積小為大

 自分を大きく伸ばすには、小さなことを着実に実行するのが肝心だ。成功する人は小を積み重ねて大を成す。失敗する人は、自分にできないことを夢見るばかりで、自分にできることをやらない。小を積まずに大躍進を試み、「ああ、やっぱりダメだった」とあきらめる人を小人と言います。(二宮尊徳)

 小さなことを疎かにする人に大きなことは絶対にできません。二宮尊徳「積小為大」(せきしょういだい)の思想はそれを言ったものです。小を積んで大を成すほかはないのです。私も若い頃、竹林 滋先生から『ライトハウス英和辞典』の語法・類義語欄を全部見るように言われ、毎日コツコツと2ページずつ点検をしていきます。それを5年続けると、一冊の大きな辞典に結実しました。

 大きい事をしたいと思えば、小事を怠らずに勤めなければならない。およそ小人の常として、大きい事を望んでも、小事を怠るので、結局大きい事を成し遂げられない。それは小を積んで大となる事を知らないからである。たとえば、百万石の米といっても、米粒が大きいわけではなく、小さな米粒が沢山集まって百万石となるのである。また一万町歩の畑を耕すのも、一鍬ずつ耕していかなければならない。千里の道も一歩ずつ歩いて行き着くのだし、山を造るにも、一もっこの土を重ねて積み上げていくのである。この道理をよくわきまえて、小さい事を勤めていけば、大きい仕事は必ず成就する。小事をいい加減にして怠るものには大事を成し遂げることは決してできない。

 二宮金二郎の近所に、畳職人で源吉という男が住んでいました。弁も立ち、才気もあったのですが、大酒飲みで怠け癖のある男でいつも困窮していました。その男が年末になって二宮金次郎の元へやって来て餅米の借用を頼んできました。金次郎はこの男に対して、次のように、懇々と説教をしたと伝えられています。

 そなたのように年中家業を怠って、働かずにおって、銭さえあれば酒を飲む男が、正月だからといって、一年間勤苦勉励して丹精した者と同様に餅を食おうというのは、心得違いもはなはだしい。正月というものは、不意に来るものではない。米も偶然に得られるものではない。三百六十日明け暮らして来るのだし、米は春に耕し、夏は草を取り、秋に刈って、初めて米となるのだ。そなたは春は耕さず、夏は草を取らず、秋は刈りとらずだ。それで米がないのは当たり前のことではないか。だから正月だからとて餅の食える道理のあるはずはない。今ここで貸しても、どうして返せるのか。借りておいて返す道がなければ罪人になってしまう。正月に餅が食いたいと思えば、今日から遊惰を改め、酒をやめて、山林にいって、落ち葉をかいて、積み肥をこしらえて、来春田を作って米をとって、来々年の正月米を食うべきだ。だから来年の正月は、おのれの過ちを悔いて、餅を食うことをやめるがよい。

 日々の努力を軽んじてはならないのです。小を積みて大と為す。

 あの経営の神様、故 松下幸之助さんもまた「積小為大」の提唱者でした。厚さ1ミリしかない紙でも、毎日1枚ずつ積み重ねていけば、30日で3センチになります。1年で36.5センチ、10年で3メートル以上になります。そしてずっと止めることなくコツコツと続けていけば、やがては富士山の高さを超えてしまうでしょう。多くの人は、途中でそういう自分が信じられなくなってやめてしまいます。あと少し、もうちょっとだけ積み上げれば成功というところまで来ているのに、その手前でやめてしまうのです。もったいないことです。松下さんが成功する秘訣を聞かれて、「成功するまでやり続けること」と答えたのは有名な話ですね。

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