「サンシャイン60」の想い出

 今から35年も前のことです。東京外国語大学の故竹林 滋先生の研究室に呼ばれました。「よく来た」と温かく迎えてくださった竹林先生から、『ライトハウス英和辞典』(研究社)の改訂作業の段取りについて説明を受けました(私は「語法」「類義語」の担当です)。写真好きな先生は、お話が終わると、記念撮影しましょうと、お気に入りのカメラで、タイマーを使ってツーショット写真を撮りました。その後で、「どうです、今からできたばかりの池袋サンシャイン60」に行って見ませんか」とお誘いを受けます。満員の都電に乗って池袋まで出かけました。凄い行列でした。1時間近く待って、完成したばかりのサンシャイン60の高速エレベータに乗りました。あれだけ待ったというのに、高速エレベーターはあっという間に最上階に着いてしまいます。でも、そこで見た東京の全景は、とても雄大なものだったことを、今でもハッキリ覚えています。英語学徒にとって憧れの竹林先生と二人で、サンシャイン60見物ができた喜びは、一生の想い出になりました。先生は学問には厳しい方でしたが、お人柄はこのように優しい方でした。

 竹林先生は、東日本大震災の前日3月10日に、肺炎で急逝されました。享年竹林先生を偲ぶ会84歳。さらに、竹林先生の奥様も、前日の3月9日にご自宅で亡くなられていたのだそうです。まるで手と手をとりあうように、ご夫婦であの世に行かれてしまいました。2011年5月15日(日)、先生の大好きだったリーガロイヤルホテル・東京「竹林 滋先生を偲ぶ会」が行われました。岩崎研究会の会員や、かつての教え子など、竹林先生を慕う人たちが一堂に会し、想い出に花を咲かせました。東 信行先生・中尾啓介先生、当時の研究社辞書部長岡田穣介さんと、先生を思い出しては、涙が止まりませんでした。

 かつては東洋一の高さを誇った地上239.7メートルの超高層ビル、サンシャイン60は1300人が作業に励んだと言います(1978年4月オープン)。「とにかく日本一の超高層ビルを作ろう」と意気込んだ男達が心血を注いだのは、ビルの世界一の精度だったそうです。太陽が昇ると気温が上がり、温まった鉄骨がわずかに曲がる。これを防ぐために、作業員は詰め所に泊まり込んで、早朝4時半から鉄骨をワイヤーで矯正する必要があったそうです。竹林先生と乗ったあの高速エレベータも、三菱電機のチームが、当時の世界最速分速540メートルを上回る、分速600メートルを目標に掲げて、世界一を目指しました。「車と同じでガタガタ道だと揺れが大きいため、カゴが滑走するレールを一直線につなげる必要がありました。エレベーターの昇降行程は当時日本最長の227mです。命綱をつけて作業用ゴンドラに乗った職人が1本ずつ、手作業でボルトを締め、5mのレールを慎重につなげていきました」(高村 明談)。据え付けたレールの総数は204本。完成後の計測では誤差0ミリという驚愕の精度だったそうです。エレベーターのカゴに新聞紙を敷いて寝泊まりする作業員もいたそうですよ。最終チェックでは、快適性を試すために、エレベータの床に10円玉を立て、一気に上昇。世界最高の分速600メートルを記録した後、60階でカゴが開いても、10円玉はピクリとも動かなかったと言われています。竹林先生と二人で乗ったあのエレベータは、こんなふうにして出来上がったんですね。

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