎えたいと願われたからです。前の家にも書庫はあるにはあったのですが、本がだんだん増え続け、ついには応接室にまで本が溢れ出して、そのせいでホームパーティの開催も不便になってしまいました。本に深い理解のあった奥様の迪子(みちこ)さんまでもが「この家には本権はあるけれども人権がありません」とこぼし警戒感を示すようになられました。誠にもっともな主張でした。新しい家ではピアノ(奥様はピアニストです)を二台置ける応接室も作ったことで、ようやく人権も保証されることになりました〔笑〕。普通は、その歳では銀行もなかなかお金を貸してはくれないのでしょうが、土地があったので、それが担保になりました。幸運なことに、先生の若い頃は高度成長の時代でした。だから結婚後、すぐにローンを組んで、土地を買い、家を建てることもできました。毎年毎年、日本の経済が成長して給料も上がるので、ローンも割りと早く返済することができます。そうして求めた土地が担保となったのですから、ありがたいことでした。また、現役時代ほどではないにしても、退職後も収入があったし、借金に見合うだけの貯金もありました。だから、万が一のことがあって借金が返せなくなったとしても貯金で返せば、奥様が家を取り上げられることもないだろうと思っておられました。「わが家に多いもの四つあり。読んでいない本、見ていないDVD、弾いていないピアノ、返していない借金」などと家族で冗談を言って笑っておられましたね。聖書の「明日のことは明日のこと、明日のことを今日心配する必要なし」の聖句どおりで、思えば先生はひたすら借金を重ねる人生を送ってこられました。先生の子供さんたちはみな音楽家になられましたが、そのためにも随分お金が入り用だったのです。お嬢さんはピアノ、息子さんたちはチェロとヴァイオリンですが、弦楽器などは楽器代がべらぼうに高いうえに、子どもさんの成長に応じて買い替えていかなくてはいけません。さらにレッスン料だってバカになりません。それでどんどん借金をしていかれたのですが、借金をする折に保険にさえ入っていれば、何かあっても迷惑をかけることもないだろうと腹を括っておられました。その意味では、借金慣れしておられるともいえます。ですから、喜寿で二億を超える借金をするような蛮勇がふるえたのかもしれませんね。

 こうして巨大な電動化された書庫(2階建て)を作って、自分の全蔵書を書棚に飾り、「全蔵書と対面してから死にたい」という夢を実現されたのでした。先生のイメージした書斎は、15万冊の蔵書(個人の蔵書としては世界一)が全て収容できるものでした。蓄えを吐き出し、さらには借金までする。「たかだか書斎にそんな投資をして」と、常識的に考えて、経済合理性、経済効果といった判断基準を持ち出せば、なんと愚かな選択と思われるかもしれません。しかし先生にとって優先されるべき大事なことは、これからの晩年をいかに生きるか、しかも楽しく生きるためとなれば、「書斎の新築」に迷いや躊躇などは一切ありませんでした。渡部先生にとって「楽園」ともいうべき書斎の新築は、晩年の知的生活のために欠かせないものでしたし、95歳まで生きようと思っておられた(『95歳へ!―幸福な晩年を築く33の技術』(飛鳥新社))先生にとっては(86歳でお亡くなりになりましたが)、絶対に譲れないものでした。寿命が来て、新築した書斎に仮に一日しか居られなかったとしても実行しただろう、と渡部先生はおっしゃっておられました。次の言葉は、当時渡部家で当時飛び交っていたものです〔笑〕。歳をとったからといって自分のやりたいことをあきらめる必要はない、ということを強調しておられました。

本の引っ越しにね、五百万円もかかるらしいのよ」 「渡部家の崩壊は本の崩落から始まる」 「地震がきて、崩れ落ちた本で圧死するなら本望!」 「うちにはねえ、本の権利、本権はあるけれど人権がないのよ!」 ♥♥♥

▲渡部昇一先生の書斎

 

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