松江の「宍道湖」に浮かぶ唯一の島、「嫁ヶ島」(よめがしま)。松江市の南、国道9号線が通る宍道湖南岸から200mほど沖合に浮かぶ全長150m、幅27mの小さな島で、今から1200万年前、第三紀中新世の火山活動により噴出した玄武岩でできたと伝えられています。天気の良い週末には、よくここを自転車でサイクリングして、ボーッと眺めるのが大好きなスポットです。
「嫁ヶ島」のいわれには伝説があります。松江の人ならきっと幼い頃に聞かされたことがあると思います。松江に嫁いできた女性が、姑のいじめに耐え切れず郷里に帰ろうとし(松江の女性は代々厳しい良妻教育が受け継がれてきたのです)、厳冬の折、近道するために氷の張った宍道湖の上を渡り、氷を踏み抜いて命を落としてしまいます。それを哀れに思った神様が、松江の灯りがいつでも見えるようにと、彼女の亡骸ごと、一夜にして島を浮かび上がらせたという、伝説です。
2つ目のいわれは、姑にいじめられた嫁が、湖に氷が張り詰めた寒中に、氷の上を渡って島の弁財天にお参りしたところ、小用を催し仕方なく氷の上で用を足したところ、氷が割れて湖中へ落ちて水死してしまった。人々は嫁を哀れみ、以後この島を「嫁ヶ島」と呼ぶようになった、とするものです。
美しく信心深い、不幸せな身の上の女の水死体を乗せて、夢のように浮かび上がった島で、土地の人たちはこれを神さまの思し召しによるものとし、この島を弁天様に寄進してお宮や鳥居を建て、お宮の周りに玉垣をめぐらして女性を葬ったとされています。「嫁ヶ島」に夕日が落ちる様子は、実に美しいんです。
大好きな西村京太郎先生の『鳥取・出雲殺人ルート』(講談社ノベルス、1993年)には、この「嫁が島」を描いた箇所があります。少し上の説明とは異なりますが、大筋では同じです。アマチュアカメラマンである三谷は鳥取砂丘で女性の死体を発見。翌日、村田麻美と名乗る女と宍道湖で出会う。一目ぼれした三谷は東京に戻った後、麻美の住所を尋ねるが何とそこには亀井刑事がいた。そこは鳥取砂丘で死体となっていた女のマンションだったのだ。偽名を使った女は何者か?十津川警部と亀井刑事が向かった山陰で第二の殺人事件が起こる。そして謎の女を追う三谷にも脅迫電話が。東京と鳥取で起きた殺人事件のからくりを十津川警部が追う、という話です。この作品には、今はもう廃止となった懐かしの寝台特急「出雲」号が出てきます。❤❤❤
「あの島、どうして、嫁ヶ島というのか、ご存じ?」と声をかけられた。 振り返ると、若い女が、夕陽を受けて、手をかざすようにして、沖を見ている。 「あの島ですか?」 「ええ」 「さっき、観光案内で、読んだんですが、出雲大社から、この土地にお嫁に来ていた女が、 里帰りする時、氷の張っていた宍道湖を渡って帰ろうとしたら、その氷が割れて、溺れて 死んでしまったそうです」 「可哀想に―」 「それを神さまが、哀れに思って、あの島を造ったんだといわれています」 「じゃあ、亡くなったお嫁さんの化身?」 「そうみたいですね」 「だから、あんなに、きれいな島なのかしら」と、女がいう。確かに、松の生い茂った 嫁ケ島は、夕映えの中で、美しい。 (pp.14-15)