西村京太郎先生と山村美紗さん

DSCN2958 西村京太郎先生の十津川警部物」は、相変わらずのペースで次々と出てくるので、私の睡眠薬代わりの新書本・文庫本には不自由することはありません。先生はこれらの執筆を、夜、布団に寝そべって原稿を書きなぐられると聞きました。腹ばいで書いていると、疲れたらそのまま寝られるし、楽なんだそうです。夜中の12時頃から書き始めて、朝の6時頃まで。朝刊を読んで寝て、昼に起きるというパターンは昔から変わらないそうです。書くスピードは400字詰め原稿用紙で、時速5枚とのこと。頭の回転にペンを持つ手が追い付かないときがあると言います。語尾の『…である』と、一字一字升目に入れるのにイライラすることも、そういうところはパーッと書いてくれる機械が欲しい、と嘆かれています。

 西村先生がまだそんなに売れていない頃、初めてファンレターをくれたのが、山村美紗さんでした。『夏休みは旅行に行きました』って書いてあったので、女子大生と西村・山村美紗思って京都まで会いに行ったそうです。二人の子供もいると知らなかったし、二、三年は独身だと信じていたそうです。プロポーズしたこともあったそうですが、その時『できない』と言われて考えこんでしまったと言います。山村さんは「結婚しているからできない」と言ったのに、独身だと思い込んでいたんですね。お金が入るようになって、京都・清水寺近くの古い旅館だったところを共同で購入します。一人では広すぎるので、西村先生が別館を、山村さんが本館を買いました。二軒は廊下でつなげました。つながっている廊下は、山村さん側からは西村・山村西村先生の家に勝手に入れるけれど、西村先生側からは山村さんが鍵を開けないと入れない仕組みでした。隣同士の居間には、直通電話が引いてあったので、仕事中でも夜中でもしょっちゅう話していたそうです。公私にわたって山村さんが西村先生の面倒をみていたようです。あの人は小説は天才なんだけど、あとは子供なのよ」と、娘の山村紅葉さんに言っていたそうです。西村先生は山村先生のことを「愛していた」とおっしゃっておられました。1996年に西村先生が倒れた時も、山村さんの次女が献身的に世話をしています。同年山村さんが突然亡くなったときも、通夜、葬儀・告別式には西村先生は親族側に座りました。山村さんの未完の遺作『在原業平殺人事件』は西村先生が仕上げています。これは、生前、西村先生と山村さんとの間で、どちらかが先に死んだ場合、未完であった作品を完成させるという約束があったからだそうです。

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