私は私の信念にのっとって監督を務めてきた。その点については何ひとつやましいことはない。カンニングをしてまでテストに合格したいとは思わない。そんな消極的な思いは、できるだけ心から遠ざけて生きてきたのだから。
健全な肉体に健全な精神が宿るんじゃないんだ。健全な精神が健全な肉体を作るんだ。心の持ち方が、肉体にいろいろな影響を及ぼすんだ。肉体だけじゃないよ、その人の運命にも影響を与えるんだよ。だから人間は、どんなときでも心は断固として積極的な状態にしておかねければいけない。ズルいことをしたり、ラクをしたりしてはいけないんだ。
プロは結果がすべての世界だよ。そんなことは私もよくわかっている。しかし、だからと言って、何をやってもいいというわけではない。正しいことを、正しい方法で取り組まなければいけない。正しくないことをやって手にした結果をほしいとは私は思わない。 (広岡達朗)
1978年、弱小球団だったヤクルトスワローズを球団初の日本一に導いた名将・広岡達朗(ひろおかたつろう)さんが私は大好きで、今までの辛口のプロ野球(特に巨人)に対する評論を全て読んできました。この度、多くの証言とご本人への直接取材から、現在93歳になった広岡さんの過去と現在を克明に描いた書籍『正しすぎた人 広岡達朗がスワローズで見た夢』(文藝春秋、2025年12月)が好評を博しています。Number Web掲載時から大きな反響を呼んだ連載「「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズ」を全面的に改稿し、大幅な書き下ろしを加えた待望の書籍化です。生粋のスワローズファンである著者の長谷川晶一さんが、綿密なリサーチと取材を繰り返し、これまでにない角度から広岡達朗の「過去と現在」に光をあてて実像に迫ろうとする証言ノンフィクションでした。事前予約が殺到して、12月8日(月)発売当日に重版が即決定した傑作です。その発言がたびたび議論を呼び、いまだに激しい毀誉褒貶に晒される広岡とは、一体どんな人物なのか?作者の長谷川晶一さんが「93歳の広岡達朗」の抗いがたい魅力を余すところなく物語っていました。広岡ファンの私は、一気に読み通しました。
広岡さんほど評価の分かれる監督も珍しいと思います。伊東 勤(いとうつとむ)さんの『黄金時代の作り方 あの頃の西武はなぜ強かったのか』(ワニブックスPLUS新書、2025年2月)とには、広岡達朗監督には感謝しきりであることを明言しておられました。
唐突ではありますが、あらかじめ言っておきますと、これから西武ライオンズ黄全期を築いた広岡達朗監督の管理野球についていろいろと綴る中で、何か広岡さんに対して否定的な印象を持たれるかもしれません。
でも、私は本当に広岡さんには感謝しております。若いうちに体づくりの基本を叩き込んでくれたこと、レベルの高い野球を目指すために必要な練習を教えてくれたこと、これらは、私がその後の長い間、野球選手として、また野球指導者、そして解説者として生きていく上で、大いに役に立ちました。
そして、強いチームで野球ができたことで得られたものは私の財産になっています。そのことだけははっきり書いておきます。
西武の教え子の石毛宏典(いしげひろのり)さんも証言しています。「今の野球界を見ても、アマチュアからプロまでの野球観の向上っていうのかな、日本の 野球観をレベルアップさせたのは、僕は広岡達朗と思ってますけどね」 石毛さんはそう断言して、広岡野球を高く評価しておられます。
広岡さん自身が根気よくいろいろと基礎中の基礎を指導してくれたおかげで、8度のベストナイン、10度のゴールデングラブ賞を受賞して40歳まで現役を続けられました。 あの頃基礎を学んでいなかったら、広岡さんの言うように30過ぎで引退していたかもし れません。間違いなく広岡さんのおかげです。結局、広岡さんが弱いヤクルトを、弱い西武を勝たせたじゃないですか。だから僕のなかで名将、知将と呼べるのは広岡達朗しかいないんです。野村さんはヤクルトは勝たせたけど、阪神、楽天では勝てなかった。森さんも西武で勝ったけど、ベイスターズでは勝てなかったですから。 プロ野球チームという技術屋集団において、技術屋をまとめるリーダー(監督)には『技術はこうすれば高くなるんだよ』という指導理論が備わっていることがまず必須。