タイガー・ジェット・シン

 私は学生時代から熱狂的なプロレス・ファンで、ジャイアント馬場さんをこよなく尊敬していました。このブログでも数々の名レスラーを取り上げてきています。今日取り上げるのは「インドの狂える虎」タイガー・ジェット・シンです。彼は日本では、1973年に新日本プロレスに初来日して以降、長年にわたり悪の限りを尽くしてきた悪役レスラー(ヒール)です。その一方で、カナダの地元トロントでは、さまざまな事業を展開する実業家であり、1980年代から子供や医療機関に対する慈善活動を続けてきた慈善家としても知られています。地元にはシンの名前を冠した学校まであるくらいです(2005年オンタリオ州ミルトンのタイガー・ジェット・シン・パブリック・スクール)。「ヒールは人格者が多い」とは、プロレス界で昔からよく言われることですが、まさにそれを象徴する人物でしょうね。

 しかしながら、シンのそういった“素顔”は、日本では長年の間伏せられてきました。シンのヒールとしてのプロ意識は徹底しており、長年、ファンに対して写真やサインはおろか、笑顔を見せることすら一切なく、目が合った人間はお客さんであろうと誰でも襲って殴りかかるという“狂人”ぶりを完璧に演じていました。目の前にいる人間すべてが攻撃対象で、場外乱闘になると観客がイスごとなぎ倒されることも度々でした。入場時に手にしている凶器のサーベル。誰彼構わずあのサーベルを振り回す無法者でした。実はあのサーベル、本物ではなく、フェンシングで使う「サーブル」の模造品です。刃の部分も切れないようにできていて、いわば見せるための凶器です。だから噛んでも大丈夫ですし、触っただけで手が切れることもありません。シンにサーベルを持たせるという発案をしたのは、他ならぬアントニオ猪木自身です。来日する前のナイフをくわえたシンの写真を見た猪木さんは、史上最強の猛獣サーベルタイガーを連想し、「タイガーというなら、ナイフじゃなくサーベルでもくわえさせてみろ」と言ったのが、そのまま採用されました。新日本プロレスのリング屋さんが購入調達してきたものを、いつも巡業バスの中に「小道具」として保管、シンが来日するシリーズだけ活躍するというわけです。試合で時々曲がったり破損したりすると、その度に新しいものと交換していたそうです。このことは、オフシャル・レフリーのミスター高橋『知らなきゃよかった プロレス界の残念な伝説』(宝島社、2018年)で暴露するまでは知らなかったので、当時のシンは怖くてまともに見ることも出来ないくらいでした。

 かつての猪木の右腕であり、新日本プロレスの取締役営業本部長だった“過激な仕掛け人”こと新間 寿さんは、シンをこう語っています。「猪木とシンの試合のときは、我々、会社の背広組もマスコミも震え上がるくらいだった。シンなんて、お客の前では記者だろうが誰だろうが、本気で襲ってくるからね。シンという男は、普段は紳士なんだけど、あのコスチュームを身につけた瞬間、身も心も“狂える虎”になれた男だったね」 彼はどうやったら観客が興奮するかだけを真剣に追い求めたプロ中のプロでした。その真骨頂が、1973年11月の有名な「猪木夫妻、新宿伊勢丹前襲撃事件」でしょう。新宿の伊勢丹デパートから、当時の倍賞美津子夫人と出てきたアントニオ猪木を襲撃して血だるまにして、警察も出動するほどの大騒ぎとなったあの事件です。もちろんこの事件を仕掛けたのも、猪木自身のやらせであったことを、ミスター高橋は暴露しています。こうやってシンが持っていた独特の狂気を引き出すことに成功したのです。

 それだけヒールに徹していたシンだけに、悪の仮面を脱ぎ、本音で語るようなインタビューはこれまでほとんどありませんでした。東日本大震災が起きた2011年の8月27日、アントニオ猪木が主宰していた団体IGFが両国国技館で『INOKI GENOME』という復興支援チャリティイベントを開催し、タイガー・ジェット・シンも参戦しました。そのイベントの翌日、シンは、こんなことを語っていました「人間タイガー・ジェット・シン」の素顔が垣間見れる貴重なインタビューです。


