「銀ブラ」

dsc01781 東京・銀座に喫茶店の「カフェーパウリスタ」が誕生したのは、明治44年12月のことでした。このお店は、その後の喫茶店の原型となったとも言われている有名な老舗です。当時、お店の正面にはブラジルの国旗が翻り、夜ともなれば燦々と輝くイリュミネーションの店構えに、人々は胸をときめかせたものでした。店の中に入ると北欧風のマントルピースのある広間、大理石のテーブル、ロココ調の椅子。海軍の下士官風の白い制服を着た美少年の給仕が銀の盆に載せたコーヒーをうやうやしく運んできます。価格は一杯5銭。当時としては超破格値だったために、カフェーパウリスタ」は開店と同時に誰もが気軽に入れる喫茶店として親しまれるようになりました。

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▲落ち着いた「カフェーパウリスタ」の店内

 当時、銀座の店の周辺には、新聞社や外国商館が建ち並び、水上瀧太郎、吉井勇、菊池寛、佐藤春夫、芥川龍之介、森 鴎外、谷崎潤一郎、与謝野晶子、正宗白鳥、徳田秋声、井上ひさしなど、多くの文化人がこの店の常連となっていました。なにせ、あのジョン・dsc01770レノン・オノヨーコ夫妻も、来日時には、三日三晩も来店したそうですよ。座カフェーパウリスタ」ブラジルコーヒーを飲みに行く」ということから、「銀ブラ」という言葉が生まれたという説もありました。同店自身も、訪れたお客さんに対して、「あなたは本日、銀ブラを楽しんだ事を証明します」という「銀ブラ証明書」(スタンプカード)を発行しているくらいです。私も同店を訪れた際に、もらってきました(写真右)。このお店のコーヒーはとても美味しかったので、以来私は、毎月自宅に届けていただいているんです。

 「銀ブラ」というのは、もちろん「銀座をブラブラする」という意味ですが、「銀ブラ 本当の意味」でネット検索すると、思わぬ「由来」がヒットします。「ブラ」の語源を「ブラジル」に見る異説です。少し調べれば「そりゃあ、ないだろう」と分かることでも、ネットの拡散力は大変なもので、「世の中の様々について解説する某著名サイト」で「町歩きの専門家」と称する人までもが「ネットのデマ」に踊らされ、「本来は~」「実は~」などとうんちくを垂れています。それをまた引用した記事の、そのまた引用という負の連鎖のせいで、デマはいつの間にかあたかも真実のように語られ始めます。驚くことに人気テレビドラマの劇中で「銀ブラ」が「ハイカラの代名詞だった時代」の若いカップルが「銀座をぶらぶら」ではないほうの「銀ブラ」について語りながら心を躍らせるシーンがありました。「ネットのデマ」の影響は大きいのです。国語辞典の編集者の飯間浩明『三省堂国語辞典のひみつ』(三省堂、2014年)には次のような記述がありました。

▲『三国』の裏話

  『三国』の利用者から次のようなはがきをいただいたことがあります。
「第6版の『銀ぶら』の項目に〈東京の銀座通りをぶらぶら散歩すること〉と説明してありますが、家族に『それは間違いだ』と言われました」
 そのご家族の方によれば、「銀ぶら」とは「銀座のカフェでブラジルコーヒーを飲むことだった」と言うのです。「銀座」で「ブラジルコーヒー」だから「銀ブラ」――たしかに、この説は新聞やテレビなどで接することがあります。「銀ぶら」の発祥とされるカフェのこともよく取り上げられます。でも、はたして本当の話でしょうか。
 結論から言うと、これはいわゆる民間語源説です。つまり誤りで、残念ながら『三国』としては採用することができません。
 「銀ぶら」ということばが使われだしたのは大正時代のことです。『新らしい言葉の字引』(1918年)に〈銀ブラ 銀座の街をぶらつく事〉とあるのが、古い説明のひとつであるようです(『日本国語大辞典』第2版)。大正時代の文章では「銀ぶら」とひらがなでも書かれます。以下は1925年の例です。
〔上略〕「銀ぶら」などゝいふ言葉が流行して、一部の(イカラな連中の間に銀座が憧憬の巷になって居るのなど、余り結構な好みではないと思って居た。
               (中村武羅夫『文壇随筆』新潮社161ページ)
 「ブラジル」ならばひらがなでは書かないので、この点でも「ブラジルコーヒー」説は疑問符がつきます。最も肝心なのは、古い文章では「銀ぶら」はみな「銀座をぶらぶらする」の意味で使われているということです。「銀座でブラジルコーヒーを飲む」の意味の文章は見当たりません。ことばの使用実態からは、「銀ぶら」は「銀座をぶらつくこと」と解すべきです。
 「銀ぶら」の発生源は慶応大学の学生だとも言われます(水島爾保布『新東京繁昌記』などの説)。一方、日本文学者の池田弥三郎は<われわれ慶応の学生仲間たちも、銀座へでも行こうかとは誘い合ったが、銀ブラでもしようか、とは言わなかった〉(『銀座十二章』朝日文庫)と述べていて、結局、言い出しっぺは分かりません。
『三国』第7版では、利用者の誤解を解消するため、次のように説明を加えています。

ぎんぶら[銀ぶら](名・自サ)〔俗〕東京の銀座通りをぶらぶら散歩すること。〔大正時代からのことば。「もと、銀座でブラジルコーヒーを飲むことだった」という説はあやまり〕 (下線は八幡)

 話としては「銀座をぶらぶら」よりは「銀座でブラジルコーヒー」のほうがおもしろいのは確かです。でも、「おもしろいこと、イコール真実」ではないということにも注意する必要があります。  (pp.60-61)

 人の命にかかわるような話でもありませんし、どうでもよいといえばどうでもよいことかもしれません。でも、『三省堂国語辞典』の編さん者である飯間浩明(いいまひろあき)さんは事実を調べ上げ、スタッフと協議を重ね、「銀ブラ」の項目に上記のような注釈を付けたのでした。♥♥♥

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