私は出版プロデューサーの川北義則(かわきたよしのり) さんの大ファンです。出される本は全部読みます。前は東京スポーツ新聞社 に勤められ(文化部長・出版部長を歴任)、現在は出版プロデューサーとしてご活躍されるとともに、生活経済評論家、エッセイストとして新聞や雑誌などに執筆をなさっておられます。100冊を超 える著書のなかで、20代の若者からシニア世代に広く向けて「人生を豊かに愉しく生きる」 ことに主眼を置いたエッセイを数多く執筆しておられ、豊富な人生経験に裏打ちされた言葉には定評があります。文章・講演会を通じ、その言葉は人々の心をとらえ続けています。私もその一人ですが、私が川北 さんに惹かれるのは、一つのテーマに添えられるエピソードの数々が説得力があり思わず膝を叩いてしまう点です。川北 さんは、著書の中で『「人間的魅力」とは、磁石のようなものだ』 と述べておられますが、直接目には見えないけれど、人を惹きつける力。それが川北 さんにはあるんです。気配り、思いやり、優しさ、いたわり、謙虚さ、素直さ、力強さ、励まし、叱咤など、内側からにじみ出る言葉の一つ一つに、ジワーっと惹かれるんですね。以前に、私が考える川北 さんのこうした魅力について述べたことがあります。⇒コチラ です
以前に出た、川北義則 『いまはダメでも、きっとうまくいく。I Can’t Achieve It now, But Am Sure I Can Successfully Do It Finally』(PHP研究所) の「愛蔵版」 が昨年の12月上旬に出るということを聞いていたので、楽しみに待っていたんですが、11月末に、たまたま「ファミリーマート」 の書籍コーナーに早々と4冊ほど入荷していました。発売日は12月4日とあります。出版界特有の発行日表記ですね。すぐに買って帰って興味深く再読しました。文庫本よりもゆったりと紙面を取って、非常に読みやすい作りになっています。まさに「愛蔵版」 でした。
最近、「センター試験」 を直前に控えて、成績が全く伸びない生徒たちを見ていて、教室で「努力の方向」 が間違っているという話をしました。いくら問題をやみくもに数を解いても、肝心のポイントを抜かした勉強をいくら続けていても成果にはつながらない、という趣旨の話です。次の川北 さんの言葉を読むと、まさにそのものズバリだと膝を打ちました。
誤った努力はまったくの無駄である。
逆境から抜け出すために、さまざまな努力をするのはいいが、その努力が誤っ
ていないか、 冷静に考えてみることも大切だ。
無駄な努力とは、次のようなものをいう。
孟子いわく「木に登って魚を求む」。
こういう方向違いの努力は、気がつけばとめられる。
だが、誤った努力の中には、努力そのものの理解の仕方を誤っている場合があ
って、 これは修正するのがかなりやっかいだ。
「私はこれだけ努力したんです。それだけは認めてください」
こういういわれ方をすると、かなりの人はそれを受け入れる。
「まあ、そうだな」と思ってしまうのである。
世の中には「努力賞」というのもあるくらいだからこれも無理はない。
だが、私はこれこそ誤った努力なのだと思う。
何のために努力をするか。
目標を達成するためだろう。だったら成果を上げえない努力は無駄な努力では
ないだろ う か。
無駄な努力をして、それを「認めろ」というのは虫がよすぎる。
一生懸命やっても成果が出ないこともある。
私とて、その種の努力を認めるのにやぶさかではない。
だが、それを努力した側がいってはならないと思うのだ。
相手が認めてくれたら、喜んで受ければいいし、努力させる側はそういう視点
から見て あげることも大切だ。
だが、努力をしている側が、成果も上げず に 「努力を認めてほしい」というの
は卑しい 根性ではないか。 (pp.140-142)
私の大好きなシンガーソングライター・小田和正 さん(72歳!)の楽曲に「東京の空」 という歌があります。その歌の中に、こんな言葉が出てきます。私の大好きな詞で、気に入っています。若い頃の小田 さんを知る私は、これは小田 さんの実体験だと思っています。今日も米子「志学館」で生徒たちに聴いてもらいました。コツコツと正しい努力を続けていれば、どこかで誰かが見ていてくれて、救いの手が差し伸べられてくる、ということを私も何度も経験してきました。これを、尊敬する故・渡部昇一先生 は「天から助けのロープが降りてくる」 と呼んでおられました。⇒コチラ です ❤❤❤
がんばっても がんばっても うまくいかない
でも気づかないところで
誰かが きっと見てる (「東京の空」)
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