渡 哲也さん亡くなる~追悼 

 最近、残念な訃報ばかりです。刑事ドラマ「西部警察」などで知られる、名俳優渡 哲也(わたり・てつや)さんが8月10日、肺炎のため都内病院でお亡くなりになりました(享年78歳)。大好きな俳優さんでした。さんは今月9日、自宅から都内病院に救急搬送され、緊急入院しました。医師には「長くても2週間」と告げられましたが、翌日10日午後6時半、妻・俊子さんに見守られて息を引き取りました。最後まで美学を貫いて、旅立ちました。2015年に急性心筋梗塞で入院、手術して以降、CM撮影や石原裕次郎さんの特別番組の収録などを行ないましたが、映画やドラマの現場に出ることはありませんでした。2017年8月に行われた北海道の「石原裕次郎記念館」の閉館セレモニーにも姿はなく、裕次郎さんの命日法要への参列は昨年の三十三回忌の弔い上げまでありませんでした。 関係者によると渡さんは妻・俊子さんに対し「自分の訃報は、葬儀などすべてが終わるまで誰にも知らせるな」という趣旨の「遺言」を残していたといいます。静かに送って欲しいというご本人の強い希望だったようです。社葬も行わないように言い置いていました。自身のことで人を巻き込みたくない、という“男気”だったと思われます。何事にも慎ましさ、謙虚さを求めた最後でした。

 舘 ひろし、神田正輝ら、石原軍団所属の俳優にも最期を知らせず、たった1人で旅立ちました。石原プロ社員、俳優たちには8月12日、死去が伝えられました。闘病生活も長期にわたっています。1991年直腸がん、1997年大腸がんで手術を受け、近年は持病の肺気腫、呼吸器疾患もありました。しかし、リハビリに取り組みつつ、新聞にくまなく目を通すなど再び現場に立つ意欲は衰えることはありませんでした。俳優はスクリーンや画面の中で見せるものがすべて、弱った姿を見せるものではないという姿勢は一貫していました。

 最後の仕事は、現在放送中(7月下旬~)の宝酒造「松竹梅」CMのナレーション収録です。石原裕次郎さんとのCM初共演作でしたが、コロナ禍で撮影日程が延び、体調も思わしくなく、スタジオに赴いて撮影することはできませんでした。通算247作目となるこの最新作は、「よろこびをお伝えして50年~幻の共演」編です。裕次郎さんの映像は1970年と75年のものを、さんの映像は2018年のものが使用され、合成技術で二人が酒を酌み交わしています。このCMは、今後も引き続きオンエアされる予定です。

 2017年3月に、弟の俳優・渡瀬恒彦さん(72歳)が多臓器不全で亡くなったことは大きな悲しみでした。⇒私の記事はコチラです  「この喪失感は何とも言葉になりません。つらさが募るばかりです」とのコメントを発表、渡瀬さんが最後まで現場復帰を願い、かなわなかったことを知ると、「無念です」と話しました。 ファンのため、俳優としてのイメージを大切にする姿勢を貫きました。男も女も惚れる男、かっこいいままで、さんは旅立ちました。CMのように、天国で裕次郎さんと酒をくみかわしていることでしょう。

 銀座8丁目のクラブで、さんが飲んでいたところ、ビートたけし(73歳)さんが誕生日の友人とともに訪れました。芸能界は礼儀を重んずる縦社会で、あいさつを先にするのは当然後輩俳優です。ところが、さんは二人に気づくなり、すっと席を立って、二人に頭を下げました。たけしさんは恐縮しきりだったといいます。さんは先に退店しますが、まずは友人の誕生日を祝う花がクラブに届けられました。たけしさんが店を出る際に、支払いをしようとすると、店のスタッフから「渡さんがお支払いになりました」と。たけしさんはこのことが忘れられないと言います。私もこの話をずいぶん昔に聞いて、何度か真似をしてみました〔笑〕。

 みのもんたさん(75歳)は、さんのことを「兄貴」と呼んで、50年近く慕っていました。出会いは41年前。みのさんが文化放送を退社し、フリーになった時でした。それぞれ別のグループで、銀座のクラブを訪れた際にあいさつを交わします。「渡さんはそうそうたる方たちと一緒でした。こちらはフリーになったばかりのラジオアナウンサー。ほかの方たちはみんな座ったままだったけど、渡さんだけ立ち上がって、『1度お会いしたかったです。渡です』って。惚れちゃうよね。緊張したけど、本当に感激した」みのさんが飲み屋でいつもさんの大ヒット曲(150万枚売り上げ)「くちなしの花」ばかり歌うのを見たさんが「どうして「くちなしの花」ばかり歌うんだ?」と聞かれて、「親父が一番好きな曲で、愛唱歌なんです。親父には他に歌える歌がない」と話をしたら、さんは「親父の前で歌おうぜ」と言って、名古屋の会社(ニッコク)の工場まで来てくれたそうです。目の前でさんの生の「くちなしの花」を聞いた親父さんは泣いていたそうです。従業員20人の会社のためにわざわざ名古屋まで来てくれたことに感激したのです。優しくて、男らしくて、実のある人だった、と回想しておられました。さんが、腰の低い謙虚な方だというのは有名ですが、これは間違いなく、石原裕次郎さんのそばにいたからです。⇒その出会いはコチラに書きました

 若くして俳優業に身を投じたさんは、複数社の争奪戦の中、倒産寸前の石原プロに入社します。石原プロは映画で多額の借金を背負い、苦境に立たされているのを知った渡さんは「これ使ってください」と全財産180万円を裕次郎さんに差し出しました。裕次郎さんが固辞すると、渡さんは「じゃあ、給料はいらないので、石原プロに入れてください」と、倒産寸前の石原プロを支えようとしました。心から慕う石原裕次郎さんに殉ずる覚悟でした。東映が、ポスト高倉 健さんにしたいと引き抜きを画策した現場では、「せっかくのお言葉ですが、私は石原裕次郎に拾われ、これまで育てていただいた恩があります。それだけは勘弁してください」ときっぱりと断っています。さんの、義理人情に分厚い男の姿を見るエピソードです。

 7月に、石原プロの来年1月での解散が発表された際には、今度は、舘 ひろしさんが、「自分がこうして俳優をやっていられるのは、渡あってこそ。どんな形になろうと渡次第です」と、生涯ついていくことを公言してはばかりませんでした。DNAは引き継がれていました。

 弟である故・渡瀬恒彦さんと渡 哲也さんの豪華共演が大きな話題となった西村京太郎先生「十津川警部」シリーズ第50弾「消えたタンカー」が、懐かしく思い出されます(2013年9月放映)。さんは、物語の重要人物である元タンカー船長・奥平を演じました。「記念の50作目に力を貸してほしい」という弟・渡瀬さんの強い願いを、さんが快諾し、三度目の兄弟共演が実現したのです。お二人とも何と、私の故郷・島根県・能義郡安来町(現・安来市)のお生まれです。⇒私の紹介記事はコチラ 御冥福をお祈りします。♠♠♠

 ブログにお越し頂きありがとうございます。うだるような暑さが続いておりますが、新型コロナだけでなく、熱中症にも気をつけて、こまめに水分補給をしながらこの難局を乗り切りましょう。♥♥♥

 

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