小田薬局

 小田和正さんの実家が、横浜の薬局であることは有名ですね。小田さんは1947年、横浜市金沢区にある「小田薬局」の次男として生まれました。お父さんは、長男を薬剤師にして家業を継がせ、次男の小田さんを医者にしたかったんだそうです。でも小田さんは医師の道は選ばず(高校時代に体験入学で医学部へ行ってみたけれど、自分の性に合わないと言って帰ってきた)、横浜の名門聖光学院中・高から東北大学工学部建築学科に進学。さらに、早稲田大学大学院理工学研究科を修了しながらも、音楽の道を志します。そんな小田和正さんの実家・小田薬局をふくめた、横浜最古のアーケード商店街、金沢文庫・すずらん通り商店街の紹介記事が出ました。記事が小田さんの楽曲のタイトルだらけなのは、最後まで読むとわかります。貴重な実家近辺のレポートが⇒コチラです。

 お父さんは小田さんが東北大学に進学してからは「フラフラと音楽ばっかりして、何を考えているのか」と嘆いておられたそうな。それでも、売れない不遇時代には、実家から生活費やら楽器代も何もかもずいぶん面倒を見てもらっていました。お父さんは「次の曲で売れなかったら、ちゃんとした仕事に就いてもらう」と言いながらも、息子には内緒で何十枚もレコードを買って、近所に配っておられたそうです。親というのはいつの時代もこんなものですね。

 小田さんは、私生活を一切語らない人で有名です。時々、週刊誌ネタで情報が流れてくるぐらいでしょうか。数年前に週刊誌で小田さんのお父さんとの確執が話題に小田なったことがあります。親父はうるさかったけど、おふくろは「食えなくても好きなことはやるべきだ」って。親父はうるさかった。自分に学歴がないから、学歴が好きなんだ」とこぼしておられました。舌癌を患って入院されていたお父さんが、老人介護施設に入居したという報道もなされました。小田さんのお母さんが1991年に亡くなられた後、家業を継いだお兄さんの事業がうまくいかず、最盛期には15店もあった店が2、3店に縮小し、お父さんの住まいは債務の滞りから仮差押え処分を受けたというものでした。親の老後の面倒を見るのは子の義務だ。でも、商売の後始末は俺にはできない。俺がやれることは今までに十分にやってあげたんだ」と小田さんは語ったとか。そんなお父さんも、2008年5月26日に、94歳で亡くなられましたね。「親父は病床で『和正はどこだ?』と聞くので『もうすぐ着くよ』と伝えると、父は安心したのか『そうか、それじゃあちょっと寝るわ』と言って眠りました。それが親父の最後の言葉になりました」とお兄さん。車を飛ばして駆けつけた小田さんが病室に到着したとき、意識はほとんどありませんでした。でも小田さんが来たのがわかったのか一瞬、微笑んで頷いているようだったと言います。小田さんの到着を待っていたかのように、穏やかに天に召された(老衰)そうです。

 小田さんのオフコース時代の懐かしいインタビュー風景の映像を見つけました。音楽性について語っています。人気絶頂の頃のインタビューで、名曲言葉にできない」も今から考えるとずいぶん艶っぽい音色です。小田さんも若いです。

 小田さんの最新会報Far Eaast Cafe Pressには(Vol.279)、2013年を振り返って」という小貫信昭さんの見事なインタビュー記事が掲載されていました(小田さんを語らせたらこの人の右に出る人はいないと思います)。今年は、いつもの年とは何か違った感じがするなぁ」(小田)。今年も精力的に活躍されたことがよく分かります。年間活動DVD「LIFE-SIZE2013」も完成したようです。これも楽しみです。2013年の小田さんの主な活動をまとめておきます。

▲2013年小田さん主な活動より

◎JRAブランドCM曲「かなた」
◎東北楽天イーグルス始球式
◎東北ツアー(岩手・宮城・福島)
◎遺留捜査主題歌「やさしい風が吹いたら」
◎ソニー4KテレビCM曲 母校聖光学院講堂
◎東北大学愛唱歌「緑の丘」
◎横浜創学館高校学園祭飛び入り
◎ライジングサン・ロックフェスティバル
◎めざましライブ
◎東北大学学園祭出演
◎ワールド・ビジネスサテライト エンディングテーマ「やさしい夜」
◎寺岡呼人「ゴールデン・サークル」
◎吉田拓郎YOKOSO ゲスト出演
◎「クリスマスの約束2013」 吉田拓郎と共演
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