 東日本大震災のニュース映像をテレビで見たときは、あまりのショックで全身に鳥肌が立ったよ。いまでも映像を思い出したら泣きそうだ。あんな映像は人生で一度も見たことがない。最初は『映画じゃないのか?』というような感じでいたが、まぎれもなく実際に起こっていることだった……。

 とにかく金縛りにあったような感じになって、涙が止まらなかった。この私、タイガー・ジェット・シンが赤子のように泣いていたんだからね。私は数えきれないほど日本に来ているから、仙台や福島にも友人がたくさんいて、あのニュース映像を見たあとすぐに日本に連絡したんだよ。しかし、まったく連絡が取れなくてね。後日、何人もの友人が亡くなったのを知ったんだ……。もう何日も眠れない夜が続いたよ」

 じつは私自身、今回のイベントにミスター・イノキが招待した東北地方の人に被災地の写真を見せてもらってね。その際、学校にいた生徒みんなが津波に流された話や、たくさんの子供たちが亡くなったという話も聞いた。そんな話を聞いたら胸が詰まって写真も途中までしか見られなかった。

 子どもというのは本当に神様の子なんだよ。私自身、子どもがいるし、もう孫もいる。その子たちがちょっとケガをしただけでも大騒ぎしてるのに、日本では何千人もの子どもたちが亡くなったわけだからね……。だから、あらゆる団体にリクエストしたい。興行収益の1割でも2割でもいいから、なんとか被災者のために寄付してほしいと思う。

 復興のためには昨日のようなチャリティイベントが大事になってくるし、今回ミスター・イノキがやったことは本当に意義深いと思っている。私自身も人間は皆平等で人種なんか関係ないと思ってるから、私ができるすべてのことでサポートしたいと思ってるよ。たとえば、今回の震災のために、タイガー・ジェット・シン基金で日本のために募金活動を行ってるんだ。

 この基金はカナダにあるカンパニーなんだが、ぜひウェブサイトでチェックしてみてくれ。そこで我々は、多くの学校や子供たちを支援しているんだ。今回、日本の被災者のためにも基金を募っていて、手首につけるバンドを5ドルで売ってお金を集めてるんだよ。復興には時間がかかるはずだ。だから我々の財団では、今後も継続して支援活動をしていきたいと思っている。プロレス業界も一丸となって、売り上げの一部を寄付するとか、そういう支援を続けてほしい。本当にそう思うよ。 


 このインタビュー後、シンの財団はトロント周辺の学校などで、募金活動やチャリティプロレス興行を行い、2万5000カナダドル(約200万円)の支援金と、カナダの子供たちから日本の子供たちへの励ましのメッセージ映像などを送ったといいます。そしてその後も被災地支援活動を続け、今年も震災で被害を受けた子どもたちに2万カナダドル(約170万円)を寄付すると表明しました。このような人物が、いざリングに上がれば悪の限りを尽くすのだから、プロレスは底が知れませんよね。狂虎」「慈善家」という極端に異なる顔を持つタイガー・ジェット・シンは、プロレスの「奥深さ」を象徴するレスラーと言えるでしょうね。

 プロレスラータイガー・ジェット・シンが主宰するカナダの「タイガー・ジェット・シン財団」が、2月25日、日本の駐トロント総領事から在外公館長表彰を受けました。これは東日本大震災で被災した子供たちへの支援活動をはじめとした、日本との友好親善への多大なる貢献が評価されたものです。彼は地元トロントでは、一貫してベビーフェイス(善玉)の人気レスラーでした。日本での稼ぎを元手に、実業家としても大成功しました。カナダ国内にはホテルを含む10棟以上のビルを所有し、トロント郊外には広大な敷地に大豪邸があります「俺と猪木の違いはどこかというと、猪木はビジネスで失敗したけど、俺は成功した」と。ずっと以前から自ら設立した財団で社会貢献活動を続けていましたが、それを日本では一切口外しませんでした。ヒールとしての徹底したプロ意識からでしょう。♥♥♥

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