さらに、どんな相手でも納得させるだけの絶対的な理論を持つことが、リーダーの資質とし て最も重要な部分だと思うんですよ。それまで『プロの二軍選手は未熟だから練習しなきゃいけない』『プロの一軍選手は完 成された選手だからマネジメント的なものだけでいい』と言われてきましたけど、広岡さんは一軍だってヘタなやつがいっぱいいると高らかに言っていました。そりゃそうですよ、誰も四割も打ったことないプロ野球界。まだまだ未熟者ばかりです。どうすればスキルアップできるか。広岡さんはヤクルトでも西武でも、選手個人をしっかりスキルアップさせ、二割五分の人間を二割七分、二割七分の人間を三割近く打てるようにしてチーム力を上げていったんですから。
実働29年間もプロの世界で活躍された工藤公康さんも数々の著書の中で、広岡さんに非常に感謝していることを書いておられました。最新刊の『工藤メモ』(日本実業出版社、2025年)の中でも、「私がプロ野球選手となり、当時の監督だった広岡達朗さんから「基本は“体で覚える”もの」だと教わりました。体で覚えるには、徹底してその動きを反復練習するしかありません。キャンプでは明けても暮れても基本の練習ばかりで「こんな基本練習ばかりして意味あるの?」と若かった私は思ったりもしましたが、今となっては「あの頃に体で覚えた基本があるから、プロで長くやることができた」と理解しています。広岡さんには本当に感謝しかありません。」と述べておられました。
かと思うと、徳光和夫さんが司会をする「プロ野球レジェン堂」の中で、東尾 修さんなどは広岡さんのことはボロクソです。徹底した管理野球の冷酷な絶対権力者というイメージです。1985年の日本シリーズ終了後、選手全員で治療を兼ねた1泊の伊香保温泉旅行に出かけたバスの車中に「広岡監督は今年いっぱいでユニホームを脱ぐことになりました」と連絡が入った時に、みんながワーッて大歓声を上げて、さらに万歳三唱した想い出を語っておられました。あの大投手・江夏 豊さんも酷評しておられます。『これが、言いたいことのありったけ』(昭和59年、徳間書店)の言葉です。
広岡さんほど勝つことに貪欲な人はいない。ワシが広岡さんに一つの思いを寄せたのも、その勝つ姿勢にだった。その監督がその姿勢を捨てた時、ワシに疑問が起こってきたのだ。
勝つ意欲を失った監督の、次にやろうとしていることに選手は信じてついていけるものではない。ワシらは勝つために集まった集団なのだから。
だから、ワシは監督批判をした。チームは勝つことを目的とした集団だ。その目的がうまくいかないからといって、何の説明もなく、若手にきりかえられたのでは、ベテランたちはたまったものではない。
あの人は選手たちをボロクソにいう。しかし、選手には妻がいるし、子供がいる。学校で父親がバカ呼ばわりされている時の子供の気持ちを考えたことがあるのだろうか。自分が批判されることには敏感なくせに、他人のことに鈍感なのは、やはり選手の気持ちを理解できない人というしかあるまい。
指揮官というものは、所詮そういうものかもしれない。しかし、人間関係に血が通っていなければ、いずれそれは破綻を招く。
ワシはワシの野球でこれまで生きてきたのだし、広岡管理野球はそういうワシを無視しただけなのだ。ただ、ワシが思っていた大監督像とは少し違っていただけなのだ。
ワシにいわせれば、広岡監督は優秀な側近と強大な組織のバックアップにのった単なる監督でしかなかっただけだ。それまでのワシの広岡監督に対する思い入れが大きかっただけに、底が見えた広岡管理野球とギャップがありすぎたのだ。だから、いついや気がさしたとか、何を機会にといわれでも、メサ、春野のキャンプ、シしスンに入って五月上旬までに、ワシなりに見させていただいた名監督に対して、少しずつ失望と無念さがふくらんでいったといっていい。
長谷川さんは「いつか、広岡達朗をテーマに一冊の本を書きたい……」と、いつの頃からか、そんな思いを抱いておられました。そして、数年の月日をかけてようやく『正しすぎた人 広岡達朗がスワローズで見た夢』という本が完成しました。発売から2週間が経過し、少しずつ「ついに完成したのだ」という実感を覚えつつある一方、「はたして、本当にこれでよかったのだろうか?」という思いも拭えないと、正直な気持ちを告白しておられました。




